麦秋('51) 小津安二郎 <ヒロインの「笑み」が「嗚咽」に変わったとき>

  本作は、一貫して笑みを絶やさない紀子の明るさが、三世代家族の物語を繋ぎ止め、世代の異なる者たちが抱懐する多様な思いから生まれた、ある種の硬質感を溶かすような、相当に有効な求心力の役割を担っていたことは間違いない。

  ところが、人生に対してポジティブな思考を持つ件のヒロインが、自らの意志で決断した新しい世界への侵入を切り開いたとき、そこに残された家族の関係を、より強固に繋ぎ止める何ものもなく、それぞれが置かれた世代の立場の明らかな誤差を認知することで、立場相応に見合ったサイズの生活を選択せざるを得ない状況のリアリズムを、そこだけは軟質系の文脈を切り裂いて決定的に露呈させしまったのである。

  紀子によって仮構された世代間関係の適正保温を維持し得る連結力が、実はヒロインの未婚期間の延長によってのみ保証されていた内実を、その延長にピリオドを打つ紀子の一躍の決断によって検証されてしまったのである。

  即ち、本来そうであったような家族の連結力の困難さの有りようが、紀子の笑みによって希釈化されていただけなのだ。

  これが世代を繋ぐ人間の自然の営為であるが故に、この現実を受容する以外にない。

  小津は、そう言いたいのだろうか。

  紀子の笑みによって繋がれた三世代家族という幻想が、核家族にしか逢着し得ない、本来的な様態に変容していくのは必然的だった。

  だから疾(と)うに予約されたはずの流れに沿って、老いた父母は大和に帰り、北鎌倉に残された長男夫婦は開業医となって、見過ぎ世過ぎを繋いでいく。

  そして、連結力としての役割を終焉させた肝心の紀子は、自分が決断したパートナーと共に、相手の赴任地の秋田へと旅立って行く。

  「大家族の離散」という重いテーマ性を持つ物語をユーモア含みで描きつつも、そこに人の世の「無常観」を諦念化した思いを乗せて、作り手は、戦後6年目のモノクロ映像に記録したのである。

  これは、紀子の「笑み」が「嗚咽」に変わったとき、そこから否応なく開かれる新しい生活風景の現実を、賑やかな装いの幻想の内に仮構された「大家族」を構成してきた普通の人々が、抗うことなく普通に受容することこそ、連綿と繋がる世代間継承における普通の営為であることを映像化した一級の作品だったと言える。

  だから、思い切り辛い映画になった。

(人生論的映画評論/「麦秋('51) 小津安二郎   <ヒロインの「笑み」が「嗚咽」に変わったとき>」より抜粋)http://zilge.blogspot.com/2010/02/51.html