丹下左膳余話 百萬両の壷('35) 山中貞雄 <飄々たる者たちの長閑なる振舞い―「絶対英雄」の対極として>

 問題のその壷は、屑屋の隣に住む子供の安吉の金魚鉢に変わっていた。その安吉の父親、七兵衛は遊び人で、夜毎に矢場(注2)に出入りしていた。その矢場の女将はお藤といい、しばしば客の要請に応えて小唄を三味線で語り弾くことを得意にしていた。この夜も、身分を偽って、矢場で遊ぶ安吉の父の求めで唄うことになった。傍らには、居候の丹下左膳が横になっている。
 
 「勝手にしろ!」と左膳。

 彼にはお藤の歌が気に食わない。

 別に歌が気に食わないのではなく、客の前で自分の喉を披露するその過剰なサービスが、多分嫌いなのである。
 
 「ええ、勝手にするわよ」とお藤。

 彼女は左膳に、「唄うな」と言われたから唄うのである。

 二人は夫婦ではない。かと言って、特段に仲が悪い訳でもない。恐らく、この矢場では、左膳は用心棒以上の存在なのである。ただ、その性格がどこかであまりに類似していている一方、噛み合わない部分があるのだろう。
 

(注2)江戸時代の遊技場の一つで、弓術を練習する場所。客が的に矢を当てる度に、矢場女と呼ばれる若い女性が、「当りー!」と声を出したと言われる。


 その矢場で、一悶着があった。

 七兵衛が、傍らで矢場にいちゃもんをつけてきたヤクザ者に喧嘩を売られたのである。急を知って駆けつけた用心棒の左膳が収拾することで、ようやく事態は収まった。しかし、事件はその後に起きた。左膳が七兵衛を送ったその帰りに、例のヤクザに七兵衛が殺されたのである。その矢場で彼が残した一言は、「安のこと・・・安をお願いします・・・」という今際(いまわ)の際の懇願だった。

 ところで、源三郎はと言えば、奥方からの「百万両のために」という理由で、なお壷捜しを続けている。

 「十年かかるか、二十年かかるか、まるで仇討ちのようだ」
 
 本人はこのように、一応自分の壷捜しの辛さを奥方に説明するものの、その本心は、退屈な道場主の生活からの解放感を満喫できる喜びに満ちていた。

 そして彼は、既に遊び場を見つけていたのである。丹下左膳が用心棒をしている例の矢場である。そこには、源三郎が見染めたお久という若い娘がいて、矢場の仕事を手伝っていた。その矢場に源三郎は、入り浸りになっていくのだ。

 しかし彼の弓は、なかなか的に当らない。

 それは、とうてい江戸の道場主とは思えない程の腕前なのだが、それでも彼は意に介さない。彼には武士としての矜持すらないようなのだ。そんな男が藩主の兄に対してだけ、男の意地を貫き通そうとする。ところが、それも継続力がない。そんな脳天気な性格だからこそ、しっかり者の奥方、萩野の存在が必要でもあり、しばしば厄介に思えるのだろう。彼にとって、矢場での遊びこそが、その本来の武士とは縁遠いキャラクターに見合っていたのである。

 一方、その矢場の当主たちは、七兵衛の家を捜している。

 大店(おおだな)の主人であるという七兵衛の家が、貧しい長屋の住人であることをお藤と左膳がようやく突き止めた。その彼らの前に現われたのは、七兵衛の子供である安吉だった。その安吉に、父親が死んだことを告げられない左膳は、通りで待っていたお藤に、「飯を食わしてやると言ったら喜んでいた」と話して、一緒に連れて帰ることを促したのである。
 
 「ふん、あたしがあんな汚い子供を家に入れると思ってるの。あんたが嫌なら、あたしが行って、あっさり泣かして来てやるわ!誰があんな子供に、ご飯なんか食べさしてやるもんか」
 
 その直後、矢場の奥座敷で、「どう、ご飯おいしい?」と優しく子供に語りかけるお藤がいた。それを包み込むように見つめる丹下左膳

 父の死を知らない安吉は、空腹を満たした後、嬉々として他人の家で遊んでいる。こけ猿の壷の中の金魚を掬っている安吉の傍に近づいた左膳は、何とか父の死を知らせようとしている。
 
