エレファント・マン('80) デビット・リンチ  <特定的に選択された、「無垢なる障害者」>

  時は19世紀末。場所は、英国ロンドンの見世物小屋

 そこに、「エレファント・マン」と呼ばれる容貌怪異な人間がいた。警察の取締りで見世物小屋の小屋主が、厳重な注意を受けている現場に、そこを訪ねたトリーブスは立ち合った。彼はロンドン病院の外科医であり、「エレファント・マン」に強い関心を抱いていたのである。

 後日、再訪した彼は、「礼は充分にする」という約束で、小屋主のバイツから「エレファント・マン」の観察を許された。
 
 「この化け物の哀れな母親が辿りし運命や、まさに然り。妊娠4ヶ月の身重で、野性の象に撥(は)ねられたのです。アフリカ某所の出来事でありました。その結果はご覧の通り。皆さん、忌まわしき『エレファント・マン』です・・・」
 
 この小屋主の口上で、「エレファント・マン」と呼ばれる男の姿が映し出されて、それをまじまじと見たトリーブスの眼から、自然に涙の粒が流れ落ちてきた。トリーブスはバイツと話をつけて、学術的な研究目的のために、「エレファント・マン」を一時(いっとき)譲り受けることになったのである。
 
 頭からマスクを被された男が、小さな唸り声を上げて、ロンドン病院のトリーブスの元に連れられて来た。トリーブスはマスクの相手に自分の目的を話したが、相手からの反応は見られなかった。その部屋を訪れた同僚の医師に、トリーブスは、「学会で発表するよ。絶対口外しないでくれ」と念を押し、再びマスクの男の元に戻って来た。男は相変わらず唸り声を上げるのみだった。
 
 学会の発表の日。

 トリーブスは出席した医師たちの前で、本人の体を指し示しながら研究発表を進めていく。しかし映像を観る者には、まだカーテン越しのシルエットしか見えないが、その奇形の現実を、却ってより重々しく想像させるものとなった。

 「彼は英国人です。21歳。名はジョン・メリック。職業柄私は、病気や外傷で変形した顔を沢山見てきましたし、同様の原因で切断された肉体も知っております。しかしこの男性ほどの悲惨な変形例は初めてです。では患者の具体的な症状を説明しましょう。

 まず頭蓋骨の極度の肥大。使用不能の右上膊(はく=上腕)部。大きく湾曲した脊柱。たるんだ皮膚。身体の90%を覆った様々な腫瘍。これらは出生の時から見受けられ、悪化してきたのです。

 また気管支炎も患っています。更に興味あることに、この異様な状態にも拘らず、患者の生殖器は完全無欠です。また左腕も正常です。これらの諸症状、即ち、先天性頭蓋骨肥大、皮膚全面を覆った巨大な腫瘍、右上膊部の極端な肥大、頭部の巨大な変形、冠状腫瘍などにより、患者は『エレファント・マン』と呼ばれてきました」

 トリーブスは講演後、同僚に「彼の精神面は?」と聞かれ、「知能はない。多分、先天性の白痴だ」と答えている。
 
 ジョン・メリック。

 これが、「エレファント・マン」と呼ばれた男の本名だった。

 そのメリックは再び見世物小屋に戻されたが、バイツの殴打が原因で発病したことで、トリーブスの病院に引き取られることになった。治療の見込みのない入院に疑問を持つ院長の質問に対して、トリーブスは「慢性的な気管支炎と、殴打による身体疾患」を理由にして、何とか例外的に入院の継続を認めさせようと努めたのである。

 しかし、一時的な秘密の入院は、看護婦を恐怖に陥れ、トリーブスがフォローするというエピソードを生むが、彼以外の庇護がない状態は変わらなかった。

 苛立つトリーブスは、メリックと必死にコミュニケーションをとろうとして、次々に発問していく。その結果、頷くメリックに最低限の理解能力があると考えたトリーブスは、はっきりと言い放ったのである。 
 
 「何か喋って、人間だということを証明するんだ。何か喋って、聞かせてくれ。私は君を殴ったりしない。君の声を聞きたいんだ。ゆっくり“はい”と言って。“はい”だ」
 「はい」
 
 メリックは、初めて言葉を放ったのである。

 更に、トリーブスは、メリックに自分の言葉を真似るように要求し、「こんにちは。僕は」と言ってみた。
 「こんにちは。僕は・・・」とメリックはゆっくり答え、次に自分の名を答えて見せたのである。メリックに会話能力があることが検証されたのだ。
 
 「御名のために、正しき道に導きたもう。正しき・・・」

 メリックは、トリーブスによって聖書を暗誦している。院長との初対面のためである。まもなく院長が、メリックの部屋に入って来た。

 「こんにちは、メリックです。お会いできて嬉しいです」
 「具合はどうだね?」
 「よ、良くなりました」
 「居心地は?」 
 「皆さん、とても親切で・・・」
 「気管支炎は?」
 「良くなりました」
 
 そこに形式的な会話が交わされたが、院長は、メリックの反応がトリーブスによる練習の成果であることを見抜いて、指摘した。
 
 「どの位、練習したんだね?」
 
 院長は同じ言葉を繰り返すメリックに失望して、部屋を出て行った。院長を追いかけたトリーブスは、必死に弁明を繰り返すが、「ここには置いておけない」と返された。トリーブスが諦めて、部屋に入ろうとしたときだった。

 部屋の中から、彼が教えてもいない聖書の言葉が聞こえてきたのだ。メリックは既に、聖書を読み込んでいたのである。トリーブスは院長を呼び戻して、二人で部屋に入っていく。
 
 「なぜ、後(あと)を知っているんだ?」とトリーブス。
 「どうしてだろう?」と院長。
 「毎日、聖書を読んでいました。祈祷書もよく知っています。23篇は美しいので好きです」とメリック。
 「なぜ黙っていた?」とトリーブス。
 「喋るのが怖かったんです・・・済みません」とメリック。

 まもなく院長室に呼ばれたトリーブスは、院長に尋ねられた。

 「彼の人生を想像できるかね?」
 「できます」
 「できるもんか。どこの誰にもできる訳がない」
 
 院長は既に、メリックの入院の継続を決断したのである。まさにそれは、メリックの振幅の大きい、禍福に富んだ運命の時間が開かれた瞬間だった。
 

(人生論的映画評論/エレファント・マン('80) デビット・リンチ   <特定的に選択された、「無垢なる障害者」>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/11/80_27.html