人間の本来的な愚かさと、その学習の可能性

 二人の医大生がいた。

 彼らは心ならずも、彼らが所属した組織の中で由々しき犯罪にインボルブされ、恐らく、生涯苦しむことになった。彼らが手を染めることになった犯罪は、軍の命令で米兵捕虜を生体実験すること。

 世に言う、「九州大学米軍捕虜生体解剖事件」である。

 昭和20年5月17日から、6月2日にかけて行われたこの生体解剖事件は、戦後になって世間に知られることになり、世を震撼させた。

 やがて、事件を丹念に取材した小説が上梓され、更に、その小説を映像化した問題作が高い評価を受けるに及んで、事件に対する認知度は急速に高まった。

 その映画の名は、「海と毒薬」(写真)。

 監督は、2007年に他界した熊井啓

 そして、その映画に主演した二人の若い俳優は、今や、日本を代表する性格俳優にまで上り詰めていることは周知の事実。彼らが演じた医大生の内面世界の懊悩が、その映画に深く刻まれて、私はその後の二人の俳優の達者な演技に出会うと、しばしば彼らの出世作となったこの映像の断片が想起されて、本作の決定力の凄みに圧倒されるほどだ。

 ともあれ私は、かくもシビアな映画で提起されたテーマを、〈脆弱なるもの、汝の名は「良心」なり〉と把握している。事件と映画についての総括的な把握に関しては、「人生論的映画評論」の中の、本篇についての言及に詳しいので、これ以上触れないでおこう。

ここでは、本作についての評論で言及しなかった問題について、簡単な歴史的背景を踏まえて、少し拘ってみたい。

 そのテーマは、「人間の本来的な愚かさと、その学習の可能性」である。
 
 本稿の評論の中で、言及した二つの実験(「アイヒマン実験」と「監獄実験」)で証明されたように、人間の自我をこのように磨耗させてしまう過剰なシステムこそ問題であり、そんな過剰なシステムを決して作らないことこそ、「現在」を、「この国」で生きる全ての人々の絶対的なテーマなのである。

 そして、勝呂と戸田という、二人の医大生が呼吸を繋いだ時代の「対アジア戦争」の本質が、明瞭な侵略戦争である事実を認知する限り、彼らが、ある意味で被害者である以上に、アジア諸国民に対する由々しき加害者であったという認識を捨ててはいけないだろう。
 
 然るに、映像の中で勝呂自身がキッパリと否定していたにも拘らず、彼らが敢行した生体実験のスケープゴートにされた捕虜の国籍が、当時、この国の人々が最も憎悪した国であるアメリカであったという事実も無視できないであろう。

 もっとも、731部隊の蛮行の犠牲になった3000人以上人々(マルタ)の国籍が中国人、モンゴル人等であったことを考えれば、生体実験のスケープゴートにされた国籍は二次的問題に過ぎないとも思えるが、それでも当時、この国の人々の「被害者意識」の対象になった「アメリカ」という特定国家の存在は決定的に重要であるに違いない。

 なぜなら、「鬼畜米英」という戦意高揚のスローガンに包含された感情の束が集中的に身体化される事態が、そのとき、まさに出来したからである。

 要するに、こういうことだ。                                                                 
 「捕虜は人間ではない」という究極の人間観が、軍部とマスメディアが作り上げた戦意高揚のプロパガンダである「鬼畜米英」、「一億総玉砕」という究極の戦争観(注1)と結合して、そこに封建的な体質の大学医学部内の権力闘争と、古い医局の権力構造が複雑に絡み合うことで、一種異様な空間である、「箱庭的な恐怖の構造」(後述)が分娩されてしまったのである。

