日の名残り('93)  ジェームス・アイボリー <執事道に一生を捧げる思いの深さ―「プロセスの快楽」の至福>

  1  長い旅に打って出て



 英米の映画賞を独占した「ハワーズ・エンド」の翌年に作られた、米国人監督ジェームス・アイボリーの最高傑作。

 また前作でも競演した英国出身のアンソニー・ホピキンスとエマ・トンプソンの繊細な演技が冴え渡っていて、明らかに彼らの代表作とも言える作品となっている。とりわけ、アンソニー・ホプキンスの抑制的でシャイな演技が群を抜く。まさに独壇場といった感じである。


 ―― 老境にさしかかった一人の男と、その男が思いを寄せる一人の女の、際立ってプラトニックな、一つの小さな物語を追っていこう。

 一人の女がいる。その名はケントン。
 現在はミセス・ベン。その女が、一人の男に手紙を出した。

 映像は、その手紙のナレーションから開かれていく。

 「スチーブンス様。ご無沙汰を致しました。ダーリントン卿がお亡くなりになって、後継ぎの新伯爵は、広大なダーリントンホールを維持することができず、お屋敷を取り壊して、石炭を5千ポンドで売りに出すという記事を新聞で読みました。“売国奴の屋敷 取り壊し”というひどい見出しもありました。ホッとしたことに、ルイスという米国の富豪がお屋敷を救い、あなたもお屋敷に留まれるとか。

 1936年の会合に参加されたあのルイス下院議員ですか?私が女中頭していたあの頃を懐かしく思い出します。仕事は忙しく、あなたは気難しい執事でしたが、私の人生で一番幸せな日々でした。使用人の顔もすっかり変わったことでしょう。あの頃のように、大勢の従僕も今は必要ないでしょう。

 私の近況は暗いものです。7年前に便りをして以来、夫とは結局、破局を迎えることになりそうです。現在は下宿住まいの身です。将来はどうなるのか。娘のキャサリンが結婚して、空虚な毎日です。この先の長い歳月、自分を何かに役立てたいと願うこの頃です・・・」

 一人の老執事がいる。その名はスティーブンス。

 彼はケントンからこの手紙を受け取って、意を決した。1958年。英国、オックスフォードでのこと。

 「トースターを買えよ」と言う新しい主人ルイスに、スティーブンスは懇望した。
 「新式の道具より、新しい人員計画が必要です」
 「人員計画?そんなものが?」
 「見直しが必要です。ご主人様。先だって私に、“骨休めの旅行でもどうか”と。ご親切なお言葉を」
 「たまには外の風に当たれよ。外にも世界があるんだぞ」
 「世界が、このお屋敷を訪ねて来たもので・・・」
 「そうだな。来週は私も家を空ける。私のダイムラーを使うがいい」
 「滅相もない」
 「お前とダイムラーはきっと相性がいい」
 「ありがたいお申し出・・・恐縮です。“景色のいいという英国西部を、一度旅したい”と。旅のついでに、スタッフの問題も解決できます。昔勤めておりました女中頭が、また働きたいという意向を・・・」
 「その女中頭といい仲だったのか?」
 「とんでもない。大変、有能な女中頭です。保証致します」
 「お前をからかったんだよ、済まん・・・」

 はにかむような態度を見せた老執事に、ルイスは如何にも人の良さそうな笑顔で謝罪した。

 しかし、主人の承諾を得た老執事は、やがて長い旅に打って出たのである。ケントンと会い、彼女を迎えるための旅である。そこには既に、20年という歳月が経っていた。その旅に、男は自分の老いた身を投げ入れたのである。

 
(人生論的映画評論/日の名残り('93)  ジェームス・アイボリー <執事道に一生を捧げる思いの深さ―「プロセスの快楽」の至福>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/11/93_10.html