「イスラエル占領下のゴラン高原。若き娘モナがシリア側へ嫁いでゆく一日の物語。一度境界を越えてしまうと、もう二度と愛する家族のもとへは帰れない。それでも、女たちは未来を信じ、決意と希望を胸に生きてゆく」(『シリアの花嫁』公式サイト)
これが、本作の骨子である。
その歴史的背景を簡潔に書いておく。
かつてシリア領だったゴラン高原が、イスラエルに占領されて一方的に併合されたのは、第三次中東戦争(1967年)によってである。
現在に至っても、イスラエル領土と認知されていないゴラン高原は、単に実効支配地域であるが故に、「軍事境界線」によってシリアから分断された状況が常態化されていて、そこに居住するシリア人はイスラエル国籍を拒否し、「無国籍」の民となっている。
そんな「無国籍」の民である一つの家族の悲哀を、官僚主義批判のスパイスを効かせて、ユーモア含みで描き切ったのが本作である。
エラン・リクリス監督は、来日会見で語っている。
「花嫁はシリア側へ渡ると、二度とイスラエル側に入ることはできません。とても悲しい結婚式です。このような結婚式は年に3~4回行われます。私がゴラン高原に行ったちょうどその日に、いつもと違う出来事が起こりました。イスラエル側の通行手続きの変更により、結婚式がその場でキャンセルになったのです。中東で起きている様々な出来事を包括するような出来事であると感じました」(監督来日レポート < シリアの花嫁)
更に、エラン・リクリス監督は、他のインタビューでも語っていた。
「人生はたくさんのガッカリと、少しの希望からできている。だから、過酷な現実を映し出す一方、超現実的な場面も用意した。異なる要素を正しいバランスで見せることが大切なのだと思います」(2009年2月6日 読売新聞)
「人生はたくさんのガッカリと、少しの希望からできている」という言葉に、全く異議はない。
「異なる要素を正しいバランスで見せる」というスタンスにも、異議はない。
ところで、「少しの希望」を象徴するのは、花嫁が「境界突破」の意を決して、単身で、花婿が待つシリア側の領土に向かって歩き出して行くラストシーンである。
そこに至るまでの、官僚的な事務処理の愚昧さを抉ったプロットラインを説明しておく。
要約すれば、以下の通り。
花嫁のパスポートに押されてある、イスラエルの出国スタンプを視認したシリア検問所の係官が、ゴラン高原がイスラエル領として確認するようなパスポートを受領できないという問題が生じたことで、国際赤十字のジャンヌは、イスラエル側とシリア側を繰り返し往復するに至った。
その結果、シリア側の係官が提示したアイデアは、出国スタンプを修正液で塗り潰すという突飛なものだった。
イスラエルの係官は、その突飛なアイデアを受容してスタンプを塗り潰すが、あろうことか、シリア側の係官が既に交代していて、当然、「事情の引き継ぎ」が行われていないので、折角のジャンヌの努力も元の木阿弥。
有名なコメディアンである結婚相手が住むシリアに行けば、2度と帰って来ることができない状況下で、殆ど有無を言わせず選択せざるを得なかったであろう(?)、「写真結婚」の具現を覚悟しての花嫁モナは、イスラエル側が用意してくれた椅子に座って、長時間待機させられるばかり。
「軍事境界線」での、花嫁モナとの今生の別れを惜しんで、モナの家族が思い思いに情感を交叉させるが、事態の停滞に苛立つしかなかった。
遂に、ジャンヌのギブアップ宣言。
そのときだった。
突然、モナの姿が見えなくなった。
何と花嫁モナは、シリア側の境界に向かって歩き出して行くのだ。
しかし、このラストシーンには最終的な結末がない。
映像は敢えて、それを描かなかったのである。
一切は、観る者の判断に任せたのだ。
要するに、エラン・リクリス監督は、「境界突破」を遂行しようとするヒロインのモナを、ハリウッド的な映像文脈の中に堂々と立ち上げて、「奇跡的勝利」の大団円を描くことを拒んだのである。
だからそれは、或いは、銃殺されるかも知れない「悲劇」をも予感させる閉じ方であったと言えるだろう。
「境界突破」の意を決して歩き出して行く花嫁の、果敢な「進軍」の結末を描かずにエンドロールに流れていったのだ。
やはりそれは、どこまでも、「少しの希望」でしかないからである。
これが、本作の骨子である。
