霧の中の風景('88) テオ・アンゲロプロス <始めに混沌があった>

 始めに混沌があった
 それから光がきた
 そして光と闇が分かれ
 大地と海が分かれ
 川と湖と山が表われた
 その後で
 花や木が出てきた
 それに動物と鳥も・・・

 闇が支配する部屋の小さなベッドに身を埋めて、11歳の姉が5歳の弟に、この夜も「創世記」をコンパクトになぞった物語を語っていた。

 姉の名はヴーラ。弟の名はアレクサンドロス。就寝を確かめに来た母親の足音に、今夜もまた姉の語りが千切れてしまった。

 「ママよ!」と姉。
 「また、終りまで聞けない。いつもママが来て、邪魔をする」と弟。

 闇の中に廊下の光が差し込んできた。

 狸寝入りの姉弟の幼い顔を、存分なほどの人工光が舐めつくす。

 明日こそは父に会いにドイツに行こう―― 再び闇となった空間の隅で、姉弟は、毎日試みて果たせなかったその思いを実現する決意を固めていた。

 翌日、弟は姉を伴って、精神病棟の住人である「カモメのおじさん」に別れを告げに行った。

 瓦礫の山のような高みの向うに、柵で囲われ異様な光景を見せる精神病棟。そこの住人である「カモメのおじさん」は今日も舞っていた。

 「こんにちは」と弟。
 「雨になる・・・私の翼が濡れてしまう」とカモメのおじさん。
 「お別れだよ!」
 「どこへ行く?」
 「ドイツだよ」
 「毎日、そう聞いている」
 「アレクサンドロス、遅れるわ」と姉。
 「さようなら」と弟。
 「ドイツってどんな所だ?」とカモメのおじさん。

 その問いに答えることなく、姉弟はカモメのおじさんと別れて走り去った。

 会話のバックグランウンドになった風景。

 そこには、かつて、歴史的文明を誇ったギリシャの現代の素顔なのだと言わんばかりの映像が晒されて、陽光を遮る灰色の都市イメージが観る者に刻印されていく。姉弟の困難な旅はいずれ渡るであろう混沌の世界への侵入から始まった。姉弟の無垢な自我だけが、まだそのことを理解できないでいる。

 何も持つことなく、アテネ発ドイツ行き国際急行列車に乗り込んだのも束の間、喜びの抱擁を交わした姉弟がそこにいる。当然の如く、二人はバックパッカーの認識にすら届いていなかった。

 「お父さん。探しに行くと決めたので、手紙を書きます。お父さんに一度は会いたいと、いつも二人で言ってました。ママは心配するでしょう。本当はママのことも好きですが、分ってくれないのです。お父さんの顔を知りません。アレクサンドロスは夢で、お父さんを見たと言います。とても会いたいです。ときどき、学校からの帰り道で、後ろからお父さんの足音がついてきます。でも、振り向くと誰もいない。そんなときは寂しいです。ご迷惑にならないように、お顔を見たらすぐに帰ります。答えて下さるなら、汽車の音に託して下さい。タタン・・・タタン・・・タタン・・・タタン。“私だよ。お前たちを待っているよ”タタン・・・」

 少女ヴーラの、まだ見ぬ父への心の手紙。

 それをドイツ行きの車両の隅で、11歳の少女が刻んでいる。その傍らには、5歳の弟、アレクサンドロスがいる。二人は寄り添うように座って、初めての未知なる世界への旅に、それぞれの思いを馳せいている。

 しかし、まもなく二人は車掌に見つかって、途中の駅で降ろされることになった。姉は駅長の伯父との再会を言い訳にするが、その伯父が警官に語った真実、即ち、姉弟が私生児であり、彼らの父親がドイツにいないことを立ち聞きしてしまったのだ。

 「嘘よ。嘘よ。お父さんはドイツにいる。嘘つき!お父さんはドイツにいる」

 少女が受けたショックは甚大だった。

 だから少女はその話を信じない。それを信じたら、自分たちの大いなる未知への旅が根底から崩れてしまうからだ。

 伯父の話を否定した姉とその弟は、そのまま警察署に連行されるが、署員が初雪に気を取られている隙に警察署から逃げ出して行く。

 雪の中を走る姉弟と、雪を見て時間が止まってしまう町の人々。時間を自在に移動するアンゲロプロスの映像技法は、解き放たれた姉弟の躍動感を印象的に記録したのである。

(人生論的映画評論/霧の中の風景('88) テオ・アンゲロプロス  <始めに混沌があった>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/11/88.html