あらくれ('57)  成瀬巳喜男 あらくれ('57)  <声を上げ、たじろがず、情を守り、誇りを捨てなかった女>

 神田の缶詰屋の店先で、ひたむきに働く若い女。お島である。

 彼女は没落した庄屋の娘で、幼くして農家の養女になっていたが、生来の男嫌いなのか、結婚話を断って無断で上京して来た。その折に、植源(うえげん)という世話人の紹介で、缶詰屋の若主人である鶴さんの後妻に納まっていた。その植源が缶詰屋を訪ねて来て、お島の話をした。

 「どうだい?先のカミさんのような、しなしなした女は懲り懲りだって言うから・・・」
 「へえ、もう丈夫で働く女でさえあれば・・・」
 「じゃあ、島ちゃんならもってこいだ。ハハハ」
 「二年以上も病院に入れたり、海辺へやったり、もうかないません。ここらでみっちり働いて取り返さないと・・・」
 「ううん、あの子ならね。七つん時から養家先で、何十歩もの畑をやってお前さん、牛馬のように働いたことを思えば、ここいらの店を手伝うぐらい極楽だよ」

 その植源の話に、満足げな表情で返す鶴さん。

 まもなく、その鶴さんがお島を連れて、お島の実家を訪れた。

 外出するお島の服装に細かい指示をする鶴さんは、どうやら相当に神経質な性格らしい。と言うより、老舗の主人を務めてきた鶴さんにとって、お島のセンスのない着こなしには我慢し難いものがあったのだろう。

 お島の実家で、その父はつくづく苦労する娘の愚痴を零した。

 「今度はいい人に拾われて、これで務まらないようじゃ、もう・・・」

 それを聞いてお島は、不貞腐れていた。

 それでも彼女は、店の仕事には熱心であった。

 夜遅くまで働いて、女道楽の激しい夫の夜遊びに不満を託(かこ)っていた。なかなか帰って来ない夫を無視して、店の戸に鍵を閉めてしまう始末。丁度、そのとき戻って来た夫から、逆に文句を言われる次第だった。お島は子供を身篭っているらしいという事実を打ち明けたが、それが誰の子か分らないと疑う夫。

 お島の弁明を信じない夫に、彼女は感情を込めて言い放った。

 「あんた、妬いてるんですか?」
 「バカにすんない」
 「あんた、それで毎晩お酒飲んでくるんですか?疑ってんの?それじゃ、あんまり情けないわ・・・」

 自分の気持ちを汲んでくれない夫に対して、お島は明らかに不満を持っていた。夫の傍らで寝床を取るお島の眼から、涙の粒が零れ落ちてきた。

 翌日、北海道に仕事の名目で旅立った夫の目的が浮気にあったことを見抜いたお島は、夫が帰京してから訪ねて来た姉のおすずに、夫への不満をぶちまけた。

 その頃、亭主の鶴さんは、植源の息子の嫁、おゆうと会っていた。彼女は亭主の不満を鶴さんに吐き出していた。おゆうの夫の房吉は、病気を理由に全く働こうとしないというのである。そのおゆうに鶴さんは色目を使い、おゆうもまた、色気を含ませた視線で反応する。

 そこに、お島が偶然訪ねて来た。

 彼女は勘定の催促に歩いているのである。鶴さんは植源の旦那に、お島の悪口をダイレクトに吐き出していく。傍にいるお島も負けずに反論する。この二人は四六時中、言い争いをしているのだ。

 そんなお島に向って、植源の旦那が一言。

 「そりゃ、言い分もあるだろうが、島ちゃんも少し・・・」

 その言葉に反応するように、鶴さんは「早く帰れよ」とお島を突き放した。お島は不満を抱えながら、一人で帰っていくしかなかった。

 彼女は今、おゆうを疑っている。そのおゆうが、自分の亭主の浮気相手ではないかと思っているのだ。そんな不満を、お島は実姉のすずに口汚く吐き出すしか術がなかった。

 「あんなヘナヘナした男、大嫌い私」

 お島が珍しく遅く帰宅したとき、亭主は先に帰っていた。

 殆んど口も聞かず、寝床に入るお島。亭主は傍らで、何やら書き物をしている。
 それを覗き見たお島は、「女の手紙でしょ!」と叫んで、それを強引に取り上げた。亭主がそれを奪い返そうとして揉みあいの喧嘩となった挙句、お島は亭主の手を引っ掻くや否や、思い切り突き飛ばされたのである。
 
 「引っ掻きやがって、こんな野郎とは思わなかった」
 
 夫婦の大立ち回りが一段落した後、寝床に座る夫は妻に言い下した。
 
 「おい、ちょっと話がある。お前のような者に勝手な真似されたんじゃ、商人はとっても立っていきっこないんだからね・・・後添えもらって擦ったとなっちゃ、俺は責任上立場がなくなるんだ。子供は誰の子か知れねえが、それだけは家に置いて、俺が立派に育ててやるつもりだ」
 「育ててやるもないわね、自分の子を!私の悪口はおゆうさんにでも聞いておもらいなさい!」
 「何だ!」
 「私が着物をこしらえたの、そんなに腹が立つんですか!」
 「やかましい!お前なんか下に行って寝ろ!」
 「ええ、行きますよ!」

 このお島の反駁に、亭主は「さっさと行け!」と放って、女房の布団を思い切り引っ張った。女房は腰砕けになったが、枕を投げつけて反撃した。その枕がガラス窓を割って、そこに機械音が響いた。

 「出てけ!」
 「出て行くわよ!」

 最後まで負けない女は、そう言い残して、階段を下りようとしたとき、足を滑らせて夜の階段を転げ落ちていった。

 彼女は早産してしまったのである。
 
 その直後の映像は、お島の父が、娘のかつての養家を訪ねて、もう一度引き取ってもらえないかと頼むシーンだった。しかし養家の息子の嫁と考えて、お島を十年も育ててきた養家だが、祝言の晩に飛び出したお島の引取りを、きっぱりと拒んだのである。

 
(人生論的映画評論/あらくれ('57)  成瀬巳喜男 あらくれ('57)  <声を上げ、たじろがず、情を守り、誇りを捨てなかった女>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/12/57.html