リアリズムなき体育会系原理主義の迷走 ―― 『星野ジャパン』自壊す

1  「組織遂行力」の脆弱さ


 ここに、一人の有能な男がいる。
 彼の名は、三宅博

 元プロ野球選手だったが、致命的な故障を来し、若くして引退を余儀なくされた後は、阪神タイガースのコーチを経てスコアラーとなり、それが天職であったかのように才能を存分に発揮し、晩年の1年間にフロント(球団首脳陣)入りしたが、およそ25年間に及んで、その道一筋の人生を送った。

 コンピューターを精力的に導入した彼のスコアラー人生も、2006年にピリオドを打つことになった。ところがその後、悠々自適の老後の人生を送る間もなく、翌年には、もっと大きな仕事が彼を待っていた。北京五輪野球日本代表チームのスコアラーとして、星野監督に招集されたのである。

 以下、北京五輪出場権を賭けたアジア選手権(2007年12月)直後の、読売新聞の記事を紹介する。三宅博スコアラーの知られざる仕事振りが手に取るように分るからだ。

 「『この1年間で調べ上げた韓国、台湾の選手は軽く400人を超えるかなあ。でも、メモを見れば、どんな選手かハッキリと頭に浮かびます』

 星野ジャパンの三宅博スコアラーの言葉を聞き、『プロ』の仕事とは途方もないと思った。

 日本代表スコアラーを引き受けた時、知っていた韓国、台湾の選手は数えるほど。春の米大リーグ視察からライバルの情報収集を続け、選手の顔と名前がほぼ一致するまでになった。

 阪神でスコアラー歴25年。2003年にセ・リーグ制覇をした時の指揮官でもある星野監督が、ひと言、『すべて任せた』と言ったのだから、信頼関係のほどが分かる。打者ならカウントごとの打球方向、投手なら球数に応じた制球力や球威などを調べるのは当たり前。『重要なのは、実際に目で見て、肌で感じた選手の特徴を伝えること』

 視察のため、月に1週間も家にいられないこともしばしばだった。今回は、映像を集めるのに苦労した。宮本主将(ヤクルト)からは『バックネット裏からの映像が欲しい』と求められた。球場で韓国と台湾の関係者に妨害されることもあったが、何とか撮りためたビデオは数百本。そのダイジェストが日本代表候補にDVDで配られ、大会前の宿舎の食事会場でも流された。選手の頭にライバルの情報が自然に浸透していった」(「読売新聞」2007年12月26日付)

 結局、日本は、台中(台湾)で行われたアジア選手権(12月1~3日)で、初戦のフィリピン戦に圧勝すると、韓国に4―3で逆転勝ちを収めた。更に、台湾戦も10―2で逆転勝ちし、3連勝で北京五輪出場権を獲得した。

 次に、スポーツ紙からの記事。

 「北京五輪野球代表の星野仙一監督(61)が最大のライバルとなるキューバ代表の映像を極秘に入手し、対策に着手することが26日、分かった。この日、東京都内でユニホームの採寸などを行った際に明かした。

 キューバが情報統制を敷く中、独自ルートで入手困難な最新ビデオ映像、資料を入手。今日27日からその映像で徹底解剖を開始する。また米国代表と世界選抜が対戦する試合(7月13日・ヤンキースタジアム)にもスコアラー派遣を決定。星野ジャパンの金メダル獲得作戦が本格化する。」(「日刊スポーツ」2008年6月27日付)

 4人のスコアラーが協力して、いよいよ北京五輪野球への本番を見据えた情報戦が開かれていったときのエピソードが、そこにある。

 そしてまもなく、世界的に注目されることのない北京五輪野球が始まった。

 その結果は周知の通り。

 4勝5敗という信じ難い負け越しの成績を残して、「星野ジャパン」と称される、「野球」の国の国民的球技が致命的な様態を晒し、その後、元監督自身のブログの炎上に象徴される苛烈なバッシングを惹起させていった。