 「捕虜は人間ではない」という究極の人間観の根柢にあるのは、例の悪名高い「戦陣訓」の過剰なる観念体系であるに違いない。

 周知のように、「戦陣訓」とは、昭和16年に時の東条英機陸相(後の首相)が、「軍人勅諭」の実践を目的に公布した行動規範のこと。   

 「本訓 其の二 第八 名を惜しむ 恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」
 
 この一文こそ、「戦陣訓」の骨子というべき訓令だ。

 この訓令の名の下に、この国の多くの将兵は自ら命を落としていったが(「カウラ捕虜収容所脱走事件」が典型例)、同時に全く悪びれることなく捕虜となる敵国の将兵に対しても、同様の規範を強制した結果、事後法裁判として批判されることの多い、「極東軍事裁判」のB級戦犯(通常の戦争犯罪=捕虜虐待)の対象となる対捕虜犯罪を、「良心」の顕著な咎めを受けることなく具現化してしまったのである。

 まさに「捕虜は人間ではない」という観念体系が存在したことによって、捕虜虐待が一定程度合理化できたのだが、そこに「鬼畜米英」の過剰な感情ラインがリンクすることで、「海と毒薬」という問題作で描かれた事件の、その歴史的背景の素地が形成されていたと言えるだろう。
 
 あとは、事件の推進力の介在があれば充分だった。

 それが事件の舞台となった権力闘争であり、その主体となった教授の名誉欲に関わる特殊な心理的文脈であった。

 そんな教授の権力幻想の下で形成された組織構造が密室化したとき、そこに容易に外部権力が侵入できないスポットが分娩されるに違いない。「箱庭的な恐怖の構造」がそれである。
 
 因みに、「箱庭的な恐怖の構造」とは、「箱庭の恐怖」(共に私の用語)という戦慄すべき事態に近い心理構造のこと。

 「箱庭の恐怖」とは、第一に閉鎖的空間が存在し、第二に、その空間内に権力関係が形成されていて、第三に、以上の条件が自己完結的なメカニズムを持ってしまっていること、等である。
 
 その文脈で言えば、当時、この帝国大の医学部の特殊な空間が置かれていた事件時点での状況は、「箱庭的な恐怖の構造」と言っても差し支えないと思われる。

 それについての言及は重複するので避けるが、冷静に考えて見れば、このような状況は、戦争という極限的な非日常の時間の中でのみ分娩されるわけがないことが理解されるだろう。そこに、何某かの大義名分や思想的文脈が媒介されれば、「箱庭の恐怖」の形成は決して困難ではないのだ。

 例えば、閉鎖的なカルト集団や、独善的な運動団体、高齢者の介護施設、虐待家庭等々、どのような空間内でも出来するのである。 

 更に重要なのは、この状況は先の心理学実験や「連合赤軍事件」等を例に出すまでもなく、いつの時代でも、いかなる国家の内部でも出来するということだ。

 テーマ言及から逸脱するので、その内実の説明は避けるが、古くは、17世紀末の「セーレム魔女裁判」を始め、現代の「人民寺院事件」、「太陽寺院事件」、「ブランチ・ダヴィディアン事件」など、カルト的な「箱庭の恐怖」の陰湿なる事件の例は枚挙に暇がないほどである。例えば、ポルポト政権下の「キリングフィールド」の地獄は、国家自体が「箱庭の恐怖」を作り出してしまった典型的なケースであるとも言えるだろう。
 
 従って、本作で描かれた凄惨な事件は、例えそこに、この国の特殊な因子の媒介が垣間見られたとしても、その事件の図式は、決して、「日本人の本来的な精神構造」の問題に収斂されるものではないのである。
 
 敢えて言えば、それは、動物のように本能によって行動することを失ってしまった私たち人間が(食欲と睡眠欲くらいしか本能を持ち得ない)、それに代わって自我という、極めて形成的であるが故に実に頼りない学習的な能力によってしか効率的、且つ、目的的な行動形成を為し得ない脆弱さを本質的に抱えて生きる性(さが)の所産であるだろう(注2)。これはもう、どうしようもないことなのだ。
 
 
(心の風景/人間の本来的な愚かさと、その学習の可能性  より)http://www.freezilx2g.com/2008/11/blog-post_14.html(2012年7月5日よりアドレスが変わりました)