1 異文化圏に棲む者たちに翻弄されて
イタリアのローマ。
この大都市に豪邸を構える一人の教授がいる。家政婦と共に住むが、家族を持たない孤独な生活を送る彼の趣味は、絵画のコレクション。それも「家族の肖像」と呼ばれる、家族団欒を描いた18世紀英国画家たちが描いた作品が対象になっている。
そんな教授の元に、一人の婦人が画商を連れて訪れた。
奔放な印象を与える婦人の名はビアンカ。そのビアンカの訪問の目的は、二階の部屋を貸して欲しいというもの。その申し入れに対する教授の反応は否定的だった。それでも部屋を見せてくれと迫るビアンカに対して、教授は渋々その申し入れを受容した。
そこに一人の娘が闖入(ちんにゅう)して来た。
ビアンカの娘のリエッタである。母娘はまるでそこが自分の家であるかのように振舞い、勝手に動き回るのだ。
更にそこに、二人の青年が闖入して来た。
一人はリエッタの婚約者であるステファノ、もう一人はビアンカの愛人と思しき青年コンラッド。教授宅を訪れた二人は、恰も申し合わせたかのようなタイミングで、既に自分の部屋に決まったような物言いの厚顔さ。教授の頑な心は、ますます否定的な反応を隠さなかった。
翌日、教授宅を再訪したリエッタは、間借り人の主はコンラッドであることを正直に話して、間借りを懇願した。教授は素直な振舞いのリエッタには好感を抱いたらしく、自分の本音を吐露した。
「私も正直に言おう。書物を写すのは急がないが、私は老人で、とかく神経質だ。耳慣れない音と知らない人間が気になって、生活を乱される。だから部屋は貸せない」
「あなたは老人じゃないわ。とても魅力があるわ。魅力のある人は、どこか変わっているわ」
このリエッタの思い入れを込めた反応が教授の心を変えたのか、結局教授は、一年の契約で、二階の書斎をコンラッドに貸すことになったのである。
コンラッドに部屋を貸すや否や、教授宅に異変が起こった。
教授の留守中に、青年は部屋を改造して、階下を水浸しにしてしまったのだ。夜遅く帰宅した教授はそのことを知って、慌てて青年の部屋にクレームをつけに行った。
「水が浸っている。建物が建っているのが不思議だ。狂気の沙汰だ」
「あんたは無断で入って来た」
そう言って青年は、教授に銃を向けた。
「撃たれたら?」と恫喝する青年。
「幸い生きている。なぜ壊したか、聞きたい」
「契約はまだだが、あんたが部屋の改装を許可したと聞いた」
「賃貸契約では、浴室を一つ増やせるだけだ。だが私は契約書に署名しない。損害賠償の請求書に署名する」
青年は、教授のこの強い拒絶反応に感情を荒げていく。
「いいか、賃貸契約書など紙切れに過ぎない。部屋は私のものだ。あんたに莫大な前金を払った」
「一年だけの賃貸契約だ」
教授にそう言われて、青年は初めて相互の認識の誤差を感じたのである。
「夫人と話して、はっきりさせて欲しい。夫人が違うことを言うはずがない」
青年は即座に立ち上がって、教授宅からビアンカ夫人に電話をかけた。
電話の向こうの夫人に、青年は声を荒げるばかり。代わって電話に出た教授に、夫人は釈明する。
「全部説明しますわ。誤解なんです」
教授から電話を取った青年は、夫人にその思いを吐き出した。
「君がどう思おうと、僕たちはもう終わりだ。侯爵夫人、クソ喰らえだ!」
「どういうことか、僕には分らない」
事情を知った青年は、教授のその言葉に静かに反応した。
「分るさ。金ができると汚くなる。人間が卑しくなるんだ」
そんな青年の反応の中にある種の誠実さを感じた教授は、彼に対して少し心を開いていく。教授が瞠目したのは、青年が教授のコレクションの絵画について造詣が深いという事実だった。
「変わった家だ。好きじゃないが、興味がある・・・悪いと思っている。あなたと話せて良かった」
青年の率直な言葉に、教授は青年に対する見方を改めたようだった。
まもなく、ビアンカ夫人が教授の家を再訪した。
