愛と喝采の日々('77) ハーバート・ロス <激しい炸裂の「直接対決」が生んだ和解の凄味 ―― 或いは、「人生の選択」の持つ固有の重量感>

 1  ディーディー



 ディーディーが住むオクラホマ・シティに、アメリカン・バレエ団が公演のためやって来た。

 ディーディーは、元アメリカン・バレエ団のダンサーであったが、恋人のウェイン・ロジャースとの結婚を選択することで、バレエ団を退団するという経緯を持っていた。

 ウェインとの子を妊娠していたからである。

 そんなロジャース一家は、オクラホマ・シティでのアメリカン・バレエ団の公演を観に行った。

 とりわけ、ディーディーは、今なおバレエを続けるエマのステージに感激するが、心中は穏やかな気分ではなかった。

 「無理に楽屋に行くことはない」

 そう言って、ウェインは妻に配慮するが、ディーディーは楽屋を訪れた。

 そこで昔馴染みのアデレイド(バレエ団の現オーナーで、かつてのダンサー)、マイケル(振付師)らと再会した後、かつてのライバルであり、今も現役を続けるエマと20年ぶりの再会を果たす。

 二人の再会時の会話。

 「教えて。今のあなたの人生」とディーディー。
 「踊るだけ。稽古して、リハーサルして、舞台に出て、ホテルに帰るの」とエマ。

 20年という時間の空白を物語る、呆気ない内実だった。

 ディーディーの自宅でのパーティーでの、二度目の会話。。

 「踊り子の足の醜いこと」とディーディー。
 「男なら、足を地に着けられるのよ。子供と踊りと、両方望めるの」とエマ。
 「何人欲しい?」
 「あなたと同じ3人」
 「ウェインのような主人と」
 「あなたは運がいいわ」
 「入れ替わりたい?あなたにはできないわ。鈍い子たちを教えて。バレエ団も滅多に来ない町に住むなんて。望み通りの人生を選んだのよ」
 「あなたもね」
 「私は違う。あなたがいたからよ」
 「どうして?」
 「自信があるから、そういう言い方ができるのよ」
 「何が言いたいの?」
 「マイケルがアンナ・カレーニナを振り付けたとき・・・」
 「ええ、覚えてるわ」
 「アンナの候補は?」
 「あなたと私」
 「それで?」
 「あなたは身籠った」
 「あなたは19回のカーテンコール」
 「だから、恨んでるの?私と入れ替わりたいの?19回のカーテンコールなんて、もうないのよ。私にはもうないの」

 二人の長い会話の中に、本音を漏らす隙が生まれていたが、ディーディーの尖りはまだ封印されていた。



 2  エミリア



 「ディーディーとウェインが生んだ傑作ね」

 エミリアのバレエの入団テストを見て、エマが思わず漏らした一言。

 両親の才能を受け継ぐエミリアの心中には、バレリーナへの夢が膨らんでいたのである。

 以下、本作の重要な伏線になる、親子の会話が拾われていた。

 「二つ質問していい?競争は怖くないけど、私、どこまでやれる?」とエミリア
 「お前の才能次第だ」と、父のウェイン。
 「才能ある?」
 「あるよ。それから?」
 「続けるべきか、今、決めるべき?」
 「どうして?」と、母のディーディー。
 「切り捨てるものもあるから」
 「そのとき考えればいい。今、一番したいことをしろ」と父。
 「それが分ればね」と母。
 「よく分ってるわ」
 「何だ?」と父。
 「踊ること」
 「じゃ、踊れ」と父。

 笑みを返す娘。

 その直後のシーンは、映画の主要舞台となるニューヨークに拠点を置く、アメリカン・バレエ団での練習風景。

 エミリアの素質に注目したエマの勧めもあって、エミリアは意を決して、アメリカン・バレエ団への入団を果たしたのである。

 「体に鞭打ってきたわ。体も遂に反抗を始めたの。思う通りに動いてくれない。動けないのよ。でも、まだ気持ちは酔えるの・・・」

 若いエミリアの可能性を想像したのか、エマはディーディーに自分が置かれた現実の厳しさを吐露した。

 彼女は既に、若い振付師に、「作品は、スターへの贈り物ではない」と言われていたのだ。

 一方、アメリカン・バレエ団付属バレエスクールでレッスンに励むエミリアは、、程なく、プレイボーイのロシア人ダンサーのユーリと恋愛関係に陥り、呆気なく一線を越えていくが、他の踊り子に眼を移すユーリとの関係破綻によって、失恋の憂き目に遭うのも早かった。

 若い振付師との確執や、失恋の鬱憤をアルコールで癒すエミリアは、酩酊の状態で「ジゼル」を踊るのだ。

 それを視認したエマは、エミリアの将来を思い、個人指導や激励による手厚いサポートを施していく。

 「25周年ギャラ公演」の主催が開かれ、エマは「アンナ・カレーニナ」を熱演し、エミリアもまた役を貰うに至った。

 その際、衣裳を娘に贈るエマを見て、娘エミリアに対してエマが急接近している現実を知り、母親としての保護意識で、NYに付き添いで来ていたディーディーの心中は穏やかでいられなかった。

 まもなく、ディーディーの内側で封印されていた感情が、エマに対して噴き上げていくのである。


(人生論的映画評論/愛と喝采の日々('77) ハーバート・ロス <激しい炸裂の「直接対決」が生んだ和解の凄味 ―― 或いは、「人生の選択」の持つ固有の重量感> 」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2010/06/77.html