父の祈りを('94) ジム・シェリダン <塀の中での「父と子の葛藤と和解」、そして「再生」の物語>

 原作にはない、父と子が獄中で同室になるという創作を仮構したことでも分るように、本作の作り手は明らかに、この映画の主題を「父と子の葛藤と和解」、そして冤罪でありながらも、看守に対しても律儀に対応する、その一貫して変らぬ父の誠実な生き方と、その死を些か眩く照射することで、「自堕落な息子の真の再生」に据えていることが了解し得るだろう。

 それらは、父子の会話の中に、集中的に表現されていた。

 父の名はジュゼッペ・コンロン。

 息子の名はジェリー・コンロン。

 拘置所での父と子。

 「俺はワルだ。だから、皆に迷惑をかけるのさ。何もこんな所まで追って来ることはないだろう。わざと追って来たのか!」

 父と出会って興奮する息子の右の頬を、父が打った。

 「やれよ!もっと強く殴れ!」

 今度は腹を打つ父。その力は強くない。

 「思い切り、俺を殴りつけろ!親父らしく殴ったらどうだ」

 父は息子の頸を両手で押さえ、静かに宥(なだ)めた。

 「もういい。気持ちを静めろ。心配するな。こんな所はすぐ出られる」

 嗚咽し、父に抱擁を求める子。

 仮に、この映画の主題を、「冤罪への糾弾」という限定的なテーマにのみ収斂されていたならば、長い刑務所生活を通して、落ち着いた振舞いを崩さない父の印象的な態度を、冤罪に至る公判のシークエンスの大部分を省略してまで、繰り返し、そこだけは眩いように見せる描写の挿入は存在しなかったはずである。

 それは、父の死によって、息子の再審への戦いによる「再生」という、一連のシークエンスに繋がったことでも検証されるだろう。

 明らかに、この映画の推進力は父親である。

 父の死後、家族を思う父の思いが息子を突き動かしているのだ。

 カトリック教徒としての厳格な教えを守る父には、その教えを息子に対する厳しさのうちに身体表現したことで、息子が不良化していったことに責任を感じていたに違いない。

 それは、先の会話の中で、少年期に味わった「父の冷淡さ」を非難する、息子の激しい物言いのうちにも拾われていた。

 そんな息子に対する父の責任感が、最悪の事件(注)の首謀者としての獄中生活を強いられた、不運な息子へのアプローチのベースにあると思われる。


(注)IRA暫定派によって、ロンドンで遂行されたギルフォード事件がモデル。

 因みに、原作の「父の祈りを」(グリー・コロン著)の訳者あとがきには、以下の報告あり。

 「武力によってアイルランド共和国との統合をめざす、カトリック系過激組織アイルランド共和軍(IRA)が1969年からテロ活動を展開した。1991年2月には、1969年以降の一般市民の犠牲者は2千人に達し、兵士や警官を含めると3千人を越えている」(「父に祈りを」グリー・コロン著 水上峰雄訳 集英社文庫・「訳者あとがき」より)


(人生論的映画評論/父の祈りを('94)  ジム・シェリダン塀の中での「父と子の葛藤と和解」、そして「再生」の物語>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2010/12/blog-post.html