彼女は二階の部屋の改造の一件を教授に責められて、激しく感情的に反発する。教授も強く反応した。相手は、娘のリエッタ。
「自分勝手でヒステリックだ。君たちは私を捲き込もうとしている。真っ平御免だ!」
教授は眼の前の机を強く叩いて、その思いを吐き出した。思いを吐き出した教授はその後、リエッタに対して妥協的な提案をした。
「賃貸契約に署名して、部屋を元通りに戻すと約束するなら住んでいい。出て行くなら絵の分を払う。今ここで。どちらかを選びたまえ」
「私たちが間違ってたのよ。もう迷惑をかけないわ。階上のことはステファノに話して。でも浴室は改装するわ。今の大きさの倍にしたいの」
このリエッタの率直な反応に、教授は思わず吹き出した。
「違う言語で話しているようだ。とうてい理解し合えない」と教授。
「それが可笑しい?」とリエッタ。
「悲劇的だ。若者と接点が持てない」と教授。
そんな教授は、今や電話線も切ってしまっていた。電話をかけようとしたリエッタは、教授に嘆いた。
「これじゃ、世間とも“接点”が持てないわ」
「世間はどうでもいい」と教授。
そこにコンラッドがやって来て、教授との間で絵画についての会話が開かれた。
「実に興味深い」と教授。写真に撮られた一枚の絵を見ている。
「普通の風景がとは全く趣きが異なる。技巧を超え、樹木の描き方が同時代の画家と違う」
コンラッドの説明に教授は唸った。
「鋭い観察だ。美術史を学んだのかね?」
「好きだった」
「なぜ止めた?」
「時代のせいだ。68年だった。学生運動に飛び込んで、逃げなければならなくなった。やっと生き延びている」
「良かった。お祝いする。見落としてた。この絵は完全な証拠文献がついてる」
教授の中で、とうてい諦めていた若者の世代との接点が持てたことを感じた瞬間だった。
イタリアのローマ。
この大都市に豪邸を構える一人の教授がいる。家政婦と共に住むが、家族を持たない孤独な生活を送る彼の趣味は、絵画のコレクション。それも「家族の肖像」と呼ばれる、家族団欒を描いた18世紀英国画家たちが描いた作品が対象になっている。
そんな教授の元に、一人の婦人が画商を連れて訪れた。
奔放な印象を与える婦人の名はビアンカ。そのビアンカの訪問の目的は、二階の部屋を貸して欲しいというもの。その申し入れに対する教授の反応は否定的だった。それでも部屋を見せてくれと迫るビアンカに対して、教授は渋々その申し入れを受容した。
そこに一人の娘が闖入(ちんにゅう)して来た。
ビアンカの娘のリエッタである。母娘はまるでそこが自分の家であるかのように振舞い、勝手に動き回るのだ。
更にそこに、二人の青年が闖入して来た。
一人はリエッタの婚約者であるステファノ、もう一人はビアンカの愛人と思しき青年コンラッド。教授宅を訪れた二人は、恰も申し合わせたかのようなタイミングで、既に自分の部屋に決まったような物言いの厚顔さ。教授の頑な心は、ますます否定的な反応を隠さなかった。
翌日、教授宅を再訪したリエッタは、間借り人の主はコンラッドであることを正直に話して、間借りを懇願した。教授は素直な振舞いのリエッタには好感を抱いたらしく、自分の本音を吐露した。
「私も正直に言おう。書物を写すのは急がないが、私は老人で、とかく神経質だ。耳慣れない音と知らない人間が気になって、生活を乱される。だから部屋は貸せない」
「あなたは老人じゃないわ。とても魅力があるわ。魅力のある人は、どこか変わっているわ」
このリエッタの思い入れを込めた反応が教授の心を変えたのか、結局教授は、一年の契約で、二階の書斎をコンラッドに貸すことになったのである。
コンラッドに部屋を貸すや否や、教授宅に異変が起こった。
教授の留守中に、青年は部屋を改造して、階下を水浸しにしてしまったのだ。夜遅く帰宅した教授はそのことを知って、慌てて青年の部屋にクレームをつけに行った。
