東京物語('53) 小津安二郎 <「非日常」(両親の上京)⇒「日常」(両親の帰郷)⇒「非日常の極点」(母親の死)⇒「日常」(上京し、帰宅)というサイクルの自己完結性>

 1  「分化された家族」の風景をリアルに描き切った物語



 この映画を評価するに当って、私たちは、この国の家族の変遷について纏(まつ)わる認識を改める必要があると思われる。

 それは、この国の一般家庭の家族制度の中核は、一貫して「核家族」であったという歴史的事実である。

 既に、「核家族」は江戸時代から一般的な家族形態であって、近代社会に入っても変わることなく、大正時代には疾(と)うに過半数を超えていた。

 高度成長期にピークアウトに達し、一過的に「核家族」は加速化したものの、1970年代後半になると関数的な低下傾向を描いているのである。

 その意味で、この映画は、家族の変遷の時代の空気を見事に写し取っていると言える。

 それ故、本作のテーマが、「家族の崩壊」であったにしても、それは単に、「核家族化の一過的な加速化」を起因にする、この国の家族様態の変遷の問題に過ぎないということだ。

 従って、本作で描かれた、尾道を起点にする一家族の物語は、この国が近代化し、急速な都市化の変遷のとば口にあって、当時としては、普通の規模の地方家族の様態が、子供たちの自立と結婚によって生まれた新しい家族の分化を必然化することで、「二世代の分裂」を鮮やかに写し取った一篇以外ではないのである。

 だから、「分化された家族」が経済的に独立し、身過ぎ世過ぎを維持していくのは至極当然の事態なのだ。

 この映画で描かれた、「分化された家族」の有りようもまた、倫理的に問われるほど、特段に無慈悲で冷淡な核家族ではないと言っていい。

 寧ろ、あのような家族の有りようこそが、当時の一般的な風景であったと認知すべきなのである。

 ところが、厄介なことに、この映画の「分化された家族」の物語を、「家族制度の崩壊」などと決め付ける大袈裟な批評の把握が、本作を囲繞する現実がある。

 一体、尾道を起点にして、「故郷から離れた都市に住む子供たち」の「分化された家族」の有りようを、人権感覚だけを研ぎ澄ました現代の視座で難詰(なんきつ)することができるだろうか。

 確かに、物語の中で、「親に対する冷淡な対応」がエピソードとして随所に拾われていたが、それはどこまでも、映像が提示した仮構の物語の範疇を越えるものではないのだ。

 大体、私たちは誤解していないだろうか。

 都市社会に生きる者の「心の冷淡さ・荒廃」や、「関係の形式化」の日常性が、豊かさを求める高度成長の産物であり、そのことによって、「自己中心的な生き方」が跋扈(ばっこ)しているなどと一方的に決め付けていないか。

 この類の把握は、本質的に誤っていると言わざるを得ない。

 都市社会の快楽装置の只中に囲繞されている者が、他者の不幸に無関心になりやすいのは、隣人の不幸が我が家の不幸になりやすかった共同体社会の構造性と無縁でいられるからであって、恐らく、それ以外の何ものでもないであろう。

 従って、それは、都市社会に生きる者たちの心の荒廃感の本質を説明するものではないのだ。

 そして、「故郷から離れた都市に住む子供たち」の「分化された家族」という視座のうちに、「遠く離れた故郷に住む肉親=他者」という把握が鷲掴みにされる訳ではないが、少なくとも、「分化された家族」の血縁関係の保護を優先することを以て、「遠く離れた故郷に住む肉親」に対して、意識的に冷淡にする振舞いを身体化することを意味しないだろう。

 仮に、「故郷から離れた都市に住む子供たち」の「分化された家族」の有りようが、「自己中心的な生き方」であるように見えても、それが、都市社会に生きる者の「心の冷淡さ・荒廃」と同義ではないことだけは確かである。

 要するに本作は、「日常」→「非日常」(両親の上京)→「日常」(両親の帰郷)→「非日常の極点」(母親の死)→「日常」(上京し、帰宅)というサイクルで変容していった、「分化された家族」の風景をリアルに描き切ったのである。

 そういう物語として、私は把握している。



(人生論的映画評論/東京物語('53) 小津安二郎 <「非日常」(両親の上京)⇒「日常」(両親の帰郷)⇒「非日常の極点」(母親の死)⇒「日常」(上京し、帰宅)というサイクルの自己完結性>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/