ベルファスト('21)   有明の月を目指す家族の障壁突破の物語

1  「この街に人生のすべてが詰まってる」

 

 

 

北アイルランドの首都ベルファストの、現代の美しい街並みのカラー映像から開かれる物語は、一転して、1969年8月15日のモノクロの世界へとタイムワープする。

 

夕食時の路地で、元気溌剌な少年バディが家に帰るところで目の当たりにしたのは、覆面をしたプロテスト系の武装集団が、カトリック系住民を襲撃するというリアルな現場だった。

 

投石を避けながら、母が「怖いよ!」と叫ぶバディを抱え、家に連れ戻し、テーブルの下に匿う。

 

更に、兄のウィルを探しに混乱する街路に出て連れ戻す。

 

「母さん、何が起きたの?」とバディ。

 

「じっとしていなさい」と答え、窓から外の様子を窺う母。

 

翌日バディは、壊れた窓を協力し合って修繕する人々や、破壊された街並みを見渡す。

 

「襲撃から一夜明けたベルファストの街です。襲われたのは、プロテスタント地区に住む少数のカトリック教徒。彼らは立ち退きを迫られています。人々の絆が強いこの地区に、再び平和は戻るのか?」

 

テレビのニュースが、襲撃の背景と街の様子の映像とを伝える。

 

「英本土からも支援部隊が到着しました。外出禁止令も検討されています」

 

ロンドンで大工の仕事をしていたバディの父が事件のことを聞き知り、慌てて家に戻って来た。

 

これで4人家族が揃うことになる。

 

彼らはプロテスタントであるが、カトリック系住民と親交を深めていた。

 

事件後、街にはバリケードが築かれ、プロテスタントの牧師は扇動的なスピーチを打(ぶ)ちまける。

 

嫌々ながら行かされた教会で、その咆哮(ほうこう)を聞かされるバディとウィル。

 

それでもバリケード内では、音楽に合わせて踊る父母や住人たちが思い思いに楽しく過ごしている。

 

仕事でロンドンへ帰る前に、訪ねて来た伯母夫婦も愉悦するのである。

 

バディは近所の年上の友人モイラに、カトリックプロテスタントの信者をどうやって見分けるかを尋ね、名前で分かると言われるが、双方に同じ名前もあるとバディに指摘され、答えに窮すモイラ。

 

バディが一人でサッカーをしていると、ビリー・クラントンとマクローリーと名乗るプロテスタント過激派の男たちがやって来て、父に対して高飛車な物言いをする。

 

「この地域を掃除したい。協力するよな?拒否すりゃ痛い目に」

「家族に手を出すな」

「俺もお前も同じプロテスタントだ」

 

背後から、伯父が大丈夫かと声を掛けてきた。

 

「この辺りは治安が悪くなっている。カネを払うか、汗をかくか。俺はグループのリーダーに選ばれた」とビリー。

 

心配そうに、その様子を見つめるバディと母。

 

「どちらを選ぶか決めておけ、また来る」と捨て台詞を残し、男たちは帰って行った。

 

そんな危うい状況でも、映画を楽しむ一家。

 

「誰かに物を運べとか、伝言とか頼まれても、必ず断れ。必ず母さんに報告しろ」

「わかった」とウィル。

「父さんは明日の朝早いから、お前たちに会えない」

 

その夜、父母が税金の延滞金の支払いの件や、ベルファストからの脱出について話し合っているのを、階段の途中で座り込んで聞くバディ。

 

「街は内戦状態。なのに俺は出稼ぎだ」

 

シドニーバンクーバーのパンフを脱出先として示す父。

 

ベルファストの治安は日増しに悪化していく。

 

「労働者階級の人々が住む地区では、脅迫事件が多発し…」

 

このラジオ放送を準(なずら)えるように、バディの目の前で金を払えない家の息子を脅し、連行するビリーは逆らう者に暴力を振るうのだ。

 

それを見ていたバディに対して、ビリーが脅しをかける。

 

「親父に言っとけ。返事しねえとこっちから行くぞ」

 

バリケードを出て学校へ向かうバディに、ビリーが執拗に返答を迫る。

 

「兄さんにも放課後、会いに来いと」

 

バディは無視して立ち去っていく。

 

そんな重苦しい状況下にあって、テレビで西部劇を見たり、クラスメートの好きな女の子キャサリンに花をプレゼントしたり、モイラに誘われて、お菓子の万引きの片棒を担がせられる羽目になったことで母に激怒されたりという、ありふれた児童期を過ごしていた。

 

「皆、故郷を捨てる」と祖父。

「時代の流れよ」と祖母。

 

時代の変化に動じることなく、普段通りに冗談を言い合う祖父母であったが、炭鉱で働いていた祖父の肺が悪化して、病院へ行くことになった。

 

上司からロンドンに留まり、正社員として家も借りられるという誘いを受けた父。

 

「腕を買われたのね。どうしたい?」

「家族と暮らしたい。お前と」

「あなたと私は、赤ん坊のころからの知り合い。この街に人生のすべてが詰まってる。ご近所の誰もが顔なじみ。それが好きなの。子供たちが遊べる庭?ここなら、街のどこでも遊べるわ。皆があの子たちを知ってて、世話を焼いてくれる。イングランドに行ったら、きっと言葉も通じない。アイルランド訛りをバカにされたり、毛嫌いされたりするわ。だって、ベルファストでは、英軍の兵士が殺されてる。渡したいが歓迎されると?“仕事を横取りしてくれてありがとう”って?」

 

涙ながらに語る母。

 

「状況は変わる」

「そうね。変わってくわ」

「クリスマスまでに決めないと。それまでに決心を」

 

その話を聞いていたバディは、父に声をかける。

 

「戻ってくるよね?父さん」

「母さんを頼むぞ」

 

父が乗ったバスが発車し、最後尾の窓から見つめ続ける母とバディ。

 

二人もまた父を見つめ、静かに見送った。

 

入院した祖父を見舞いに来たバディは、ロンドンに祖父も一緒に来て欲しいと抱きつく。

 

祖母も含めた一家全員で「チキ・チキ・バン・バン」の映画を観ている。

 

それまでもそうであったように、普通の日常を繋ぐ家族の団欒が仮構されているのである。

 

  

人生論的映画評論・続: ベルファスト('21)   有明の月を目指す家族の障壁突破の物語  ケネス・ブラナー    より

愛がなんだ('18)  後引き仕草が負の記号になってしまう女子の、終わりが見えない純愛譚 

1  「私は、マモちゃんになりたいって思う…それが無理なら、マモちゃんのお母さんでも、お姉ちゃんでもいい。何なら従兄妹でもいいよ」

 

 

 

「山田さん、もし、もしだよ。まだ会社にいて、今から帰るところだったりしたら、何か買って届けてくれないかな。俺今日、なんも食ってなくて」

「今、まさに会社ですけど…しょうがないな。頼まれてやっか」

 

会社ではなく帰宅したばかりの山田テルコは、熱を出してダウンしている田中マモルからの電話を受け、買い物をするや、嬉々としてマモルのアパートへ向かう。

 

テルコが作った味噌煮込みうどんに顔を顰(しか)めるマモルは、ゴミの片づけから風呂場の掃除までするテルコを「そろそろ帰ってくれるかな」と言って、強制的に追い出してしまう。

 

【その人格を疑うような、強制帰宅の原因が味噌煮込みうどんであることは終盤に回収される】

 

「そう言えば、マモちゃんはいつの間にか、私のことをテルちゃんて呼ばなくなっている」(テルコのモノローグ)

 

所持金も少なく、夜中の2時に街を彷徨うテルコは、友達の葉子にタクシー代を払って貰い、家に転がり込むことにした。

 

