1 「私は、マモちゃんになりたいって思う…それが無理なら、マモちゃんのお母さんでも、お姉ちゃんでもいい。何なら従兄妹でもいいよ」
「山田さん、もし、もしだよ。まだ会社にいて、今から帰るところだったりしたら、何か買って届けてくれないかな。俺今日、なんも食ってなくて」
「今、まさに会社ですけど…しょうがないな。頼まれてやっか」
会社ではなく帰宅したばかりの山田テルコは、熱を出してダウンしている田中マモルからの電話を受け、買い物をするや、嬉々としてマモルのアパートへ向かう。
テルコが作った味噌煮込みうどんに顔を顰(しか)めるマモルは、ゴミの片づけから風呂場の掃除までするテルコを「そろそろ帰ってくれるかな」と言って、強制的に追い出してしまう。
【その人格を疑うような、強制帰宅の原因が味噌煮込みうどんであることは終盤に回収される】
「そう言えば、マモちゃんはいつの間にか、私のことをテルちゃんて呼ばなくなっている」(テルコのモノローグ)
所持金も少なく、夜中の2時に街を彷徨うテルコは、友達の葉子にタクシー代を払って貰い、家に転がり込むことにした。
家の前には葉子の部屋に泊まっていたナカハラがテルコの到着を待ち、葉子の財布を渡して自分は帰って行く。
「そんな風に言いなりになっていると、関係性が決まっちゃよ。向こう、どんどんつけ上がるよ。悪いこと言わないから、やめときな。そんなオレさま男」
葉子に忠告を受けても、聞く耳を持たないテルコ。
「どうしてだろう。私は未だに、田中守の恋人ではない…」(モノローグ)
友人の友人として参加する結婚式で、「パーティーで馴染めない同士のちょっとした親近感」で声をかけられ、互いに“テルちゃん”、“マモちゃん”と呼び合うことになった。
「金曜日はほぼ90%の確率で、マモちゃんから連絡が来る。この5か月で、マモちゃんの行動パターンはほぼ完璧に把握した」(モノローグ)
携帯ばかりを気にしているテルコは、上司に呼ばれて仕事のミスを注意される始末。
「連絡が来たらいつでも対応できるよう、会社で時間を潰すのにも慣れた」(モノローグ)
その日は当てが外れ、残業しても連絡が入らないので、家に帰ってカップラーメンを食べ、シャワーで髪を洗っていると、携帯電話が鳴った。
「実はまだ食事してないんだよね」
マモルの誘いで居酒屋に駆けつけるテルコ。
出版社に勤めるマモルは、「33歳になったらプロ野球選手になる」などといった荒唐無稽な話をする。
朝まで飲んで、タクシーを拾い、マモルの自宅へ行って一緒に寝るという愉悦感に浸っている。
ブランチを食べ、午後もデートするテルコは笑みに包まれていた。
「20台後半の恋愛なんて、“好きです”、“付き合って下さい”なんて言葉からじゃなく、こうやって何となく、だらだらと始まる方が多いのではないだろうか。それからほぼ毎日、マモちゃんから連絡がくるようになった。連絡がきたら、100%会いに行くようになったし、終電がなければ、当たり前に泊まった」(モノローグ)
寝坊をして会社に行こうとするテルコを、マモルは動物園に誘う。
「俺やっぱ、33歳になって会社辞めたらゾウの飼育員になるわ。プロ野球選手より現実的じゃない?」
ゾウの檻の前でその言葉を耳にして、涙を流すテルコ。
「33歳でゾウの飼育員になる、と言ったマモちゃんの33歳以降の未来には私も含まれているのだと、なぜかその時強く思って、そしたら、その未来は何もかもが完璧すぎて、自然と泣いてしまった、なんて言ったら、きっとマモちゃんはもっと笑っただろう。“意味分かんねぇ”とか言って」(モノローグ)
会社をクビになったテルコは、荷物を片付けて帰るところ、同僚に声をかけられた。
「私は、どっちかになっちゃうんだよね。好きとどうでもいいのどっちか。だから、好きな人以外は、自然と全部どうでもよくなっちゃう」
「私、来月結婚するんです。でも、仕事も続けようと思ってて。別に結婚って、安定じゃないですからね。今の時代」
会話の要諦(ようてい)である。
分かりやすい関係観を繋ぐテルコの青春模様が、今やフルスロットル状態。
テルコは商店街で目に留まった2人用の土鍋を買い、マモルのアパートで食事の支度をし、汚れた衣類を洗濯し、引き出しに整頓して入れる。
マモルが風呂から出て冷蔵庫を開けて、「やっぱ多めにビール買っておきゃよかった」と呟く。
その言葉に反応して、すぐさま買いに行こうとするテルコ。
