男はつらいよ 寅次郎恋歌('71) 山田洋次 <リンドウの花――遠きにありて眺め入る心地良さ>

 女は男の旅を、ロマンチシズムでしか理解できないのだ。男はそこで、全てが終ったと感じたのである。

 男が「定着」にしばしば振られていくのは、香具師稼業の只中に襲いかかる、「恒常的安定感」の欠如を感じたときでもある。男は単なる「旅人」ではないのだ。「旅」=「移動」の時間の中にしか、男の日常性が構築できないからである。

 だから定着する者からしばしば羨望視される「旅」のイメージの落差に、男は戸惑うばかりなのだ。男は、「旅」を感傷によって語って止まない女との心理的落差を感じ取ったとき、自分の宇宙遊泳の物語の終焉を覚悟したのである。
 
 「羨ましいわ。あたしも一緒についていきたいな・・・」

 女のこの一言で、男はもう駄目になってしまった。

 最後まで「感傷の旅」を夢見る女の心にもない添え言葉に、男は嘘を悟って、「そうですかねぇ。そんな羨ましがられる程のもんじゃないですかね」という、すっかり甘美な感情を削られた言葉でしか反応できなくなってしまったのである。
 
 
(人生論的映画評論/「 男はつらいよ 寅次郎恋歌('71) 山田洋次  <リンドウの花――遠きにありて眺め入る心地良さ>」より抜粋)http://zilge.blogspot.com/2008/10/blog-post_25.html