家の前には葉子の部屋に泊まっていたナカハラがテルコの到着を待ち、葉子の財布を渡して自分は帰って行く。

 

「そんな風に言いなりになっていると、関係性が決まっちゃよ。向こう、どんどんつけ上がるよ。悪いこと言わないから、やめときな。そんなオレさま男」

 

葉子に忠告を受けても、聞く耳を持たないテルコ。

 

「どうしてだろう。私は未だに、田中守の恋人ではない…」(モノローグ)

 

友人の友人として参加する結婚式で、「パーティーで馴染めない同士のちょっとした親近感」で声をかけられ、互いに“テルちゃん”、“マモちゃん”と呼び合うことになった。

 

「金曜日はほぼ90%の確率で、マモちゃんから連絡が来る。この5か月で、マモちゃんの行動パターンはほぼ完璧に把握した」(モノローグ)

 

携帯ばかりを気にしているテルコは、上司に呼ばれて仕事のミスを注意される始末。

 

「連絡が来たらいつでも対応できるよう、会社で時間を潰すのにも慣れた」(モノローグ)

 

その日は当てが外れ、残業しても連絡が入らないので、家に帰ってカップラーメンを食べ、シャワーで髪を洗っていると、携帯電話が鳴った。

 

「実はまだ食事してないんだよね」

 

マモルの誘いで居酒屋に駆けつけるテルコ。

 

出版社に勤めるマモルは、「33歳になったらプロ野球選手になる」などといった荒唐無稽な話をする。

 

朝まで飲んで、タクシーを拾い、マモルの自宅へ行って一緒に寝るという愉悦感に浸っている。

 

ブランチを食べ、午後もデートするテルコは笑みに包まれていた。

 

「20台後半の恋愛なんて、“好きです”、“付き合って下さい”なんて言葉からじゃなく、こうやって何となく、だらだらと始まる方が多いのではないだろうか。それからほぼ毎日、マモちゃんから連絡がくるようになった。連絡がきたら、100%会いに行くようになったし、終電がなければ、当たり前に泊まった」(モノローグ)

 

寝坊をして会社に行こうとするテルコを、マモルは動物園に誘う。

 

「俺やっぱ、33歳になって会社辞めたらゾウの飼育員になるわ。プロ野球選手より現実的じゃない?」

 

ゾウの檻の前でその言葉を耳にして、涙を流すテルコ。

 

「33歳でゾウの飼育員になる、と言ったマモちゃんの33歳以降の未来には私も含まれているのだと、なぜかその時強く思って、そしたら、その未来は何もかもが完璧すぎて、自然と泣いてしまった、なんて言ったら、きっとマモちゃんはもっと笑っただろう。“意味分かんねぇ”とか言って」(モノローグ)

 

会社をクビになったテルコは、荷物を片付けて帰るところ、同僚に声をかけられた。

 

「私は、どっちかになっちゃうんだよね。好きとどうでもいいのどっちか。だから、好きな人以外は、自然と全部どうでもよくなっちゃう」

「私、来月結婚するんです。でも、仕事も続けようと思ってて。別に結婚って、安定じゃないですからね。今の時代」

 

会話の要諦(ようてい)である。

 

分かりやすい関係観を繋ぐテルコの青春模様が、今やフルスロットル状態。

 

テルコは商店街で目に留まった2人用の土鍋を買い、マモルのアパートで食事の支度をし、汚れた衣類を洗濯し、引き出しに整頓して入れる。

 

マモルが風呂から出て冷蔵庫を開けて、「やっぱ多めにビール買っておきゃよかった」と呟く。

 

その言葉に反応して、すぐさま買いに行こうとするテルコ。

 

「別に買って来て欲しくて言ったわけじゃない」

 

そう言って引き留めた直後、マモルは引き出しを開けるや、整理された衣類を見て苛立ちが沸点に達する。

 

それでも買いに行こうとするテルコは、マモルの冷めた眼差しに気づく。

 

「いつでも言ってくれいいんだよ。あれこれ頼んでくれると、やることあって逆に助かるの。遠慮とか気遣いとかしなくていいから。私に関しては」

 

そう言って出て行ったテルコを見て溜息をつくマモルは、キッチンの土鍋が目に入り、力が抜けてしまう。

 

翌朝、テルコはマモルに朝早く起こされ、会議があって出勤するので一緒に出ないなら、先に帰るように言い渡される。

 

事実上、テルコはまたしても、マモルの家から追い出されたという顛末だった。

 

買って来た土鍋と荷物を抱え、先に歩いて遠ざかっていくマモルの後姿を見つめるテルコ。

 

「この日を境に、マモちゃんから一切連絡が来なくなった。33歳以降のマモちゃんの未来どころか、あれからたった1か月ちょっとのマモちゃんの未来にも私はいなかった」(モノローグ)

 

年越しを一緒に過ごす予定で葉子の家を訪れると、葉子は急に仕事関係で呼ばれて出かけて行ってしまう。

 

家には葉子の母とナカハラがいて、3人で年越しの酒を飲む。

 

母が部屋に戻り、ナカハラとテルコが言葉を交わす。

 

「夜中に酒なんか飲んでたりしてて、あ、俺なんか寂しいんだなって気づく瞬間っていうか、そういう時って何か無性に誰かにどうでもいい話、聞いて欲しくなりません?俺は、葉子さんがそういう時に、いつでも呼び出してもらえるような所にいたいんですよね…今日は、何だか他に誰もいねぇよって時に、ナカハラいんじゃんって思い出してもらえれば、それでいい」

「ナカハラ君、気持ち悪いね…私は、マモちゃんになりたいって思う…それが無理なら、マモちゃんのお母さんでも、お姉ちゃんでもいい。何なら、従兄妹でもいいよ」

「てか、俺よりキモいっす」

「何か、私たちストーカー同盟の反省会って感じ」

 

邪気なく、二人は笑い合う。

 

除夜の鐘が鳴る。

 

「幸せになりたいっすね」

「そうっすね」

 

異性意識の希薄な二人の寂しさが募っていくようだった。

 

「マモちゃんから連絡が来ないまま、春になった」(モノローグ)

 

以前に利用していたボルタリングジムに、担当者と採用後の話を進めている最中にマモルから電話が入るや否や、矢庭に「やっぱり止めます」と言って走り去り、嬉しそうに電話に出るテルコ。

 

会いに行くと、マモルは予備校の事務をしているというすみれと一緒に座って待っていた。

 

もうすぐ35歳というすみれは、飾り気なく自由に振舞う女性で、店を出た後、もう一軒別の友達と飲みに行くと言い、一人で去って行った。

 

「あの人、恋人?恋人を紹介する会だったのかな、ひょっとして。恋人できたから、もう電話してくんなって感じ?」

「そんな事、一言も言ってないじゃん。俺さ、山田さんのそういうところ、ちょっと苦手。そういう5周くらい先回りして、変に気を遣うとこって言うか。逆自意識過剰ってか」

「ごめん、ごめんってば」

「すみれさん見習いなよ。あのガサツ女、あいつ、全然気とか遣わないじゃん。俺もそっちの方が楽だよ」

 

そう言って、マモルはタクシーを止め、さっさと自宅に帰って行った。

 

一人、夜道をすみれの悪態をつきながら歩くテルコ。

 

葉子がアパートに訪ねて来た。

 

「マモルの話聞いてると、うちの父親のこと思い出してイラつくんだよね。うちのお母さんて、昔で言う所謂(いわゆる)、お妾さんってやつだったのね。父親っていうか、子供の私からしたら、たまに家に来るオジサンなんだけどさ。そいつ、お母さんに自分の子供の運動会の写真とか平気で見せたりしててさ。死ねばいいのにって思ってた。だって、お母さんのこと、完全に舐めてんじゃん。見下してるから、そういうことができるでしょ?」

