近松物語('54) 溝口健二 <「峠の爆発」―ラインを重ねた者の突破力>

  峠の茶屋を目指して、男は女を担ぐようにして、その歩を一歩ずつ進めていく。ようやく辿り着いた茶屋は、単に一軒の農家のようでもあった。

  男は農家の主婦に一時(いっとき)の休憩を求めて、快諾された。人の良さそうな農婦だった。女は旅の疲れで、足が動かなくなるほど弱っていたのである。男は女の足を労り、一泊の休憩を求めて、それも快諾された。

  「こないな楽しい旅はないのや。ほんまに嬉しいと思うてる」

  女はもう、突き抜けてしまっていた。

  男だけが、まだ突き抜けられていない。女の言葉に男が無言で反応した行為は自己犠牲的だが、しかしそれ以外にない現実的な文脈だった。峠の麓の高札(板面に記された法令)を既に確認していた男は、役人が捜しているのはおさんではなく、おさんを勾引(かどわ)かしたとされる男自身であることを承知していたからだ。男はこのとき、自らを犠牲にしてまでおさんを救うことのみを考えていたのである。

  女が農婦に足の手当てをしてもらっている間に、男は茶屋をそっと抜け出した。

  男は峠を一人で下っていく。まもなく、女がその事態の異変に気が付いた。女は血相を変えて茶屋を飛び出して、男を追っていく。

  「茂兵衛!茂兵衛!」

  男はその声を振り切るように、峠をひたすら下っていく。女は男を追うことを止めない。自分の足の痛さを忘れたかのように、女は男を追っていく。

  男は廃屋の影に隠れて、両耳を両手で覆った。女の歩きはあまりに覚束なかった。女は、男が隠れ忍ぶ場所のすぐ手前で倒れ込んだのである。ここで男はもう、我慢の限界を越えてしまった。倒れた女を助けない訳にはいかなかったのだ。

  「なぜ、なぜ逃げるのや!なぜ、私一人置いて!」

  女は男の胸に飛び込んで、自分を置き去りにしたその心を責め立てた。女は嗚咽の感情を、思い切り男にぶつけたのである。
 
  「私のために、苦労かけもうして、申し訳ございません。」
 
  男は女にひたすら謝り、自分だけ大経師に戻るように促した。まだ男の心は、女の思いにまで届いていないのである。
 
  「私がお前なしで生きていけると思うてるのか!お前はもう奉公人やない。私の夫や!旦那様や!」
  「悪うございました!悪うございました!もう二度と、離れません!」

  女はきっぱりと、思いの丈を男にぶつけていく。

  男は、自分を縛っていた何かが解き放たれたように、女を力強く受け入れた。長く思慕してきた女を、男は自分が最も愛する者として受け入れたのである。もうそこには、「お家さま」と「手代」はいなかった。そこにいたのは、おさんという名の一人の女であり、茂兵衛という名の一人の男以外ではなかった。

  それはまさしく、「峠の爆発」と呼ぶべき何かだった。男の心が、ようやく女のそれに追いついて、二人のラインが重なった瞬間だった。

 
(人生論的映画評論/「近松物語('54) 溝口健二  <「峠の爆発」―ラインを重ねた者の突破力>」より抜粋)http://zilge.blogspot.com/2008/12/54.html