七人の侍('54)  黒澤 明 <黒澤明の、黒澤明による、黒澤明のための映画>

 「待て、待て!去年の秋、米をかっさらったばかりだ。今行っても、何にもあるめぇ」
 「ようし!麦が実ったら、また来るべぇ!」
 
 野伏せりたちは、今年も蹄(ひづめ)の轟と共にやって来た。

 しかし麦の収穫にはまだ早かった。彼らは村を襲うことを確認して、その場を去って行く。

 そして、その言葉を隠れ聞きした一人の農民が村に戻って、迫り来る危機を伝えたのである。

 村人は一箇所に集まって、その対策を話し合っていた。去年のこともあって、村人の中に諦めのムードが漂っていて、泣き出す農婦もいた。

 そんな中で、一人の若い村人が立ち上がり、檄を飛ばしたのである。
 
 「皆、突っ殺すだ!二度と来ねえように、皆、突っ殺すだ!」

 声の主は利吉(りきち)。彼だけは戦う気持ちでいた。しかし、他の村人は違っていた。

 「おら、やだ!」と与平。かなりの年配である。
 「できねえ相談だ、そんなこたぁ」と万造。村のリーダーらしき男である。
 
 以下、利吉と万造の激しい議論が続いていく。
 
 「自分の家の牛は突っ殺せるが、野伏せりは突き殺せねってのか」
 「野伏せりと戦って、十に一つも勝ち目はねぇ。負けたときはどうなる?村中皆殺しだぞ!腹ん中の赤ん坊まで、突っ殺されるれだぞ!」
 「もう沢山だ!このまま生きていくよりも、いっそ一思いに、突っ込ますか、突っ込まされるかだ!」
 「百姓には、我慢するしか方法がねぇだよ。長(なげ)えものには捲かれるだよ。野伏せりが来たら、おとなしく迎えるだよ。麦も黙って渡すだ。そして、おらたちが何とか生きていかれるだけ残していってもらうだ。それだけは、何としても、地べたに額を擦(こす)り付けても頼むだよ」
 
 結局、議論に結論が出なかった。

 そこで村人は、長老である儀作(ぎさく)の元に集まって、その意見を聞くことにした。
 
 「やるべし!」

 それが儀作の答えだった。長老は、侍を雇って共に戦うべきだと言うのである。それに反発する万造に対して、長老は言い切った。

 「おらぁ、この眼で見ただよ。おめぇらの生まれた村が焼かれたときのことだ。この土地さ、逃げて来るときに見ただ。燃えていねぇのは、侍を雇ったその村だけだった」

 更に反論する万造に、長老は改めて言い切った。

 「腹の減った侍探すだよ。腹が減りゃぁ、熊だって山降りるだ」
 
 これで全て決まった。万造は、利吉、与平、茂助を伴って、“空腹の侍”を捜す旅に出たのである。



(人生論的映画評論/七人の侍('54)  黒澤 明 <黒澤明の、黒澤明による、黒澤明のための映画>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/11/54.html