 

話が続く。

 

「あんたの良いところはさ、どんなにどん底って時も、ちゃんとお腹減って、死にたいとか冗談でも言わないとこだよね」

「だって死んだら、マモちゃんに会えないじゃん」

「あんたってホント、不思議ちゃんっていうより不気味ちゃんだわ」

 

まもなく、テルコはスパで風呂場の掃除の仕事を始めた。

 

しかし、今はマモルに会える時間を優先する仕事にしか就くつもりはない。

 

すみれから電話で誘われ、中目黒のクラブに向かったのは、そんな時だった。

 

マモルは誘われておらず、テルコは電話ですみれと一緒にいると伝え、呼び出す。

 

アバウトなすみれにゾッコンなマモルは、気を引こうとするが相手にされない。

 

その場の空気で、マモルの友達の別荘に皆で行くことになり、テルコも誘われた。

 

その帰り、マモルはテルコの家に行き、セックスしようとするが不発に終わった。

 

「煮詰まった関係が嫌なんだって」

「すみれさん?」

「分かる?そういうの」

「全然分かんない。マモちゃんがそういう人なんだと思ってたよ」

「俺ってさ。俺ってあんまり格好良くないじゃん。ずば抜けてオシャレとかでもないし、体型とかもなんか貧相だし。優しいかっつったらそうでもないしさ。金持ってるわけでもないし、仕事できるかって言われれば大したことないし。そりゃ自分でずばりダサいとは思いたくないけどさ。世の中の男を格好いいと格好悪いで2つに分けたらさ、俺、絶対格好悪いほうだと思うの…そういう男にさ、なんで山田さんは親切にするわけ?」

「親切?」

「今日とかだってそうじゃん。すみれさんとこに呼んでくれたりするし」

「それはさ、好きだからとか、そういう単純な理由なんじゃないの」

「ていうかさ、好きになるようなとこなんか、ないじゃんっていう話なんですけど」

「そうだよね。私もそう思う。好きになるようなとこなんてないはずなのにね。変だよね」

「はっきり言われると腹立つな」

 

二人は足をぶつけ合いじゃれる。

 

「好かれるような所なんてない人なんだからさ。きっと無理だよ、すみれさんなんて…だから、あたしでいいじゃん。すみれさんじゃなくて、あたしで」

「だな」

 

束の間のハネムーンだった。

 

  

人生論的映画評論・続: 愛がなんだ('18)  後引き仕草が負の記号になってしまう女子の、終わりが見えない純愛譚   今泉力哉 より

大河への道 ('22)  「奇跡の旅」を受け継ぐ名もなき者たちの物語  中西健二

1  「伊能忠敬は日本の地図を完成させてない。だから、大河ドラマにはならないんだよ」

 

 

 

伊能忠敬(いのうただたか)の死から開かれる物語。

 

千葉県香取市の市役所の総務課主任の池本は、市の観光振興策を決める会議で、「大河ドラマ」で郷土の偉人・忠敬(ただたか/香取市では愛情を込めて、“ちゅうけい”と呼んでいる)を取り上げて欲しいと提案する。

 

その場では不評だったが、県知事から「香取で大河にチャレンジしてみてくれないか」と観光課に直接連絡が入り、担当の小林から池本が指揮を取るよう言い渡される。

 

早速、池本は知事が指定した脚本家の加藤浩造の自宅を訪ねたが、本人から「加藤は死んだ」と繰り返され、取りつく島がない。

 

役所に戻り、そのことを報告すると、加藤について安野がネットで調べる。

 

「2000年を最後に、もう20年、何も書かれてないみたいです」

「残念だけど、他の人に代わることも考えた方がいいかも知れないね」と課長の和田。

「ダメっすよ、そんなの。知事がその人がいいって言ってるんですから」と木下。

 

池本は再度、加藤宅を訪ねるが相手にされず、その後、何度も足を運び、諦めて帰ろうとした時、目に付いた家の前の破れているゴミのネットを直していると、加藤から声をかけられ、自宅で話をすることができた。

 

知事が加藤のファンで、どうしても書いて欲しいと、かつて加藤が手掛けたドラマの話になるが、本人はその作品を納得していなかった。

 

「ただの人情話書いてしまった」

「それが何か、とっても良かったと思います」

「あれがお好きとは馬が合うとは思いませんな。どうぞお引き取りを」

 

池本は知事の意向を必死に訴える。

 

「俺が何を書くか決めんのは俺だ」

「何を基準に先生は、書くものをお決めになるんですか?」

「鳥肌だ」

 

まもなく、伊能忠敬の出身地である小関村の九十九里の浜辺に立つ加藤に、忠敬について解説する池本。

 

「幼名は三治郎。忠敬さんの自然への興味は、この浜で生まれたのではないかと」

 

次に池本は木下を随行させ、「伊能忠敬記念館」へ加藤を案内する。

 

「忠敬さんは元は商人で、本格的に天文学を勉強し始めるのは何と50歳の時。そのために、自分よりも二回りも年下の天文学者高橋至時(よしとき)に弟子入りをするんです…初めから地図を作りたかった訳じゃないんです。そもそもは、地球の大きさを知りたかった。そのためには、まず、赤道から南北に延びる『子午線一度の距離』(後述)、この距離が分かる必要があった。それさえ分かれば、それを360倍すれば、地球の大きさが出ることが、江戸時代の彼らも知っていたんです」

 

池本は、自分で描いたノートの図を加藤に見せながら説明を続ける。

 

「…でも、当時の日本では、許可なく関所を越えて自由に歩き回ることができなかった…そんな時に、幕府が蝦夷地の正確な地図を欲しがっていたということを知って、忠敬さんが『私に作らせてくれませんか』って、作ることを願い出たんです」

 

加藤は、衛星写真を基に作成された最新の日本地図と、忠敬が1872年に作った地図が殆ど重なる掲示板を見て、鳥肌が立つ。

 

「200年前に…」

 

その後、シナハン(ロケーション・ハンティングのこと)として、「記念館」の展示を見て鳥肌が立った加藤は、池本と木下の測量の実施を見ながら、企画書の構想を練っていく。

 

旅館で加藤は、忠敬は何であんな地図と作ったのかという疑問を投げかける。

 

「忠敬は17年に亘って、都合10度測量に出かけてる。しかし、2度目の時に既に子午線一度の距離は算出できてたんだよ。つまり、忠敬は本来の目的を果たした後も、地図作りを止めなかった。それはどうしてなのかってことなんだよ」

 

想像を述べるだけで正確に答えられない池本は、逆に加藤に質問する。

 

「先生は何で20年間、脚本を書かれなかったんですか」

 

それには答えない加藤。

 

加藤を役所の会議室に招いて、「シノプス(あらすじ)を頂けますか?」と言う木下に対して、「書いていない」と答える加藤。

 

「地図を書いてないんだ、忠敬は」

 

加藤は年表を示し、伊能忠敬は1818年に没し、『大日本沿海輿地(よち)全図』が完成した1821年に、その死が公表されたと指摘する。

 

伊能忠敬は、日本の地図を完成させてない。だから、大河ドラマにはならないんだよ」

 

呆気なかった。

 

  

人生論的映画評論・続: 大河への道 ('22)  「奇跡の旅」を受け継ぐ名もなき者たちの物語  中西健二 より

峠 最後のサムライ('19)  己が〈生〉を、余すところなく生き切った男の物語 小泉堯史  

1  「武士の世は滅びる…この継之助も滅びざるを得ない。滅びた後、日本の歴史にかってなかった新しい世の中がやってくる」

  

