何度観ても、相変わらず馴染めない小津ルールの洪水。
小早川家の亡き長男の嫁、秋子と、小早川家の次女、紀子との会話の不自然さに、またしても大いなる違和感。会話なのに口だけ動いて、切り返しのショットで表情の変化を見せないばかりか、ここでも会話の執拗な反復。
その直後の映像は、送別会における、美女揃いの見本市のような4人組と、男たちの典型的な「相似形の構図」の中で、「雪よ岩よ我等が宿り 俺達ゃ町には住めないからに」という「雪山賛歌」のコーラス。
「御機嫌よう」と紀子が言った後、「元気でね」と紀子の同僚、中西多佳子が言葉を機械的に繋いだ後、「有難う、有難う」と口パクの紀子の同僚、寺本が反応する絵柄の中に、同時に男たち4人がビールを飲むシーンが、これも機械仕掛けの動きの型に嵌った構図の内に自己完結していくのだ。
そして、プラットホームのベンチに、恋模様を穏やかに奏でる風情の若い男女、紀子と寺本が座っている。
「ああ愉快やった。あの連中と会ってると、行きとうのうなくなるわ」
「ずっと長いこと、行ってはりますの?」
「どうなることやら。あんた、都合ついたら、一遍、遊びに来て下さい」
「ええ」
「ほんまですよ」
「ええ」「ああ、愉快やった。嬉しかった。僕も時々手紙出しますけど、あんたも下さいね」
「ええ」
「ああ、愉快やった」
表情の変化を殆ど封印した状態で、「ああ、愉快やった」という言葉が3度反復され、感情交歓の乏しさだけが突出してしまっていた。
会話の執拗な反復は、ラストシーン近くに、止めを刺す場面があった。
造り酒屋で財を成した、中村鴈治郎演じる小早川万兵衛が、昔からの愛人の家で急逝した際、愛人が長女の亭主に事情を説明する場面だが、その説明に長女の亭主が、「そうですか」を4度も繰り返すシーンがそれである。
「小津ルールも極まれり」という状態で、ここまで来ると、さすがに「好みの問題」の域を越えて、大いなる不快感だけが残されるに至った。
成瀬巳喜男の「放浪記」(1962年製作)で、初々しいが、情感の起伏を表現する演技を見せた、寺本役の宝田明は、ここでは完全に、中学生の学芸会の芝居を演じさせられて、同情するに余りあった。
そして、本物のラストシーンへのシークエンスに入っていく。
「なあ、あんた、えらい今日、カラス多いことないか?」
「そやな」
「また、誰ぞ、死んだやろか」
「そうかも知れんな。昨日、火葬場の煙突、煙、出とらんな」
「あ、そやな」
以上の会話は、川で農機具を洗う老いた農夫妻。
その後の描写は、武満徹のシュールなBGMに乗って、遺族一同が相似形の構図の中で、焼却炉から立ち上る白煙をいつまでも凝視しているシーン。
その焼却炉の白煙を仰ぎ見て、先の農夫妻の会話が繋がれる。
「なあ、あんた。やっぱり誰ぞ、死んだんやわ。煙、出とるわ」
「ああ、出とるなあ」
「爺様や婆様やったら大事ないけど、若い人やったら可愛そうやな」
「けど、死んでも、死んでも、後から後から、先繰り(順繰り・筆者注)、先繰り生まれて来るわ」
「そうやな。よう、でけとるわ」
結局、この台詞を言わせたいための映像だった。
当時の、ごく普通の日本人の、ごく普通の死生観と添い寝するように、小津もまた残り少ない仕事の中で、これだけは言っておきたいと思わせるメッセージを記録したかったのだろうか。
木橋を渡る遺族が一列のラインを成して、喪服の黒で統一された葬送のシーンの鮮烈さ。
静謐だが、全く小津映画に馴染まない、武満徹のシュールなBGMがその心象をなぞっていって、日本人の最も厳かな儀式を再現して見せた。
しかし、映像を観る者は、既にこの時点で、死肉を漁るカラスというベタな描写を提示された挙句、殆ど屋上屋を架すかの如き農夫妻の会話を、2度も見せつけられているのだ。
ラストの葬送のシーンに象徴される、凝りに凝った様式美の鮮烈さと、農夫妻の会話のベタな描写の顕著な落差感は、明らかに映像の完成度を貶めているだろう。そう思わざるを得ない違和感だけが、印象深く置き去りにされてしまったのである。
(人生論的映画評論/小早川家の秋('61) 小津安二郎 <映像作家としての、そこだけは変えられない表現世界の癖> 」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2009/11/61.html