「水が浸っている。建物が建っているのが不思議だ。狂気の沙汰だ」
「あんたは無断で入って来た」
そう言って青年は、教授に銃を向けた。
「撃たれたら?」と恫喝する青年。
「幸い生きている。なぜ壊したか、聞きたい」
「契約はまだだが、あんたが部屋の改装を許可したと聞いた」
「賃貸契約では、浴室を一つ増やせるだけだ。だが私は契約書に署名しない。損害賠償の請求書に署名する」
青年は、教授のこの強い拒絶反応に感情を荒げていく。
「いいか、賃貸契約書など紙切れに過ぎない。部屋は私のものだ。あんたに莫大な前金を払った」
「一年だけの賃貸契約だ」
教授にそう言われて、青年は初めて相互の認識の誤差を感じたのである。
「夫人と話して、はっきりさせて欲しい。夫人が違うことを言うはずがない」
青年は即座に立ち上がって、教授宅からビアンカ夫人に電話をかけた。
電話の向こうの夫人に、青年は声を荒げるばかり。代わって電話に出た教授に、夫人は釈明する。
「全部説明しますわ。誤解なんです」
教授から電話を取った青年は、夫人にその思いを吐き出した。
「君がどう思おうと、僕たちはもう終わりだ。侯爵夫人、クソ喰らえだ!」
「どういうことか、僕には分らない」
事情を知った青年は、教授のその言葉に静かに反応した。
「分るさ。金ができると汚くなる。人間が卑しくなるんだ」
そんな青年の反応の中にある種の誠実さを感じた教授は、彼に対して少し心を開いていく。教授が瞠目したのは、青年が教授のコレクションの絵画について造詣が深いという事実だった。
「変わった家だ。好きじゃないが、興味がある・・・悪いと思っている。あなたと話せて良かった」
青年の率直な言葉に、教授は青年に対する見方を改めたようだった。
まもなく、ビアンカ夫人が教授の家を再訪した。
彼女は二階の部屋の改造の一件を教授に責められて、激しく感情的に反発する。教授も強く反応した。相手は、娘のリエッタ。
「自分勝手でヒステリックだ。君たちは私を捲き込もうとしている。真っ平御免だ!」
教授は眼の前の机を強く叩いて、その思いを吐き出した。思いを吐き出した教授はその後、リエッタに対して妥協的な提案をした。
「賃貸契約に署名して、部屋を元通りに戻すと約束するなら住んでいい。出て行くなら絵の分を払う。今ここで。どちらかを選びたまえ」
「私たちが間違ってたのよ。もう迷惑をかけないわ。階上のことはステファノに話して。でも浴室は改装するわ。今の大きさの倍にしたいの」
このリエッタの率直な反応に、教授は思わず吹き出した。
「違う言語で話しているようだ。とうてい理解し合えない」と教授。
「それが可笑しい?」とリエッタ。
「悲劇的だ。若者と接点が持てない」と教授。
そんな教授は、今や電話線も切ってしまっていた。電話をかけようとしたリエッタは、教授に嘆いた。
「これじゃ、世間とも“接点”が持てないわ」
「世間はどうでもいい」と教授。
そこにコンラッドがやって来て、教授との間で絵画についての会話が開かれた。
「実に興味深い」と教授。写真に撮られた一枚の絵を見ている。
「普通の風景がとは全く趣きが異なる。技巧を超え、樹木の描き方が同時代の画家と違う」
コンラッドの説明に教授は唸った。
「鋭い観察だ。美術史を学んだのかね?」
「好きだった」
「なぜ止めた?」
「時代のせいだ。68年だった。学生運動に飛び込んで、逃げなければならなくなった。やっと生き延びている」
「良かった。お祝いする。見落としてた。この絵は完全な証拠文献がついてる」
教授の中で、とうてい諦めていた若者の世代との接点が持てたことを感じた瞬間だった。
(人生論的映画評論/家族の肖像('74) ルキノ・ヴィスコンティ <老境無残―「状況」に捉われて、噛まれて、捨てられて>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/11/74.html