 

 

「我らの見込みは、政権の奉還より外にない。この判断に、神君家康公の御偉業を継承する唯一の道である。幕府を倒そうと事を謀る一部の輩がおるとの噂がある。それを恐れてではない。彼らが何万あろうとも、討つに何の苦労もあるまい。現状を続けるとなれば、政権を投げ打つ以上の改革が必要である。例えば、今のような旗本、大名、全て廃さねば何もできぬ。しかしこれは、我と我が身で、骨や五臓六腑を摘出し切り刻むようなもので、到底できぬ今、天下の大名は戦国の頃のように割拠している。幕府の命令は無視され、このまま行けば、日本は三百の国に分裂し、戦乱に晒され、世は乱れ、国民は安んじ得ない。徳川家が政権を返上さえすれば、それが一つにまとまる。全ては、天下安泰の為である。このこと幸いに朝廷のお許しを頂き、王政、古(いにしえ)に服したと言えども、それにて責任を終えたるにはあらず。諸大名と共に、一大名として、朝廷の為、万民の為、この慶喜なお一層の心血を注ぐ所存。異存はあるか。あれば言え。なければよし。さらば徳川幕府の政権を朝廷に献上する」

 

諸藩重臣に対して、二条城・二の丸御殿において、「大政奉還」の意図を伝える徳川慶喜の言辞から物語は開かれていく。

 

徳川慶喜公の生まれ育った水戸徳川家には、『大日本史』の編纂(へんさん)に着手した徳川光圀水戸黄門様以来、云い伝えられた家訓があるそうです。“もし、江戸の幕府と、今日の朝廷のあいだに弓矢(戦争)のことがあらば、潔く弓矢を捨て、朝廷に奉ぜよ”。尊王の思い厚き慶喜公は、幕府の政権を放棄し、朝廷に恭順する道を選びました。1867年慶応三年、王政復古。しかし、薩摩の西郷隆盛大久保利通ら、徳川慶喜の首を見ねば、維新の大事を成し遂げることはできない、との態度を堅持し、日本中を破壊し、焦土にする覚悟で掛からねばならないと、戦乱の道へと舵を切ったのです。大政奉還は、徳川慶喜公との意思とは異なり、日本を二分し、東軍・佐幕派と西軍・勤皇派の熾烈な戦い、「戊辰戦争」の幕開けとなりました。越後、高田城下に続々と終結した西軍は、そこで二手に分かれ、長岡城下を目指しました」(河井継之助の妻・おすがのナレーション/以下、ナレーション)

 

以下、西軍との争いを危惧する川島億次郎(越後長岡藩士)に対する河井継之助の言葉。

 

「案ずることはない。戦(いくさ)はしてはならんでや。あくまで戦いは避ける。政治をもって片づけねばならん。そいは、東軍最大の佐幕派会津藩の滅亡を目標としている。わしら長岡藩は、いずれにも付かず、両者の調停役になり、会津藩を和平のうちに恭順させ、西軍に対しても、会津藩の申し分を聞き入れさせて、今日の混乱を正す」

「もし、双方が聞かなければ?」

「その時は、聞かぬ側、それが会津であれ、西軍であれ、討つ。この長岡藩は、それによって天下に何が正義であるかを知らしめる」

「ご家老、あなたはあなたのご信念を、この藩に押し付けられまするか」

「君臣一念。まずは主君と心を一つにする。武士とは身命を主君にとくと奉(たてまつ)り、この世に立つことが根源であろう」

 

継之助の信念が判然とする言辞である。

 

おすがに髭を剃ってもらう継之助。

 

夫婦の笑みが混濁した時代の空気を和ませている。

 

継之助は小山良運(りょううん)を訪ね、中立国スイスから来た貿易商の家に逗留(とうりゅう)していた際の、西洋人の語録を訳した書を見せる。

 

「民(たみ)は国の本(もと)、吏(り)は民の雇(やとい)。…役人は民の使用人か」

 

この語に含まれる継之助の理念を理解する良運は、継之助が中央に出て国の方向を示すように勧めるのである。

 

「わしはこの藩に閉じこもる。今、この河井継之助が天地に存在しているのは、兎にも角にも地球上から見れば、このちっぽけな越後長岡藩の家老としての立場だからね…わしは貿易商エドワルド・スネル(プロイセン出身の武器商人)から、西洋の列強でも持っていないガットリング機関砲(ガトリング砲)も買い入れた。アメリカ製のもので一度に360発。まるで水を撒くような勢いで弾が出る。こりゃ、驚きだぜ」

 

良運は、薩長を批判すると同時に、幕府の無力を慨嘆する。

 

「長岡藩は既に自主・独立の体制を整えた。藩自らが唱える発言権を保持し、風雲の中に独立、そう思っとる…万一の場合、お世継ぎにはフランスに亡命していただく。地球は広い。その渡航の手続きは全てスネルと良運さんでやってもらいたい」

「心得た」

 

【良運は長岡藩の藩医で、河井継之助の藩政改革のブレーンとして名を残す】

 

その足で、継之助は藩主の牧野忠恭(ただゆき)に拝謁する。

 

「策はあるか、継之助」

「策は、ございません。百の策を施し、百の論を論じても、時の勢いという魔物には勝てません」

「では、どうすればよいのだ?」

「恐れながら、大殿様。殿様が、こうとお思いあそばせ、その『こう』のために藩士に先駆けて、お死にあそばせ。その気迫だけが我が藩を一つに致しまする」

「わしの腹は決まっておる。時世や理屈はどうであれ、徳川家を疎(おろそ)かにすることはできない。もし、ここで徳川のお家を見捨てたなら、自分はこの家代々の祖霊に合わせる顔がないではないか、継之助。徳川慶喜公の大政奉還は、大いなる功績。賊名(ぞくめい)を被せるなど以ての外(もってのほか)。薩摩長州の振る舞いを見るに言語道断、腹に据えかねる。わしは徳川家の為に体制を挽回せんと欲す」

「御意にございまする…たとえ一藩たりとも、将軍家の無実の罪を晴らす藩がなければ、どうにもなりません。何の為に平安な300年があったのか。後世の者に笑われまする」

 

その帰路、良運の息子・正太郎(しょうたろう)が継之助にお礼を言いにやって来た。

 

正太郎の描く絵を褒め、医者である良運に絵を続けることを勧めたからだ。

 

「武士の世は滅びる…長岡藩の禄を食む者として、この継之助も滅びざるを得ない。滅びた後、日本の歴史にかってなかった新しい世の中がやってくる」

「それは、いつのことですか?」

「いつというものではない。正太郎の時代がそうだ。そなたには、絵の天分がある。己の好きなところを磨き、伸ばす。それが一番大切なこと。風景も美しいが、人物も描いてごらん…面でこそ、相手の心の機微が分かる」

 

小山正太郎は近代洋画家として大成する。また岡倉天心の洋画排斥論に反対し、私塾を作り、青木繁を育てた教育者として名高い】

 

その夜、芸者遊びが好きな継之助は、おすがを席に呼んで一緒に飲み、「長岡甚句踊り」を舞い、愉悦に浸る。

 

時の流れが速い。

 

継之助は城内に全ての藩士を集め、主君の前で言い渡す。

 

この時、既に鳥羽伏見の戦いが勃発し、慶喜は朝敵の汚名を受けていた。

 

一方、継之助は、「人の心を穏やかにする不思議な機具」というスイス製のオルゴールを、おすがに贈る。

 

時も時、東軍が小千谷(おぢや)にまで迫り、継之助は慈眼寺(じげんじ)での会談に向かった。

 

交渉相手は軍監・土佐藩岩村精一郎。

 