 「安坊、おめえ強えだろう?強えから、滅多に泣かないだろうな?」
 「うん、いっぺんも泣いたことがない」
 「今まで、一度も泣いたことがねえのか?」
 「あ、いっぺん泣いた」
 「いつだい?どうして泣いたんだい?」
 「おっかぁが死んだとき、泣いた」
 
 ここで場面が変わったが、その後映し出された風景は、安吉が縁側で泣いている小さな後姿だった。左膳は子供に向かって、父の死を告げたのである。
 
 「当分、家に置いてやることにしたよ」

 左膳はお藤に自らの意志を伝えた。

 「何ですって・・・バカね、あんな汚い子供をあたしが好きになれると思って?あたしはねぇ、子供が大嫌いなの。早く追い返してちょうだい!」
 
 お藤も左膳に、自らの心にもない思いを言葉に変えていた。
 
 映像は、一ヵ月後の矢場の場面を映し出していた。

 相変わらず、源三郎は壷捜しの名目で矢場で遊んでいる。
 その源三郎に、子供が「はい」と言ってお茶を出した。安吉である。安吉はこの矢場の女将の藤の元で、自分の子供のように大切にされていたのである。
 
 「女将さんが、とってもあの子を可愛がるの」

 矢場女のお久が、源三郎に話していた。

 場面が転換するとき、この映画はいつもその直前の場面を裏切ってしまうのである。竹馬を欲しがる安吉を叱る母代わりのお藤は、次の場面では、その安吉に竹馬の上手な乗り方を教えているという具合なのだ。この映画は、万事逆説的に進行するのである。
 

 左膳とお藤、それに安吉と源三郎の四人が金魚掬いで遊んでいた。その楽しそうな光景を、源三郎の奥方が双眼鏡で遠方より覗いていた。てっきり壷捜しで奔走しているはずの夫が、どこかの娘と歓談している姿が捉えられて、萩野は嘆息した。
 
 「爺や、金魚屋で、こけ猿の壷が釣れますか?」
 
 その金魚屋に、源三郎の奉公人から、こけ猿の壷を買い取った屑屋の居場所が分ったという連絡が入り、源三郎は直ちに駆けつけた。しかし、そこに壷はなかった。屑屋の話によると、壷の持ち主は安吉という子供であることを知って、源三郎は一切を了解したのである。

 その源三郎は帰宅後、奥方の萩野から外出禁止を言い渡される。理由は明白だった。源三郎は奥方の指摘に抗弁できず、結局、壷捜しを理由にする外出が閉ざされてしまったのである。こけ猿の壷の在り処を知ったことを告げても、奥方はもう夫を信用する訳にはいかなかったのだ。

 一方、矢場では、安吉の教育方針を巡って、左膳とお藤が揉めていた。仇討ちのために道場に通わせようという左膳と、寺子屋に通わせて学問を身につけさせようとするお藤の意見の対立だった。しかし次の場面では、寺子屋に通って五日も経っている矢場の団欒に変わっていた。

 「これはなかなか、よう書いてるぜ」と左膳。

 寺子屋通いに反対していた左膳は、安吉の学力の進歩に感心しているのである。

 「それにしちゃ、なかなか手筋がいいぞ、こりゃ。弘法大師だって、子供のときは、こうは書かなかったかもしんねぇ」
 
 左膳はすっかり、人並みの親馬鹿振りを発揮しているのだ。寺子屋に通う安吉が苛められているのではないかと不安をもった左膳は、それを心配するお藤に、「俺は行かねえぜ」と口では言いながら、急いで安吉の後を追った。

 その安吉は、案の定、いじめっ子に囲まれている。それを疾風の如く、走り寄って来た左膳が追い払うシーンは、殆どホームドラマのそれであった。
 

(人生論的映画評論/丹下左膳余話 百萬両の壷('35) 山中貞雄 <飄々たる者たちの長閑なる振舞い―「絶対英雄」の対極として>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/11/35.html