妻よ薔薇のやうに('35)  成瀬巳喜男   <「人は皆、心ごころ」の世界を泳ぎ抜く>

 山本君子。

 東京丸の内のオフィス街に勤める女性である。ネクタイを締め、斜めに帽子を被るその装いは、典型的なモダンガールのスタイルを髣髴させる。

 時は昭和ひと桁代。

 満州事変を経ても、未だ中国への本格的な侵略戦争を開始していないこの国の当時の世相は、この映像で見る限り、信じられないくらいの落ち着きを見せている。現代にも地続きなその近代的な雰囲気は、とても世界恐慌のダメージを受けた国の暗鬱な空気感を感じさせない程である。それは、本作の主人公である君子という未婚の女性のイメージが作り出した明るさに因っているのかも知れない。
 
 彼女には女流歌人である母、悦子がいて、今は同居していない父、俊作がいる。だから現在二人暮しの女所帯は寂しさをイメージさせるが、娘の明るさと、母の自立心の強さが相俟って、そこには暗鬱な雰囲気がまるで感じられないのである。
 
 そんな母娘が、時として沈んだ気分に陥ることがある。

 同居していない父から毎月、郵便為替が送られて来るときだ。
 そこには、母娘が毎月何とか暮らせる程度の現金が封入されている。しかし、父からの手紙らしきものが全く同封されていないのだ。いつも最初に封を開ける母の悄然とした表情が映し出されて、そんな母の顔を見る娘の思いも複雑である。
 
 「お父さん、一言くらい何とか書いてよこしてもいいと思うわ」
 
 その夜、母の兄に当る叔父の新吾の家を、君子が訪ねた。

 「・・・叔父さんとよく相談してね、お父さんを早く呼び戻すようにしなきゃだめよ」

 そう言って、叔母は出かけて行った。

 「ねぇ叔父さん、別にあたし、母さんを非難するわけじゃないけど、お父さんが家にいる間はどうしたって、お母さんがそんなに思っているようじゃなかったわ。外から帰って来たって、別に着物の面倒をみてあげる訳じゃない。ろくに口だってきかない。まあ、いい奥さんじゃなかったと思うわ」
 「じゃあ、俊さんはどうなんだね。妾に子供までこしらえて、十年も十五年も女房や子供をうっちゃらかしているじゃないか」
 「だからあたし、お父さんだっていい夫だとは思わないわ」
 「そうだよ、そこで相談なんだよ。それに第一、お前と精二君の話だって早くまとめなきゃ、困るだろ?」
 「あたしのことはどうでもいいんだけど・・・」
 「上手く言ってらぁ。腹にないこと、言うもんじゃないよ。お前もお母さんみたいに、歌でも詠むか」

 会話の流れには沈鬱な空気感がないが、その内容は結構切実である。君子の父は明らかに家を出奔し、信州の田舎町で妾を作って生活しているらしい。しかも、子供まで儲けているというのだ。

 一方、君子には精二という恋人がいて、その縁談がまとまりつつあったが、ネックは父の存在だった。だから、父を東京の本宅に呼び戻そうという相談だったが、なかなか埒が明かないのである。

 そんな叔父夫婦は相当の趣味人で、叔母の外出理由は麻雀のため。そして残された叔父は義太夫に凝って、相談後も君子を相手に熱唱している。趣味といえば、君子の母の短歌は新聞に掲載されるくらいの評価を受けているが、精二の話だとその歌の内容は、夫に対する恋歌であるらしい。君子もそれを理解しているが、母の普段の言動との落差を感じてしまうのである。そんな戦前の空気を感じさせない展開が、映像を深刻な内容に流していかないのだ。

 恋人の精二が君子の家にやって来て、一頻り彼女の母と芸術談義を交わしたが、二人はそのあと東京の街を円タク(注1)を使って外出した。東京の閑静な佇まいがこの国の戦前の風景を映し出すが、さすがに街路は車の洪水にはなっていない。

 円タクの中での、二人の会話。

 「母さんも気の毒ね。決して悪い人じゃないわ。悪いどころか、とてもいい人間なのよ」
 「ただ、損な性質(たち)なんだね」
 「そうよ。だから余計気の毒にも思うの。男なんて奥さんに甘えてもらったり、妬いてもらったりしてもらいたいものなのね。時には母親に甘える子供みたいにもなりたいのよ。そんなときに、奥さんも母親みたいに旦那様の面倒を見て上げなきゃいけないんだわ。でも、母さんにはそれができないのね。知らないんじゃないの。知ってて、できないのね」
 「なかなか、研究したんだね」
 「ふふふふ、私はいい奥さんになる自信があるのよ。あんたになんか、ちょっともったいないような。ふふふ・・・あっ!お父さん!」

 君子は恋人に自慢げに話した後、一瞬窓外に父の姿を確認し、円タクを降りた。しかし父は見つからなかった。

 それでも、君子は父が今日こそ帰宅すると信じて、父をもてなす食材を買うことを決めていた。ところで、君子が目撃したと信じる父は、その日、確かに上京していたのである。君子の眼に狂いはなかったのだ。君子の父の俊作は、そのとき偶然、君子の叔母と遭遇して困惑していたのである。
 

(注1)市内の特定地区を一円均一で走ったタクシーのことで、大正末期に大阪で登場したのを機に、まもなく東京でも営業を開始するに至った。


 その夜、君子は一生懸命に夕餉の支度をしていた。そんな娘の甲斐甲斐しい振舞いをよそに、事情を知らない母の頭の中は歌のことばかり。そんな母に、君子は「今日はとっても素敵なことがあるのよ」と謎をかけるようない言い方をした。しかし七時を回っても、父の帰宅は実現しなかった。
 
 「どうしたの?素敵なことっていうのは、何なの?」と母。

 君子は、その母の問いにまだ答えられない。不安があるからだ。九時を回っても、父は来なかった。

 君子は更に問い質す母に対して、思い切って父のことを話そうとした。丁度そのとき、玄関の開く音が聞こえた。君子の顔に笑みが覗いたが、その喜びは束の間だった。訪ねて来たのは、叔父の新吾だった。

 ご馳走を見た叔父は、思わず口に出した。

 「ああ、俊さんが帰って来たんで、ご馳走なんだね。どうしたね、俊さんは?」
 「叔父さん、どうして?」と驚く君子。

 母の悦子はもっと驚いている。叔父は、自分の妻が俊作と会った事実を実妹に話したのである。

 「何だ、帰ってないのか」と叔父。
 「お父さん、あんまりだわ」と君子。
 「でも、お忙しい御用で東京に出ておいでになったんだろ。遅くにでもお寄りになるかも知れないよ」

 母の悦子はそう反応するが、悄然とした感情を捨て切れないその表情は隠しようがなかった。

 「そんなって、そんなってありませんわ。東京にいらしたら、すぐにでも家に寄って下さるのが本当ですわ」

 君子もまた、悄然としている。

 そんな母娘に聞こえるように、叔父は一人で語りかけていく。
 その内容は、俊作が体一つで帰宅すれば、万事上手くいくということ。相手の妾が芸者上がりの女で、その関係がいつまでも続く訳がないと考えているのだ。その証拠に、毎月送金してくることが俊作の誠意の表れであると見ているのである。
 
 

(人生論的映画評論/妻よ薔薇のやうに('35)  成瀬巳喜男   <「人は皆、心ごころ」の世界を泳ぎ抜く>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/12/35.html