継之助は、意見が二分している藩の意見を統一し、会津、桑名、米沢の諸藩を説得して、朝廷に逆らわぬように申し聞かせ、越後奥羽に戦いが起こらぬよう努める旨を伝えた。

 

そして、藩主からの嘆願書を差し出し、大総督府への取次ぎを申し入れる。

 

岩村は継之助の顔を見ることもなく、端(はな)から聞く耳を持っていなかった。

 

「取次ぎはできぬ!嘆願書を差し出すことすら、無礼であろう。既にこれまでの間、長岡藩が一度でも朝廷の命令に応じたことがあるか!軍制を差し出せとの勅命に従わず、軍費三万両の献金に応じようともせぬ。長岡藩の誠意はどこにある!」

 

岩村は、日延べと嘆願書の取り次ぎという継之助の要請を面罵(めんば)する。

 

「戦いを避けるための嘆願書にござりますれば、是非ともお願い申し上げます…双方にとって、戦いは避けなければなりません」

「もはや、問答は無用である」

「その通りでござる」

「その通りならば、なぜ大人しく引き取らん。もはや、用はないはず」

「…ただ、せめて嘆願書だけは…」

 

権力を笠に着て、その態度は傲岸不遜(ごうがんふそん)な岩村は怒り心頭に達し、取りつく島はなかった。

 

「…一人長岡藩のために申し上げているのはなく、日本国中、相和し、協力し、和平のもと、世界に恥ざる強国になれば、天下の幸い。これに過ぎません。詳しくは書中に認(したた)めてござる。伏して嘆願書のお取次ぎを」

 

そう言うや、頭を下げる継之助。

 

「くどい…帰って戦(いくさ)の用意をしろ」

 

継之助は、一旦は引き取るが諦め切れず、岩村への面会を頼みに行かせ、門前で夜まで待ったが、戻って来た部下が「最早、万事休すでございます」と伝えることになった。

 

それでも継之助は帰ろうとせず、岩村に会おうと食い下がる。

 

その報告を聞く岩村

 

「耳なきが如く、帰れ、帰れと言っても聞こえぬ素振りで立ち尽くし、時々、じっと月を見つめたり、歩き回ったりしております」

「追い払え。不貞な奴と言う外ない。あの男の眼中には、朝廷も官軍もない。砲弾を浴びせて目を覚ましてやるしかない男だ。…銃剣で追え」

 

遂に継之助は、「己を尽くして、天命を待つ」と言葉を残し、去って行く。

 

藩に戻った継之助は、「談判は不調だった」と告げ、億次郎と語り合う。

 

「この上は、武力に訴える外、我が藩の面目、意志あるところを天下に示す方法はない」

「まだ交渉の方策はあるはずです。短気はまずい」

「残る手段が一つある。わしの首と三万両の軍資金を持って、お主がもう一度西軍の元へ行くのだ…それによって和平を買い、西軍に降伏をする。それ以外に道はない」

「待った。待ってください。西軍に降伏することの結果は、降伏するだけでなく、会津藩を攻める先兵を命じられるということですか」

「当然、そうなる。今このご時世の中、日本男子たる者が悉(ことごと)く、薩摩長州に阿(おもね)り、争って新時代の側に付き、侍の道を忘れ、行うべきことを行わなかったら後の世はどうなる。長岡藩、全ての藩士が死んでも、人の世というものは続いていく。後の世の人間に対し、侍とはどういうものか知らしめるためにも、この戦いは意義がある」

「分かりました。美しく砕け散ると。今は是非もない。私は、あなたと生死を共にします」 

 

継之助の覚悟がひしと伝わってくる会話だった。

 

【継之助の親友の億次郎は、長岡藩士・川島徳兵衛の養子となり、川島の姓を名乗るが、明治以後は三島億二郎と改名し、長岡藩知事として、疲弊した長岡の復興と近代化に尽力した】

 

その直後の映像は、全ての藩士に向かって、自らの覚悟を表明する藩主。

 

「我が命を庇うために、長岡藩の正義を曲げる必要はない。この忠恭は、既に死んだものと覚悟している。継之助の思うがごとくせよ」

 

忠恭に向かって頭を下げる継之助一同。

 

そして、継之助の父・代右衛門がおすがに告げる。

 

「戦だよ。可哀そうに、あいつの夢が破れた」

「夢が、ですか?」

「際どい夢を見ていたんだよ。日本中が京都か江戸に分かれて戦争をしようという時に、長岡藩だけはどっちにも属せず、武力を整え、独立しようと思っていたんだ」

「独立?」

「この小さな藩が独立し、自分勝手な国を作れるかどうか、その際どさに継之助は自分の夢をかけていた」

「継之助さんは常々、戦をしてはならないと」

「これも時世だ。時代の大波が猛(たけ)り狂って、国境に迫っている。時世の咆哮(ほうこう)だ」

「戦をすれば、どうなるのでしょう」

「分からん。継之助に任せるしかない」

 

かくて、自らの思惑と乖離した状況に囲繞され、本篇の主人公は未知のゾーンに踏み込んでいくのである。

 

  

人生論的映画評論・続: 峠 最後のサムライ('19)  己が〈生〉を、余すところなく生き切った男の物語 小泉堯史 より

死刑にいたる病 ('22)   叫びを捨てた怪物が放つ、人たらしの手品に呑み込まれ、同化していく

1  「…僕はね、君と話してる時間は、すごく落ち着いていられたんだ。君と話してると、僕は普通の街のパン屋さんになった気でいられたんだ」

 

 

 

筧井雅也(かけいまさや)の祖母が亡くなり、葬儀が執り行われる。

 

Fランクの大学に通う雅也は、親戚に「東京の大学で頑張ってるんだって」と言われると、父親から冷たい視線を受ける。

 

校長先生だった祖母の「お別れ会」への出席を雅也に問う父親。

 

「お前、来ないんだろう?」

「来て欲しくないんだ」

「雅也、違うから」

 

母・衿子(えりこ)が取り持つが、父親は黙って去って行く。

 

「行かないよ」

 

そんな雅也の元に、一通の手紙が届く。

 

差出人は、中学時代に通っていた「ロシェル」というパン屋の榛村大和(はいむらやまと)だった。

 

「…君に頼みたいことがあって、この手紙を書きました。よかったら、一度会いに来てもらえたら嬉しいです」

 

雅也は自転車で商店街へ行くと、「ロシェル」は売りに出されていた。

 

「彼には、自分の決まりがあった。決まった時間に家を出て、決まった時間に店を開け、決まった年代、決まったタイプの少年少女に目をつけ、決まったやり方で家に運び、決まったやり方で甚振(いたぶ)り、決まったやり方で処理した。警察は、23人の少年少女と一人の成人女性を殺害した容疑で、彼を逮捕した」(雅也のモノローグ)

 

裁判での被告人尋問。

 

「あなたは警察の捜査が迫っているのに気づき、精神的に追い詰められていたんじゃないですか?」と検事。

「追い詰められたことはありません」

「現に逮捕されてるじゃありませんか」

「逮捕されたのは、僕が慢心したからです。警察が優秀だったわけではありません…睡眠薬で眠らせたはずの女の子に逃げられたこともそうです。初めの頃なら、逃げられないように拘束していたはずです。それに、庭に遺体を埋めたりしませんでした。骨にして細かく砕いてから埋めていましたから」

「つまり、以前のように犯行を繰り返していれば、逮捕されることはなかったということですか?」

「はい。もう一度やり直せるなら、捕まらないでしょうね」

 

雅也は榛村の依頼に応じ、東京拘置所へ面会に行った。

 