小早川家の亡き長男の嫁、秋子と、小早川家の次女、紀子との会話の不自然さに、またしても大いなる違和感。会話なのに口だけ動いて、切り返しのショットで表情の変化を見せないばかりか、ここでも会話の執拗な反復。
その直後の映像は、送別会における、美女揃いの見本市のような4人組と、男たちの典型的な「相似形の構図」の中で、「雪よ岩よ我等が宿り 俺達ゃ町には住めないからに」という「雪山賛歌」のコーラス。
「御機嫌よう」と紀子が言った後、「元気でね」と紀子の同僚、中西多佳子が言葉を機械的に繋いだ後、「有難う、有難う」と口パクの紀子の同僚、寺本が反応する絵柄の中に、同時に男たち4人がビールを飲むシーンが、これも機械仕掛けの動きの型に嵌った構図の内に自己完結していくのだ。
そして、プラットホームのベンチに、恋模様を穏やかに奏でる風情の若い男女、紀子と寺本が座っている。
「ああ愉快やった。あの連中と会ってると、行きとうのうなくなるわ」
「ずっと長いこと、行ってはりますの?」
「どうなることやら。あんた、都合ついたら、一遍、遊びに来て下さい」
「ええ」
「ほんまですよ」
「ええ」「ああ、愉快やった。嬉しかった。僕も時々手紙出しますけど、あんたも下さいね」
「ええ」
「ああ、愉快やった」
表情の変化を殆ど封印した状態で、「ああ、愉快やった」という言葉が3度反復され、感情交歓の乏しさだけが突出してしまっていた。
会話の執拗な反復は、ラストシーン近くに、止めを刺す場面があった。
造り酒屋で財を成した、中村鴈治郎演じる小早川万兵衛が、昔からの愛人の家で急逝した際、愛人が長女の亭主に事情を説明する場面だが、その説明に長女の亭主が、「そうですか」を4度も繰り返すシーンがそれである。
「小津ルールも極まれり」という状態で、ここまで来ると、さすがに「好みの問題」の域を越えて、大いなる不快感だけが残されるに至った。
成瀬巳喜男の「放浪記」(1962年製作)で、初々しいが、情感の起伏を表現する演技を見せた、寺本役の宝田明は、ここでは完全に、中学生の学芸会の芝居を演じさせられて、同情するに余りあった。
そして、本物のラストシーンへのシークエンスに入っていく。
「なあ、あんた、えらい今日、カラス多いことないか?」
「そやな」
「また、誰ぞ、死んだやろか」
「そうかも知れんな。昨日、火葬場の煙突、煙、出とらんな」
「あ、そやな」
以上の会話は、川で農機具を洗う老いた農夫妻。
その後の描写は、武満徹のシュールなBGMに乗って、遺族一同が相似形の構図の中で、焼却炉から立ち上る白煙をいつまでも凝視しているシーン。
その焼却炉の白煙を仰ぎ見て、先の農夫妻の会話が繋がれる。
「なあ、あんた。やっぱり誰ぞ、死んだんやわ。煙、出とるわ」
「ああ、出とるなあ」
「爺様や婆様やったら大事ないけど、若い人やったら可愛そうやな」
「けど、死んでも、死んでも、後から後から、先繰り(順繰り・筆者注)、先繰り生まれて来るわ」
「そうやな。よう、でけとるわ」
結局、この台詞を言わせたいための映像だった。
当時の、ごく普通の日本人の、ごく普通の死生観と添い寝するように、小津もまた残り少ない仕事の中で、これだけは言っておきたいと思わせるメッセージを記録したかったのだろうか。
木橋を渡る遺族が一列のラインを成して、喪服の黒で統一された葬送のシーンの鮮烈さ。
静謐だが、全く小津映画に馴染まない、武満徹のシュールなBGMがその心象をなぞっていって、日本人の最も厳かな儀式を再現して見せた。
しかし、映像を観る者は、既にこの時点で、死肉を漁るカラスというベタな描写を提示された挙句、殆ど屋上屋を架すかの如き農夫妻の会話を、2度も見せつけられているのだ。
ラストの葬送のシーンに象徴される、凝りに凝った様式美の鮮烈さと、農夫妻の会話のベタな描写の顕著な落差感は、明らかに映像の完成度を貶めているだろう。そう思わざるを得ない違和感だけが、印象深く置き去りにされてしまったのである。
(人生論的映画評論/小早川家の秋('61) 小津安二郎 <映像作家としての、そこだけは変えられない表現世界の癖> 」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2009/11/61.html