ユリシーズの瞳('96) テオ・アンゲロプロス <帰還の苛酷なる艱難さ――人間の旅の、終わりなき物語>

  マナキス兄弟の未現像のフィルムを求めて、このときAは、「レーニンの革命」の最終的解体を象徴する現場に立ち会って、最も醜悪なる内戦を継続する尖った国家に、殆ど確信的に踏み込んだのである。

  ボスニア・ヘルツェゴビナ

  男がその身を預け入れようとするその場所は、「霧がかかった時だけ、町全体が正常に戻る」(レヴィの言葉)という非日常の日常を常態化する、まさに、苛烈なまでに凄惨な内戦を噴き上げていて、精神病院に入院する者たちの生命の保障すら存在しない状況性を炙り出していたのだ。男はそんな危険な場所に、殆ど確信的なまでに這い入って行った。マナキス兄弟の未現像のフィルムに逢着できるからである。

  しかし、果たしてそれだけだったか。

  このとき男は、既に男が生きた世紀の終末の辺りで、最も凄惨を極める現場に乗り入れることによって、その「内面の旅」を自己完結させたかったのではないか。その艱難な旅は、男を囲繞する時代の状況性と分かち難く切り結んでいて、そんな選択的な切り結びの内にこそ、男は自らの旅の完結を図ったとも考えられるのだ。

  そしてAという、記号的でありながらも、決して記号性のカテゴリーに収まらない固有なる男の旅の中枢にある目的は、男を援助する一人の老人の手によって成就された。男と老人の歓喜の契りは、一つの艱難なる旅を完結させたと信じる、言葉に結び切れない感動のうねりの中で立ち上げられていたのだ。

  しかし、男が選択的に入り込んだ状況の闇は甘くはなかった。

 男の内面には一貫して厳しいものがありながら、それでもその旅に澱むある種の甘美な幻想、即ち、自己目的的な「内面の旅」の予定調和的な帰還の達成という、もしかしたら、異文化の時間にあまりに馴致したその自我に、幾分張り付いていたかも知れない残り香のようなその物語の甘さを、「ボスニア・ヘルツェゴビナ」という世紀末の妖怪は、殆ど完膚なきまでに打ち砕いてしまったのである。

  霧深き川辺の惨劇。

 それは、男の旅の予定調和的な自己完結の幻想を破砕するには充分すぎるものだった。休戦の時間であったはずの霧深き日にも、厳然と国境は存在していたのだ。
 
  三つの民族から成る「民族混成交響楽団」の叙情的な旋律の映像は、その後、「ロメオとジュリエット」という余りに有名なシェイクスピアの舞台劇を、簡易な作りの中で観劇させている。名門両家の争いの中で、無残に引き裂かれた悲恋のドラマを挿入するアイロニーは、蓋(けだ)しスパイス充分な描写だったと言えるだろう。

  その観劇をAと老人が束の間の慰安の中で堪能した心境には、老人を挑発してまで未現像のフィルムの再現に成就したAと、その挑発に反応すべく、恐らく最後の生の炸裂を賭けたであろう老人との、深々とした歓喜の契りが固く張り付いていたのである。

  マナキス兄弟の表現に関わる苛烈な軌跡の中に、その身を全人格的に預けていくプロセスを顕在化させるAの「内面の旅」は、思えば、映画100年の歴史の中で少しずつ、そして確実に失われてしまったであろう「無垢なる眼差し」を、自己史の実感的立ち上げの中で奪回する旅でもあった。

  「最初の眼差し、失われた眼差し、失われた無垢」―― いつしか、消費文明の過剰なまでの蕩尽の時間の中で喪失した何かについて、根源的な省察を余儀なくされ、そして遂に、このキーワードに逢着するに至ったのだ。彼はそれらを、自分の内側に固く復元させなければ立ち行かない心境下にあって、殆ど追い詰められた者のように、必ずしも安寧の帰還を約束されない艱難な旅に、自らを全人格的に預け入れたのだった。

  以上の把握が、私の本作に対する基本的視座である。

(人生論的映画評論/「ユリシーズの瞳('96) テオ・アンゲロプロス <帰還の苛酷なる艱難さ――人間の旅の、終わりなき物語>」より抜粋)http://zilge.blogspot.com/2008/11/96_27.html