「僕が通ってた頃から、やってたんですよね…僕のことも…」

「それは違う。当時の君は、まだ若すぎたんだよ。僕が惹かれる子たちは決まっててね。17歳か18歳の真面目そうな高校生で。15歳の中学生では、ダメなんだ」

「そう…なんですね」

「…僕はね、君と話してる時間は、すごく落ち着いていられたんだ。どうしてかな。君と話してると、僕は普通の街のパン屋さんになった気でいられたんだ。僕はもう死刑判決を受けた。それでいいと思ってる。当たり前だよね。でも、一つだけ納得が行かないことがあってね。僕は24件の殺人容疑で逮捕されて、その中の9件が立件されたんだけど、その9件目の事件は僕がやった事件じゃないんだ。9件目の事件は、僕以外の誰かが犯人だってことだよ…まだ本当の犯人は、あの街にいるかも知れない。今それ知ってるのは、君と僕だけだ…断ってくれてもいいし、途中で止めてもいい…もし、興味があったら、僕の弁護士の所に行ってもらえないかな」

 

時間オーバーで刑務官に捕捉されながら、榛村は一方的に伝えたいことを雅也に言い残した。

 

歩道で信号待ちをしていると、拘置所でぶつかった男に、「面会ですか」と声を掛けられ、雅也も同じ質問を返す。

 

「僕はただ来てみただけなんですよ。本気で会いたいとかじゃなくて…何か、迷ってて。自分で決めると、ろくなことないから…決めてもらえます?すいません、変なこと言って」

 

雅也は、佐村弁護士事務所を訪ね、控訴審の公判準備中の資料を、アルバイト契約をして見せてもらうことになった。

 

資料の流出の違法性を知りながら、雅也は全ての被害者の写真を撮ってアパートに戻り、自宅で、狙われた高校生が榛村にどのように信頼関係を築いて被害に遭ったかをファイリングしていく。

 

そして、榛村が殺害を否定する26歳の成人女性・根津かおるに辿り着く。

 

雅也は大学でスカッシュをしていると、サークルの学生が来たのでコートを出るが、サークルに所属する中学時代の同級生・加納灯里(あかり)に誘われ、飲み会に出席することになった。

 

しかし、他の学生たちと馴染めず、雅也はすぐ店を出るが、道で酔った客とぶつかり、倒されてしまう。

 

アパートに帰ると、弁護士事務所の自分の名刺を印刷し、根津かおるが殺された現場へと向かった。

 

事件現場の山林を所有する女性から、最近まで友人らしき髪の長い女性がやって来て、手を合わせて拝んでいたという話を聞き出す。

 

実家に寄ると、衿子は祖母の「お別れ会」へ出席を拒む夫の意向を念押しする。

 

「息子が三流大学だから、恥ずかしいんだろ」

 

「榛村大和は、典型的な秩序型殺人犯に分類される。高い知能を持ち、魅力的な人物で社会に溶け込み、犯行は計画的」(モノローグ)

 

面会。

 

「根津かおるさんの殺害方法は、計画性がなく、犯行の隠蔽もされていません。感情に任せて、相手を甚振っているように思えました。榛村さんのやり方とは、かなり違います。榛村さんは、被害者の爪は必ず剥がしていたってことでいいんですよね」

「うん。少なくとも、起訴された件に関してはそうだね」

「根津かおるさんの爪は、すべて揃ってました。それに榛村さんは、90日から100日、必ず間隔を空けてから犯行を繰り返していましたが、根津かおるさんが殺されたのは、榛村さんの最後の犯行から1か月半後です」

「僕の言ったこと、分かってもらえたみたいだね」

「まだ、調べないと」

「警察も、裁判官も、同じ時期に、同じ地域でこんな残虐な殺人鬼が二人もいる可能性はないって判断だったよ」

 

頷く雅也。

 

「僕は可能性はあると思ってます。根津かおるさんの同僚だった方に会ってきたんです」

 

その元同僚は、根津かおるが1か月前からストーカーがいて、上司が根津を気に入っていたと言う。

 

更に、根津の同級生にも会い、高校生くらいから潔癖症と偏食が目立ってきて、年々悪化し、事件当時には不潔恐怖症になっていたと言い、犯人はそれを知ってから、泥の中で甚振ったとも考えられると話すのだ。

 

「やっぱり、すごいな、君は」

 

榛村は感動した面持ちで、雅也を褒め称(たた)える。

 

「でも、雅也君、僕が言うのもおかしな話だけど、本当に気を付けてくれよ。そいつは人殺しなんだから」

 

その言葉を聞いて、雅也は軽く笑みを浮かべる。

 

「榛村大和と話していると、ロシェルに通っていた頃を思い出す」(モノローグ)

 

中学校の制服を着た雅也が、店のカウンターで榛村と歓談する回想シーン。

 

その後も雅也は、精力的に根津かおるの真犯人探しに勤しむ。

 

根津かおるを気に入っていたという上司に会い行くが、彼にはアリバイがあった。

 

実家で祖母の遺品を片付けている母親に、その処分について聞かれる雅也。

 

笑い声に反応する父親が、「喪中だぞ。燥(はしゃ)ぐな!」と声を荒げるのだ。

 

箱の中から、一枚の写真を手に取る。

 

子供たちとスタッフの集合写真で、左端に若かりし頃の衿子が写っており、その隣には、榛村が立っているのを発見し、驚く雅也。

 

その写真には、榛村を19歳に時に養子に迎えた榛村桐江(きりえ)も写っている。

 

人権活動家である桐江のファイルには、幼少期に父親から身体的および性的虐待を受けるようになり、その経験から、自分と同じように恵まれない家庭で育った青少年を保護する施設の代表を勤めるようになったと書かれている。

 

当時の桐江のことを知る滝内という男から話を聞く雅也。

 

桐江の元で、施設のボランティア活動をしていた榛村は、「一番の当り」と言われ、問題行動の多い子供もうまく操縦していたという。

 

「子供たちの中でも、一番逆らってくる奴をまず手なずけるんです。そいつが自慢したいことに、“すごいなぁ、君は!”みたいなことを言ってやったりね。それでその子をリーダーっぽく扱ってやってから、他の奴を可愛がって寂しくさせる。そういうことをね、自然にやるんです」

 

桐江のお気に入りであった榛村は、「少年院返りだからと言って、色眼鏡で見ないでください」と常に桐江に庇護を受けていた。

 

「みんな、彼を好きになる…滝内さんは、どうでしたか?」

「ええ、私も大和を庇いましたよ」

 

最後に雅也は例の集合写真を見せ、榛村と並んでいる母親を差して、覚えているかを尋ねる。

 

「…衿子ちゃんだ…この子も人づきあいがあまり上手いほうじゃなかったんですけど、大和とは仲が良かったですね。この子も、桐江さんの養子だったんですよ」

 

しかし、衿子は問題を起こし、大和らと同居していた桐江の家を追い出されたと言うのだ。

 

妊娠したと話すが、その相手を滝内は知らなかったと付け加えた。

 

激しく動揺する青年が、そこにいる。

 

 

人生論的映画評論・続: 死刑にいたる病 ('22)   叫びを捨てた怪物が放つ、人たらしの手品に呑み込まれ、同化していく   白石和彌  より

ベイビー・ブローカー('22)  「生まれてくれて、ありがとう」 ―― この生育を守り抜いていく

1  「一番売りたかったのは、私なのかも」「私たちの方が、ブローカーみたい」

 

 

 

弾丸の雨の中、一人の若い女が、教会のべイビーボックスの前に赤ん坊を置いて去って行く。

 

「捨てるなら産むなよ…あの女、任せた」

 

その様子を見ていたスジン刑事がイ刑事に呟き、二人は車から降りて、スジンは置き去りにされた赤ん坊をボックスに入れた。

 