 名スコアラーの膨大な価値あるデータを手に入れながらも、なぜ、この国の「野球」が無残に敗退してしまったのか。

 その辺りについて言及するのが、本稿のテーマの一つでもある。

 真っ先に言えるのは、この価値あるデータを生かし切れなかったのではないかということだ。

 このことで想起されるのは、星野仙一監督による、例の有名なジャッジに対する執拗な抗議の一件である。

 ここに、興味深い批評がある。

 「『あっ拙いな』と思った時は遅かった。キューバとの予選リーグ初戦、9回表の攻撃中のことだった。ストライクの判定にベンチを飛び出した星野仙一監督は、球審に向かって何か言葉をかけた。そして、選手交代を告げようと近付くと『退場』をコールされてしまう。

 その11日後、すべての戦いを終えた星野監督は『初戦で選手たちがストライクゾーンに不信感を抱き、怖々やるようになってしまった』と、苦渋に満ちた表情で語った――。

 周知の通り、北京オリンピック野球日本代表は、『金メダルしかいらない』と高らかに宣言しながら、何色のメダルも手にできず惨敗した。勝負の世界だ。精一杯戦った結果については甘んじて受け入れよう。ただ、そのプロセスや姿勢に関してはしっかりと検証しなければならない。あえて最大の敗因を挙げるなら、冒頭に書いた星野監督の行動、そして思わぬ敗戦に直面した際の弁だと断ずる。

 星野監督は日本プロ野球史に残る名将である。しかし、世界の舞台ではビギナーに過ぎない。日本では審判にクレームを付けても“熱血の星野流”で流してもらえるが、国際野球には国際野球の流儀がある。監督が審判員に抗議に出向くのは、よほどのことがない限り試合遅延、あるいは侮辱行為とされているのだ。

 また、不安定なストライクゾーン、整備の行き届かないグラウンド、思わぬラフプレー……。野球先進国たる日本の常識では考えられないことにも対応しなければ、世界の頂点に立つことはできない。言い換えれば、金メダルを獲得するために最も必要だったのが、ストレートのスピードや打球の飛距離という選手個々の能力の高さだけではなく、どんなことにも驚かない対応力なのである。

 『プロなんだから』という見方も吹き飛ばすほど、国際野球の現実は厳しい。王座に君臨し続けるキューバは、その対応力に優れていると認められているし、アメリカや韓国にも必死に対応しようという姿勢が見られた。

 もちろん、予選リーグで敗退したチームについても同じことが言える。北京に飛び、日本代表の試合を取材して強く感じたのは、日本だけが『いつもと違う』と呟き続け、とうとう最後まで対応することができなかったということ。

 いや、選手たちは『勝たなければ』という使命感で何事にも対応しようと努力しただろう。だが、肝心の指揮官が自己流で押し通そうとすれば、選手たちは動けない」(「星野ジャパンはなぜ負けたのか?北京五輪・野球日本代表物語」text 横尾弘一より)

 審判も敵に回してしまった愚について、横尾と同様の指摘をしている一文を、ここに紹介する。
 1984年ロサンゼルス大会(野球が「公開競技」であったが、金メダルを獲得)の日本代表監督を務めた、松永怜一の敗因分析がそれである。因みに、松永は今大会でコーチであった田淵、山本の、法大黄金時代(6度のリーグ優勝)の指導者である。
 「日本は銅メダルも逸した。悔しいし、残念でもあるが、それ以上に憤りもある。ロサンゼルス大会以降、アマチュアが苦労を重ねて積み上げてきた成果が、最後の最後に崩れてしまったからだ。

 敗因はいくつもあるだろうが、私はオールプロの彼らが、最後まで『箱庭』から抜け出せなかったからだと思っている。プロの彼らは整った環境下で、年に140回ほども同じ相手と繰り返し戦う。だが、五輪は違う。異なる野球文化で知らない相手と戦わねばならない。自分の庭でいかに秀逸な技能を誇っても、それを五輪でも発揮できるかとなると、話は別だ。

 その点、アマは国際大会に慣れており、審判も含めて、対戦相手の全容をよく把握していた。

 具体例を挙げれば、初戦のキューバ戦で星野監督が審判に猛抗議したシーン。国際大会に慣れている者には、考えられない行動だった。審判団は試合後に反省ミーティングを開く。『日本はいったいなんなんだ!!』となったのは必至で、ストライクゾーンなど日本へのジャッジが最後まで辛めだったことは、決して偶然ではないだろう。

(「時代の風景/リアリズムなき体育会系原理主義の迷走 ―― 『星野ジャパン』自壊す 」より)http://zilgg.blogspot.com/2009/06/blog-post.html