実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)('07) 若松孝二 <『実録』の名の下で希釈化され、削られた描写が照射した『事件』の闇の深層>

 ここからは、本作の中で確信的に削り取られたと思われる重要な描写に言及する。重厚なリアリズムの映像の継続力の幻想の内に、実は特定的に切り取られた感のある不可避な描写が存在すると考えているからだ。

 その一つ。

 最高指導者の森恒夫が、永田洋子と共に妙義山中で逮捕される描写がそれである。

 なぜ、この重要な場面を削り取ってしまったのか。

 なぜならこの由々しき局面では、最高指導者として君臨していた「箱庭の帝王」である森恒夫という男が、「革命家」というイメージで呼ぶにはあまりに不釣り合いなほどに、ごく普通の「左翼青年」、しかも「恐怖支配力」としての「胆力」に著しく欠ける、単に気の弱い男であったと思わせる事実を露呈する振舞いを開いていたのである。

 その一連の振舞いの内実を、ここでも拙稿から引用させて頂く。そこに、永田洋子自身の体験がその著書の中で語られているからだ。


 「永田洋子と共に、仲間が集合しているだろう妙義山中の洞窟に踏み入って行った森恒夫は、そこに散乱したアジトの後を見て動揺する。黒色火薬やトランシーバーなども放り出されていて、山田隆の死体から取った衣類も、そのまま岩陰にまとめて置かれていた。(因みに、この衣類が凄惨な同志粛清の全貌を解明する手懸りとなる)

 そのとき、森は上空にヘリコプターの音を聞き、下の山道に警官たちの動静を察知して、彼の動揺はピークに達する。彼は傍らの永田に絶望的な提案をする。
 
 『駄目だ。殲滅戦を戦うしかない』
 
 永田はそれを受け入れて、ナイフを手に持った。二人は岩陰に潜んで、彼らが死闘を演ずるべき相手を待っている。

 ここから先は、永田本人に語ってもらおう。
 
 【 私はコートをぬぎナイフを手に持ち、洞窟から出て森氏と一緒に岩陰にしゃがんだ。この殲滅戦はまさに無謀な突撃であり無意味なものであった。しかし、こうすることが森氏が強調していた能動性、攻撃性だったのである。

 私はここで闘うことが銃による殲滅戦に向けたことになり、坂口氏たちを少しでも遠くに逃がすことになると思った。だから、悲壮な気持ちを少しももたなかった。私はこの包囲を突破することを目指し、ともかく全力で殲滅戦を闘おうという気持ちだけになった。

 この時、森氏が、『もう生きてみんなに会えないな』といった。

 私は、『何いってるのよ。とにかく殲滅戦を全力で闘うしかないでしょ』といった。

 森氏はうなずいたが、この時、私は一体森氏は共産主義化をどう思っていたのだろうかと思った。『もう生きてみんなに会えないな』という発言は、敗北主義以外のなにものでもなかったからである。

 しばらくすると、森氏は、『どちらが先に出て行くか』といった。

 私は森氏に、『先に出て行って』といった。

 森氏は一瞬とまどった表情をしたが、そのあとうなずいた。

 こうした森氏の弱気の発言や消極的な態度に直面して、私は暴力的総括要求の先頭に立っていたそれまでの森氏とは別人のように思えた 】(永田洋子著・「十六の墓標・下」彩流社刊/筆者段落構成)
 
 この直後に二人は警察に捕縛され、粛清事件などの最高責任者として『裁かれし者』となるが、周知のように、森恒夫は新年を迎えたその日に獄中自殺を遂げたのである。

 ともあれ、以上の永田のリアルな描写の中に、私たちは、森恒夫という男の生身の人間性の一端を垣間見ることができるだろう」(「『連合赤軍』という闇 ―― 自我を裂き、削り抜いた『箱庭の恐怖』」より)


 以上の言及で判然とするように、「本当は気の弱い『革命家』」というイメージを持たれることを嫌った作り手は、敢えてこの描写を挿入しなかったのではないかと邪推してしまうのである。「『危険思想』に気触(かぶ)れていただけで、森恒夫もまた、ごく普通のサイズの人間だった」という把握は、「革命」を目指す者にとっては、恐らく致命的な評価なのだろう。

 然るに、この世に「神」を目指す人間がどれほど存在し、執拗に奇麗事の言辞を吐き出そうと、人間とは多くの場合、ごく僅かの差異の中で競争する程度の存在体であり、目立たない欠点と目立った長所、或いは、その逆のパターンが一つの人格の内に同居し得る何者かであって、それ以外ではないという把握を持つ私の眼から見れば、森恒夫の人間的な側面が濃厚に露呈されていた逮捕劇にまつわる描写こそ、「革命戦士」の「ある種の救い」を感受する重要なエピソードであったと思う次第である。

 そんな性格の男だからこそ、自らが構築した「閉鎖的な恐怖の山岳アジト」から「解放」され、ある程度冷静な精神状態を「復元」させたとき、「はじめての革命的試練」という、なお「革命戦士」としての虚栄を捨て切れない余分な強がりが張り付いているものの、「今ぼくに必要なのは、真の勇気のみです」という遺言を残して、「総括」という名の逃げ道に逸早く「跳躍」したのだろう。そう思えるかのような、彼流の「総括の達成点」がそこに開かれたのである。

 それが人間なのだと、つくづく実感させられる「森恒夫の『男らしい』自死」の実態が、そこにあった。少なくとも、「責任を取って自殺する者」を好むこの国の人たちの情感感度に相応しい、極め付けの映像の流れ方であったということだ。