赤ん坊を受け取ったのは、クリーニング店を経営するサンヒョン。

 

教会の職員である相棒のドンスとタッグを組み、ベイビー・ブローカーをしている。

 

赤ん坊には母親からのメモが添えられていた。

 

「“ウソン、ごめんね。必ず迎えに来るからね”…また“迎えに来る宣言”か。連絡先はない」

「その気ゼロだね」

 

ドンスが、「なんで捨てようと思ったんだろう」と呟き、赤ん坊がボックスに入れられた時のビデオを消去する。

 

「俺たちと、これから幸せになろうな」

 

サンヒョンはウソンを車に乗せ、ドンスを残して教会を後にする。

 

その車を追尾するスジンたち。

 

イ刑事もまた、赤ん坊を捨てた若い女を尾行するが見失ってしまう。

 

サンヒョンはクリーニング店の仕事をしながら、自宅に連れて来たウソンの面倒をみている。

 

そのクリーニング店を車から張り込みする刑事たち。

 

食事中だった。

 

「それにしても、ベイビーボックスを人身売買に使うなんて大胆ですね。そもそも、あんな箱作るから、母親が無責任になる。チーム長は意外と優しいんですね…赤ちゃん、あのままだったら死んでましたよ」

「優しいのよ。知らなかった?」

 

その後、赤ん坊を置き去りにした母親が、メモに書いた通り、教会にウソンを迎えに来た。

 

ドンスから電話を受けたサンヒョンは、「警察に行きそうだったら連れてこい」と指示する。

 

母親は、赤ん坊が預けられた記録はないと職員から説明され、当日の当直だったドンスが施設内を案内するが、ウソンは見当たらなかった。

 

ボックスに入れなかった上に、手紙に連絡先を書かなかったことで、見つかっても母親と証明できないとドンスに言われ、為す術もなく、母親は帰って行く。

 

ドンスは彼女の後をつけ、サンヒョンの家に連れて来た。

 

誘拐だと詰(なじ)る母親に対し、ドンスが反駁(はんばく)する。

 

「捨てたくせに」

「捨ててません。預けたの」

ペットホテルじゃないぞ」

「“迎えに来る”って、手紙にも書いたわ」

 

サンヒョンが養子縁組について説得する。

 

「そう書いちゃうと、教会は養子縁組リストから外す。100%養護施設行きだ。分かりますか?愛する気持ちで書いても、未来の可能性を狭めてしまいます。僕たちはウソンを、そんな暗い未来から救ってあげたいんです。養護施設の孤児より、温かい家庭で育つ方がよっぽどいい」

「養子縁組。養父母を探すんだ」とドンス。

「そんな権利ないでしょ?」

「捨てたあんたにもない」

「盗んだくせに」

「保護」

「もちろん僕たちに権利はないけど、ひとことで言うなら、善意ってことかな…子どもができないとか、養子縁組の審査を待てない親の元に、言えない事情で手放した…お名前は?」

 

そう言った後、名を聞とサンヒョン。

 

「ソナです。ムン・ソナ」

「最高の養父母を探すことを約束します…少し謝礼が出ます」

「1000万ウォンだな。男の子の相場は」とドンス。

「誰に?」

「もちろん、ソナさんと仲介する僕たちに」

「何が善意よ。ただのブローカーでしょ」

「簡単に言えばね」

 

【円の為替レートで、現在、1ウォン = 約0.1円】

 

翌日、養子縁組先への出発前に、顔見知りの店の息子・テホが血糊の付いたシャツを持って来て、サンヒョンが借金している連れのヤクザから5000万ウォン(約約519万)を催促される。

 

ウソンを含めた4人は、ワゴン車に乗り込み目的地へと向かい、スジンらは、「現行犯逮捕する」と意気込んで後を追う。

 

養子縁組先の夫婦が現れ、赤ちゃんを見せると、眉が薄いと難癖をつけ、400万ウォンを分割でと要求する。

 

自分の子供の顔をバカにされたソナは、「クソ野郎」と罵倒し、交渉は決裂してしまった。

 

一方、ホテルで男が殺された事件を捜査する刑事たちは、ソナがいた身寄りのない子を預かる売春斡旋の施設へと聞き込みに入る。

 

次の養子縁組先を求めて、3人はドンスが育った釜山の養護施設に行き、歓待されるが、そうした案件はなかった。

 

ドンスはこの施設に捨てられ、母親が迎え来るとメモに残したが、結局、母親は現れなかったと、サンヒョンがソナに話す。

 

4人は更なる養子縁組先に向かって車を走らせていると、サンヒョンが後ろを振り返り、施設のサッカー好きの少年・ヘジンが同乗していることに気づく。

 

自分を養子にしてくれと言っていたヘジンは、4人が家族ではなく、ウソンを売ろうとしていることを知っており、一緒に連れて行くしかなくなった。

 

ドンスが見つけた高額な金額を示している養子縁組の案件は、スジンが現行犯難逮捕するためのおとり捜査だった。

 

しかし、不妊治療に疲れたという夫婦に対し、ドンスが治療内容の質問をすると、頓珍漢な答えが返って来たので、すぐさま転売目的と判断し、あっさり引き返すことにした。

 

ワゴン車の洗車をする際に、ヘジンが窓を開け、水浸しになった5人は大笑いする。

 

クリーニングの服を皆で着替え、和やかなムードに包まれる。

 

このムードで気持ちが軽くなったのか、ソナが自分の本名がムン・ソヨンであると告白するのだ。

 

そんなソヨンに、彼女によって殺されたウソンの父親の妻から電話が入る。

 

「赤ちゃん、渡してよ。“お母さん”って人に、お金を払ったの。500万ウォン。中絶する約束だったのに、勝手に産んで…」

 

その直後、ソヨンはスジンに捕捉され、事情聴取される。

 

ソヨンはスジンと取引し、盗聴マイクを仕込まれ、4人の元に戻る。

 

サンヒョンとドンスの会話の盗聴のためである。

 

ウソンが熱を出し、泣き止まないので医者へ連れて行く。

 

ただの風邪と診断され、皆、安堵する。

 

一方、ウソンの殺された父親の妻が、夫の子を育てるために、探して連れて来るようにと部下のテホに指令する。

 

サンヒョンの元に、テホからソヨンの父親が4000万ウォンで引き取るという電話が入る。

 

そんな中での、ソヨンとドンスの会話。

 

「あんたは、養子は考えなかったの?」とソヨン。

「養子の話は自分から断った」とドンス。

「お母さんを信じて?」

「俺は捨てられたと思ってなかったから」

 

その後、外でスジンらと会うソヨン。

 

ソヨンはウソンの父親である売春相手の男を殺害した一件で、スジンのおとり捜査取引に応じいたからである。

 

「言われた通り、売るから心配しないで」とソヨン。

「助けたいのよ。私もチーム長も」とイ刑事。

 

言うまでもなく、「売る」とは現行犯逮捕のために乳児斡旋の現場を作ること。

 

折も折、ウソンが熱を出し、泣き止まないので医者へ連れて行く。

 

部屋に戻ったソヨンは、3人の他愛ない会話に入り、サンヒョンから取れかかったボタンを直した服を受け取るなど、優しさに触れる。

 

「あいつも、親の顔知らないんだ」

 

ドンスがシャワーを浴びに行ったヘジンを思いやる。

 

「ウソンも私の顔を知らない方がいい」

「どうして?」

「人殺しだから…」

 

驚く二人。

 

「誰を?」

「ウソンの父親」

「なんで?」

「“生まれなきゃよかった”って、ウソンを奪おうとしたの。今、そいつの奥さんが、私を捜してる。売ってくれるなら、私を置いて行ってもいいよ」

 

