ラヴィ・ド・ボエーム('92) アキ・カウリスマキ <定着への堅固な意思を保持しない、漂流するボヘミアン性 ―― その「共有」感覚>

  「冗長」、「情感過多」、「予定調和」、「物語や登場人物の美形ライン」、「華麗」、「大悲恋」「純粋無垢」、「形而上学」、「懊悩」、「自己犠牲」、「明朗闊達」、「深刻」、「英雄譚」、「喧騒」、「饒舌」等々。

 同じ原作(H・ミュルジェールの「ボヘミアン生活の情景」)ながら、プッチーニの名作オペラの「ラ・ボエーム」で描かれた、パリの下町の「賑やかさ」と、そこに住む若者たち、とりわけ美男美女の「恋」を中心にした、「夢溢れる陽気」で、「華やか」な青春感動譚に反発する意図で提示した本作の特徴を列記すれば、以上の概念的イメージを払拭することで見えてくる何かであると言っていい。

 「オペラは死んだ芸術だが、いいだろう」

 これは、本作の実質的主人公のロドルフォが絵画のパトロンに返した言葉だが、原作のやるせない雰囲気に拘るアキ・カウリスマキには、プッチーニの名作オペラは許し難かったのだろう。

 原作に拘ったアキ・カウリスマキが、本作で映像化した物語の基調音を要約すれば、「ユーモア」と「ペーソス」であると思われる。

 その意味から言えば、この物語は完全に前後篇に分れるだろう。

即ち、アルバニア人であるロドルフォが国外送還されるまでの話と、そのロドルフォがフランスに不法入国して来てからの話の二篇である。

 明らかに、前者は「ユーモア」の濃度が深く、後者は、呆れるくらいベタな描写の連射を繋ぐ程に「ペーソス」の濃度が深い。

 それにも拘らず、全く基調音が異なる印象を与える物語の通奏低音は、「登場人物が、自分の状況下で形成されていく物語の時間を支配し切れていない」ということである。

 「物語を支配し切れない登場人物」の、間延びするような日常的振舞いの只中に作られる「間」こそ、物語の「ユーモア」と「ペーソス」を醸し出す推進力になっているということ。

 これが、この際立って個性的な映像に対する私の批評の本質である。

 「物語を支配し切れない登場人物」の典型例を、ロドルフォとミミの「恋模様」における会話の中から拾ってみよう。

 そこでは、「空転するダンディズム」が滑稽感の内に露呈されていたのである。

 「送ってくれるのは嬉しいけれど、家は遠いの」とミミ。
 「モスクワだといい。北の果てまで一緒について行ける」とロドルフォ。
 「遠過ぎるわ」
 「いつかは着くさ。不思議だ。いつの間にか、僕の部屋に着いた。犬に会って行かないか?」
 「それじゃ、少しだけ」
 「コーヒーを入れる。その間、窓から街の風景を眺めているといい」

 プライドのみが高く、貧困極まる生活を漂流する男が張る「虚栄の前線」では、まさに根拠の希薄な男のダンディズムが、滑稽なまでに物語を支配していた。

 それから暫くしてからの、レストランでのデートでの会話。

 今度はロドルフォの絵が売れ、鑑識眼の欠如するアホなパトロンから、偶然手にした大金を懐に入れた男のダンディズムは、いよいよ全開するのだ。

 「僕と一緒に暮さないか?僕は独身主義だが、君とならうまくやれる。仕事は止めろ。僕が絵を売って食わせるよ」
 「じゃ私は何を?」
 「犬の散歩、それに掃除や家事も」
 「扱き使うの?」
 「いや、僕が掃除する。君は窓から公園を見ていればいい。夜はオペラ見物だ」

 これ以上ない気障な台詞を放った直後、あろうことか、「自称芸術家」の財布が掏られて、レストランの客に支払ってもらう始末。

 折角の殺し文句も台無しになるが、却ってロドルフォのキャラが際立つ場面だった。

 結局、いつもこんな調子で、「物語を支配し切れない登場人物」の「ユーモア」が炸裂するのだ。
 
 然るに、この「ユーモア」の基調音は、後半に入って、俄に「ペーソス」の基調音を濃密に醸し出していくが、「物語を支配し切れない登場人物」という通奏低音には変化がなかった。

 女の重篤な疾病という「風景」の変容を機に、物語の基調音から「ユーモア」が消失し、代って「ペーソス」の基調音が全開していくのである。

 「ペーソス」を基調音にする物語のラインに張り付くのは、ベタな描写の連射と、「情感過多」に陥らない程度の感傷濃度の増幅であった。

 「雪の降る街を」を挿入する作り手の豊饒な作家精神が、最後はセンチメンタリズムに雪崩れ込んでいったのは、H・ミュルジェールの「ボヘミアン生活の情景」の心象風景に添えるメンタリティの睦みということなのか。
 
 映像構成において特段の違和感がなかったものの、私には「作り過ぎ」の印象を拭えなかった。


(人生論的映画評論/ラヴィ・ド・ボエーム('92) アキ・カウリスマキ  <定着への堅固な意思を保持しない、漂流するボヘミアン性 ―― その「共有」感覚>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2010/08/92_15.html