近松物語('54)  溝口健二 <「峠の爆発」―ラインを重ねた者の突破力>

 序  「近松ワールド」を代表する一作



 「おさん」は、元禄文化が生んだ最も有名な人物の一人である。
 
 中でも、井原西鶴の「好色五人女」の内の一人で、「おさんの巻」の主人公としてつとに名高い。勿論、「おさん」は実在の人物で、手代との不義密通の廉(かど)で磔となった江戸時代を代表する美女の一人とされる。

 この美女の悲恋を、元禄文化の一方の雄である近松門左衛門浄瑠璃に仕上げて、「三大姦通劇」の一つとして現在に伝わっている。その名は「大経師昔暦」(注1)。それは、天和三年(1683)に、実際に起こった姦通事件をモデルにした、「近松ワールド」を代表する一作と言っていい。

 映画「近松物語」は、この浄瑠璃がベースになっている。

 しかしその内容は微妙に異なり、それは、溝口ワールドの内に位置づけられる、幾つかの代表作の一つと評価される映像作品に結実したのである。脚本は、「雨月物語」の依田義賢、撮影は宮川一夫というお馴染みの匠の手による本作は、「武蔵野夫人」、「夜の女たち」、「楊貴妃」、「赤線地帯」という駄作を世に送った監督の作品とは思えないほどの秀逸さ。

 例えば、「赤線地帯」に代表されるように、単に類型的なエピソードの繋がりだけで、そこに描き出された者たちの人生を深々と描き出せなかった多くの失敗作とは違って、この作品は「雨月物語」同様、余分なものを削った分だけ見事に洗練されていて、日本映画史上にその名を刻む一級の名画として、今でもその輝きを放って止まないであろう。


(注1)因みに、他の二つの姦通劇は「堀川波の鼓」、「鑓の権三重帷子」である。いずれも、「夜の鼓」(今井正監督)、「鑓の権三」(篠田正浩監督)という著名な作品となって映像化されている。



 1  引き回しされる男と女



 ―― 本作の世界に入っていこう。


 京都烏丸四条室町にある大経師(だいきょうじ)。

 そこは宮中や幕府の表具や経師(布や紙を貼って、巻物、掛物、屏風、襖などに仕立てること) を施す職人集団。しかも当家は、暦の発刊も独占的に許可された特別な待遇を得ていた。それを象徴する表現が、冒頭の大物の客の台詞の中にあった。

 「どこの家も要りようの暦を、一手に引き受ける。金のなる木を持ったようなもんや。大名や町人も不景気で青息吐息やそうだが、このお宅は結構やな」

 この大経師の後妻が、美女の誉れの高いおさんだった。彼女は何不自由しない生活を送っていて、傍目には羨望の的だった。しかしおさんには、ウィークポイントがあった。商売を営む実家の兄に当たる、道喜からの金の無心が収まらないのだ。今回は、家を質に入れたその金の利子に詰まって、妹に泣きついて来たのである。

 「何とかしてくれ・・・三日のうちに返せなんだら、わしゃ、牢に入らんならん」
 「まあ、商人らしくもない。そんな向こう見ずな真似をして・・・」

 おさんは吝嗇(りんしょく)家の亭主である以春に頼もうとしたが、「金の無心なら断る」と初めから釘を刺され、結局切り出せなかった。その亭主の以春は、おさんの眼の届かないところで女中のお玉に色目を使っていて、彼女を困らせていた。誰にも相談できないお玉は、当家でも信望厚い手代(注2)の茂兵衛にそのことを打ち明けたのである。
 
 「お家(いえ)さまにも申し上げようかと、何ぼも思うたけど・・・」
 「そりゃいかん。そんなこと言ったら大騒動になる。第一、お家さまがお気の毒や。とにかくお家のためを
思うたら、誰にも傷がつかんように、しっかり腹に納めて辛抱するのが奉公人の務めや。ご奉公しているのを忘れたらいかんで」

 お家さまとは、若くして当家に嫁いだおさんのこと。お玉は茂兵衛の言葉に納得するしかなかった。

 そこに階下から番頭の声があった。不義密通の罪で引き回しされる男女が、馬に乗せられて商家の前を通り過ぎていくのだ。それを見る群集の好奇心が、罪人となった男女に束になって降り注いでいくのである。

 商家からその光景を眺める以春は、傍らの妻に言い放った。

 「これから磔にかかって、晒し者にされんのや。本人だけやない。家の恥や。女子のすることは恐ろしい。武家が不義者を成敗することができなんだら、家は取り潰しや」
 「あんな浅ましい目に遭うくらいなら、いっそ、ご主人に討たれてしもうた方がええのに」

 そんな夫婦の会話から離れたところで、女中たちの正直な反応もあった。

 「男はどんな淫らな真似もできるのに、女子も同じことしたら、何で磔になるのやろ。えらい片手落ちの話やな」とお玉。
 「人を殺したり、お金盗んだのと違うのに」と別の女中。
 「ほんまに、あんなの可哀想や!」と、これも別の女中。
 「それは可哀想や。気の毒やと思うけど、人の道はずしたらいかん。それが御政道の決まりや」

 女中たちに不満をぶつけられて、茂兵衛はそう答えたのである。


(注2)番頭と丁稚(商家などに奉公する年少者で、雑役の仕事が多い)との中間に位置する、商家の使用人のこと。



(人生論的映画評論/近松物語('54)  溝口健二 <「峠の爆発」―ラインを重ねた者の突破力>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/12/54.html