ウソンを抱き、テホに連絡するサンヒョン。

 

ワゴン車に乗り込むと、車内でGPSを見つけたドンスは、それが警察ではなく、ウソンの父親の関係者であると疑い、サンヒョンがソヨンを置いていくのではないかと訝(いぶか)るのである。

 

「今回はお金じゃなくて、ソヨンが納得する買い手を見つけてやろうよ」

「バカ。俺だって金が全てじゃないよ」

「ならいいけど。これは俺に任せて」

 

テホがやって来た。

 

「ウソンの父親、死んでるって?」

「だから何だよ。金払えばいいだろ」

「じゃあ誰がウソンを買うんだ?」

「死んだ男の女房」

「買ってどうする?」

「自分で育てるって」

「バカ言っちゃいけませんよ。転売する気だろ?外国に。絶対、渡さないからな」

 

無理やりドアを開けようとするテホをドンスが打ちのめし、4人は車で逃走して、ソウル行きの列車・KTX(韓国高速鉄道)に乗り継ぐのだ。

 

サンヒョンはソヨンに訊ねる。

 

「もしかして、ウソンをボックスに入れたのは、本当に迎えに来るつもりで?」

「分からない。でも、私達がもう少し早く出会っていれば、捨てなくて済んだかも」

「まだ手遅れじゃないよ」

「何で?」

「何でもない」

 

実現不可能な思考実験としての「反実仮想」(はんじつかそう)だが、意味深な会話だった。

 

ソウルで面会した夫妻は、ウソンを実子として育てたいと提案し、母親が会うのは最後にして欲しいと言われる。

 

今晩考えることになり、5人はヘジンが行きたがっていた遊園地で存分に遊ぶのだ。

 

観覧車に乗ったソヨンとウソンを抱っこするドンス。

 

「やめてもいいよ。養子に出すこと…なんなら、俺たちが育ててもいい」

「俺たち?」

「4人で。ヘジンも引き取って、5人でもいいな」

「変な家族ね。誰が誰の父親?」

「俺がウソンの父親になるよ」

「そんなふうに、やり直せたらいいな…でも無理。すぐ逮捕されるから。釜山の売春婦、ムン某氏が男性を殺害して逃亡中。邪魔になった赤ん坊をベイビーボックスに捨てたって」

「お前のこと見てたら、ちょっと気が楽になった」

「なんで?」

「僕の母親も、僕を捨てなくちゃいけない理由があったんだろうなって」

「でも、許す必要なんてない。ひどい母親には変わりないもの」

「だから、代わりにソヨンを許すよ」

「ウソンは私を、きっと許さない」

「ウソンを捨てたのは、人殺しの子にしたくないからだろ?」

「でも、やっぱり捨てたの」

 

ソヨンはじっとドンスを見つめていた。

 

遊園地で車の中で待つスジンとイ刑事。

 

「一番売りたかったのは、私なのかも」

「私たちの方が、ブローカーみたい」

 

本篇で最も痛烈な会話が宙刷りにされていた。

 

 

人生論的映画評論・続: ベイビー・ブローカー('22)  「生まれてくれて、ありがとう」 ―― この生育を守り抜いていく  是枝裕和  より

岬の兄妹('18)   炸裂する、障害者という「弱さ」の中の「強さ」 

1  生きるためなら何でもするという生存戦略が渦巻いていた

 

 

 

「真理子、真理子!」と呼びかけながら、足を引き摺り歩き回る男の叫びから物語は開かれる。

 

下肢機能障害である男・道原良夫(以下、良夫)。

 

港町の造船所で働く良夫は、警官の友人・肇を呼んで助けを求めるが、やはり見つからない。

 

夜になり、公衆電話から携帯に連絡が入り、迎えに行くと、見知らぬ男の車から真理子が降りて来た。

 

「真理子、何で勝手に出てったんだよ。3回目だぞ」

「出てないよ」

 

妹の真理子は自閉症で、常に兄が目を離せない状況だったが、この日は鍵を壊して家を出て行ったのだった。

 

真理子が風呂に入っている間、良夫が真理子の脱いだ服を片付けていると、ズボンのポケットから1万円札が見つかり、下着が汚れていることに気づく。

 

「この金、どうしたの?」

「金?もらった」

「誰から?」

 

きちんと返答せずに、濡れた体のまま裸で風呂から上がった真理子に、良夫は尚も詰問する。

 

「冒険。冒険」

 

そう答える真理子が握り締めていた札を取ろうとすると、思い切り手を噛みつくので、良夫は真理子を叩きつけてしまう。

 

翌朝、いつものように鎖で繋ぎ、鍵を締め、家を出る良夫。

 

造船所から解雇を告げられた良夫は、社長から気持ちばかりの慰労金を渡される。

 

良夫はティッシュの広告入れの内職(一個一円)をするが、家賃が足りず、肇の家へ無心しに訪ねると、ちょうど身重の妻と法事に出かけるところだった。

 

「なんか今、従業員リストラしてて、俺、足悪いじゃん。で、もう、そういう奴いらないって。だから辞めてやった。畜生!あいつら、ぶっ殺してやる!」

 

泣き縋(すが)る良夫が1万円しか受け取れないと、なおも「俺と真理子が餓死してもいいのか!」と迫り、肇が香典を開けようとすると、妻がそれを阻止する。

 

妊娠中の妻のお腹に興味を持った真理子が、お腹に耳を当てる。

 

家に帰ると、真理子の貯金箱を割り、真理子が受け取った1万円に手をつける。

 

電気を止められ、ゴミ袋を漁って食べ物を探す二人。

 

ティッシュを食べる真理子を止めさせるが、「甘い」と言うので、良夫も食べてみると、「甘い」と笑顔になる。

 

「ご飯、7時?お母さん!」

「お母さん、遠くへ行っちゃった」

 

そこで真理子は、「冒険する」と言って、外へ出て行こうとする。

 

「冒険するか」と呟く良夫。

 

真理子を連れ、夜の港に駐車するトラック運転手に、「いい子がいるんですけど、いかがでしょう?」と声をかけるが、相手にされない。

 

次に声を掛けた男とは売春の話が成立し、トラックで行為が始まるが、真理子が常に首にかけているマスコットを外そうとすると嫌がり、男の手を噛んで激しく抵抗する。

 

結局、金を返す羽目になった。

 

「もう、帰ろうか?」

「帰らない」

 

トイレで拾った口紅を真理子につけ、再び街に繰り出していくのだ。

 

客と商談が成立するが、そこにヤクザが入って来て、シマで勝手に商売をする良夫はボコボコに殴られてしまう。

 

女が妹だと知ると、面白いと言って、ヤクザの商売に利用されることになる。

 

目の前で真理子が男とセックスする姿を見せつけられ、幼い頃の真理子がブランコの鎖で「気持ちいい」と股をこすり、母親に叱られていたことを思い出す良夫。

 

真理子はその時と同じように、「気持ちいい」と言ってセックスを楽しんでいる。

 

港でヤクザから受け取った万札を見つめ、良夫は真理子に訊ねる。

 

「また、行きたいか?今日みたいなこと、またしたいか?」

「するよ」

 

売春という危ない世界に踏み込んでいく兄妹の行為には、生きるためなら何でもするという生存戦略が渦巻いているようだった。

 

【真理子が首にかけているマスコットへの固執は、自閉症スペクトラムに見られる、特定の物に対する拘泥を示す「同一性の保持」という行動様式である/自閉症スペクトラムについては、拙稿「僕が跳びはねる理由」を参照されたし】

人生論的映画評論・続: 岬の兄妹('18)   炸裂する、障害者という「弱さ」の中の「強さ」   片山慎三 より