その歴史的背景を簡潔に書いておく。
かつてシリア領だったゴラン高原が、イスラエルに占領されて一方的に併合されたのは、第三次中東戦争(1967年)によってである。
現在に至っても、イスラエル領土と認知されていないゴラン高原は、単に実効支配地域であるが故に、「軍事境界線」によってシリアから分断された状況が常態化されていて、そこに居住するシリア人はイスラエル国籍を拒否し、「無国籍」の民となっている。
そんな「無国籍」の民である一つの家族の悲哀を、官僚主義批判のスパイスを効かせて、ユーモア含みで描き切ったのが本作である。
エラン・リクリス監督は、来日会見で語っている。
「花嫁はシリア側へ渡ると、二度とイスラエル側に入ることはできません。とても悲しい結婚式です。このような結婚式は年に3~4回行われます。私がゴラン高原に行ったちょうどその日に、いつもと違う出来事が起こりました。イスラエル側の通行手続きの変更により、結婚式がその場でキャンセルになったのです。中東で起きている様々な出来事を包括するような出来事であると感じました」(監督来日レポート < シリアの花嫁)
更に、エラン・リクリス監督は、他のインタビューでも語っていた。
「人生はたくさんのガッカリと、少しの希望からできている。だから、過酷な現実を映し出す一方、超現実的な場面も用意した。異なる要素を正しいバランスで見せることが大切なのだと思います」(2009年2月6日 読売新聞)
「人生はたくさんのガッカリと、少しの希望からできている」という言葉に、全く異議はない。
「異なる要素を正しいバランスで見せる」というスタンスにも、異議はない。
ところで、「少しの希望」を象徴するのは、花嫁が「境界突破」の意を決して、単身で、花婿が待つシリア側の領土に向かって歩き出して行くラストシーンである。
そこに至るまでの、官僚的な事務処理の愚昧さを抉ったプロットラインを説明しておく。
要約すれば、以下の通り。
花嫁のパスポートに押されてある、イスラエルの出国スタンプを視認したシリア検問所の係官が、ゴラン高原がイスラエル領として確認するようなパスポートを受領できないという問題が生じたことで、国際赤十字のジャンヌは、イスラエル側とシリア側を繰り返し往復するに至った。
その結果、シリア側の係官が提示したアイデアは、出国スタンプを修正液で塗り潰すという突飛なものだった。
イスラエルの係官は、その突飛なアイデアを受容してスタンプを塗り潰すが、あろうことか、シリア側の係官が既に交代していて、当然、「事情の引き継ぎ」が行われていないので、折角のジャンヌの努力も元の木阿弥。
有名なコメディアンである結婚相手が住むシリアに行けば、2度と帰って来ることができない状況下で、殆ど有無を言わせず選択せざるを得なかったであろう(?)、「写真結婚」の具現を覚悟しての花嫁モナは、イスラエル側が用意してくれた椅子に座って、長時間待機させられるばかり。
「軍事境界線」での、花嫁モナとの今生の別れを惜しんで、モナの家族が思い思いに情感を交叉させるが、事態の停滞に苛立つしかなかった。
遂に、ジャンヌのギブアップ宣言。
そのときだった。
突然、モナの姿が見えなくなった。
何と花嫁モナは、シリア側の境界に向かって歩き出して行くのだ。
しかし、このラストシーンには最終的な結末がない。
映像は敢えて、それを描かなかったのである。
一切は、観る者の判断に任せたのだ。
要するに、エラン・リクリス監督は、「境界突破」を遂行しようとするヒロインのモナを、ハリウッド的な映像文脈の中に堂々と立ち上げて、「奇跡的勝利」の大団円を描くことを拒んだのである。
だからそれは、或いは、銃殺されるかも知れない「悲劇」をも予感させる閉じ方であったと言えるだろう。
「境界突破」の意を決して歩き出して行く花嫁の、果敢な「進軍」の結末を描かずにエンドロールに流れていったのだ。
やはりそれは、どこまでも、「少しの希望」でしかないからである。
(人生論的映画評論/シリアの花嫁('04) エラン・リクリス <「境界突破」の果敢な「進軍」 ―― 「少しの希望」を象徴するもの>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2010/12/04.html