 次に、寺岡幸一に対する、残虐極まる処刑の現実についても言及しよう。

 これもまた、拙稿から引用する。


 「連合赤軍幹部の寺岡恒一の、処刑に至る時間に散りばめられた陰惨なシーンは、解放の出口を持てない自我がどのように崩れていくのかという、その一つの極限のさまを、私たちに見せてくれる。兵士たちへの横柄な態度や、革命左派(京浜安保共闘)時代の日和見的行動が問題視されて、『総括』の対象となった寺岡が、坂東と二人で日光方面に探索行動に出た際に、逃げようと思えば幾らでも可能であったのに、彼はそうしなかった。

 その寺岡が、『総括』の場で何を言ったのか。

 『坂東を殺して、いつも逃げる機会を窺っていた』

 そう言ったのだ。

 俄かに信じ難い言葉を、この男は吐いたのである。

 この寺岡の発言を最も疑ったのは、寺岡に命を狙われていたとされる坂東国男その人である。なぜなら坂東は、この日光への山岳調査行の夜、寺岡自身から、彼のほぼ本音に近い悩みを打ち明けられているからである。坂東は寺岡から、確かにこう聞いたのだ。

 『坂東さん、私には総括の仕方が分らないのですよ』

 悩みを打ち明けられた坂東は当然驚くが、しかし彼には有効なフォローができない。寺岡も坂東も、自己解決能力の範疇を超えた地平に立ち竦んでいたのである。

 坂東には、このような悩みを他の同志に打ち明けるという行為自体、既に敗北であり、とうてい許容されるものではないと括るしか術がないのだ。自分を殺して、脱走を図ろうとする者が、あんな危険な告白をする訳がない、と坂東は『総括』の場で考え巡らすが、しかし彼は最後まで寺岡をアシストしなかったのである。

 逃げようと思えばいつでも逃げることができる程度の自由を確保していた寺岡恒一は、遂にその自由を行使せず、あろうことか、彼が最後まで固執していた人民兵としてではなく、彼が最後まで拒んでいた『階級敵』として裁かれ、アイスピックによる惨たらしい処刑死を迎えたのである」


 アイスピックによる寺岡処刑には、坂口を初め多くの「同志」が加担することになった。無論、森の命令である。最高指導者の前で、アイスピックを手に持って、「総括の仕方が分らない」と秘かに嘆いていた幹部の一人を殺害することで、自らが「階級敵」ではないことを検証しなければならなかったのである。

 3時間以上にも及ぶ映像は、その辺の凄惨な描写を上手に希釈化し、肝心のアイスピックを正確に見せることなく、森が寺岡を何度も刺しているが、その場面は上半身のみを映し出し、他の同志たちの場面においては音だけで処理してしまっていた。

 明らかに事務処理的な映像の杜撰さを印象付けるものであったが、私にはそれが「総括」ではなく、「階級敵」としての死刑という、それまでの「総括的指導」の余地のない決定的な事態の場面を描く重要なシーンを、「描写の回避」であっさりと済ました映像の内に、作り手によって特定的に切り取られた濃密な作為性が読み取れてしまったのである。

 ついでに、金子みちよの総括の凄惨さについても簡単に触れておく。

 「総括」のターゲットにされた金子みちよ(革命左派)が身重の体(吉野の妻)で煩悶しているときに、森と永田は彼女の母体から胎児を取り出す方法を真剣に話し合ったという忌まわしい事実があった。

 その震撼すべきエピソードは、明らかに最高指導部としての彼らの自我の崩れを伝えるものである。

 なぜなら、「総括」進行中の金子から胎児を取り出すことは、金子の「総括」を中断させた上で、彼女を殺害することを意味するからであり、これは指導部の「敗北死」論の自己否定に直結するからである。

 この一件については、森と永田が金子の腹部を切開して胎児を取り出せなかった判断の迷いを、その後、彼ら自身が自己批判しているが、いかに彼らの理性の崩れが甚大なものであったかという事実を証明しているとも言えるだろう。

 当然の如く、本作はその辺りについても映像に記録していなかった。

 と言うより、本作で描かれた「総括」の場面は、自分で自分の顔を殴る遠山美恵子のシーンがピークアウトになっていて、その後の「総括」や「死刑」の局面はあっさりと説明的に処理されていったのだ。

 なぜなのか。

 遠山美恵子に対する作り手の思い入れもあるようだが、しかし本作はそんな思い入れだけで映像処理していないのだ。

 私の思う所、山岳ベースにおける「総括」の目的が、「共産主義化」の獲得という一点にあるという思いが本気であった指導者らには、まさに化粧や長髪に拘(こだわ)る遠山には、重信房子の親友でもあった古参の活動家としての思い上がりや、赤軍派時代から許容されていた生活習慣を引き摺っていた事態こそプチブル性の象徴であると思われていて、今や、「殲滅戦」を戦うための前衛としての人格の根源的変革を要請する山岳ベースにあっては、そんな彼女が真っ先に「総括」による変革を求められるべき何かを体現させた人物として、とりわけ個人的な感情の含みをも持つだろう永田に把握されていたという心理的文脈が、そこに濃密に窺えるからだろう。

 だからプチブル性の克服という「総括」のテーマには正当性があったと、作り手は言いたいかのようであった。

(人生論的映画評論/ 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)('07) 若松孝二  <『実録』の名の下で希釈化され、削られた描写が照射した『事件』の闇の深層>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2009/06/07.html