「別に買って来て欲しくて言ったわけじゃない」
そう言って引き留めた直後、マモルは引き出しを開けるや、整理された衣類を見て苛立ちが沸点に達する。
それでも買いに行こうとするテルコは、マモルの冷めた眼差しに気づく。
「いつでも言ってくれいいんだよ。あれこれ頼んでくれると、やることあって逆に助かるの。遠慮とか気遣いとかしなくていいから。私に関しては」
そう言って出て行ったテルコを見て溜息をつくマモルは、キッチンの土鍋が目に入り、力が抜けてしまう。
翌朝、テルコはマモルに朝早く起こされ、会議があって出勤するので一緒に出ないなら、先に帰るように言い渡される。
事実上、テルコはまたしても、マモルの家から追い出されたという顛末だった。
買って来た土鍋と荷物を抱え、先に歩いて遠ざかっていくマモルの後姿を見つめるテルコ。
「この日を境に、マモちゃんから一切連絡が来なくなった。33歳以降のマモちゃんの未来どころか、あれからたった1か月ちょっとのマモちゃんの未来にも私はいなかった」(モノローグ)
年越しを一緒に過ごす予定で葉子の家を訪れると、葉子は急に仕事関係で呼ばれて出かけて行ってしまう。
家には葉子の母とナカハラがいて、3人で年越しの酒を飲む。
母が部屋に戻り、ナカハラとテルコが言葉を交わす。
「夜中に酒なんか飲んでたりしてて、あ、俺なんか寂しいんだなって気づく瞬間っていうか、そういう時って何か無性に誰かにどうでもいい話、聞いて欲しくなりません?俺は、葉子さんがそういう時に、いつでも呼び出してもらえるような所にいたいんですよね…今日は、何だか他に誰もいねぇよって時に、ナカハラいんじゃんって思い出してもらえれば、それでいい」
「ナカハラ君、気持ち悪いね…私は、マモちゃんになりたいって思う…それが無理なら、マモちゃんのお母さんでも、お姉ちゃんでもいい。何なら、従兄妹でもいいよ」
「てか、俺よりキモいっす」
「何か、私たちストーカー同盟の反省会って感じ」
邪気なく、二人は笑い合う。
除夜の鐘が鳴る。
「幸せになりたいっすね」
「そうっすね」
異性意識の希薄な二人の寂しさが募っていくようだった。
「マモちゃんから連絡が来ないまま、春になった」(モノローグ)
以前に利用していたボルタリングジムに、担当者と採用後の話を進めている最中にマモルから電話が入るや否や、矢庭に「やっぱり止めます」と言って走り去り、嬉しそうに電話に出るテルコ。
会いに行くと、マモルは予備校の事務をしているというすみれと一緒に座って待っていた。
もうすぐ35歳というすみれは、飾り気なく自由に振舞う女性で、店を出た後、もう一軒別の友達と飲みに行くと言い、一人で去って行った。
「あの人、恋人?恋人を紹介する会だったのかな、ひょっとして。恋人できたから、もう電話してくんなって感じ?」
「そんな事、一言も言ってないじゃん。俺さ、山田さんのそういうところ、ちょっと苦手。そういう5周くらい先回りして、変に気を遣うとこって言うか。逆自意識過剰ってか」
「ごめん、ごめんってば」
「すみれさん見習いなよ。あのガサツ女、あいつ、全然気とか遣わないじゃん。俺もそっちの方が楽だよ」
そう言って、マモルはタクシーを止め、さっさと自宅に帰って行った。
一人、夜道をすみれの悪態をつきながら歩くテルコ。
葉子がアパートに訪ねて来た。
「マモルの話聞いてると、うちの父親のこと思い出してイラつくんだよね。うちのお母さんて、昔で言う所謂(いわゆる)、お妾さんってやつだったのね。父親っていうか、子供の私からしたら、たまに家に来るオジサンなんだけどさ。そいつ、お母さんに自分の子供の運動会の写真とか平気で見せたりしててさ。死ねばいいのにって思ってた。だって、お母さんのこと、完全に舐めてんじゃん。見下してるから、そういうことができるでしょ?」
話が続く。
「あんたの良いところはさ、どんなにどん底って時も、ちゃんとお腹減って、死にたいとか冗談でも言わないとこだよね」
「だって死んだら、マモちゃんに会えないじゃん」
「あんたってホント、不思議ちゃんっていうより不気味ちゃんだわ」
まもなく、テルコはスパで風呂場の掃除の仕事を始めた。
しかし、今はマモルに会える時間を優先する仕事にしか就くつもりはない。
すみれから電話で誘われ、中目黒のクラブに向かったのは、そんな時だった。
マモルは誘われておらず、テルコは電話ですみれと一緒にいると伝え、呼び出す。
アバウトなすみれにゾッコンなマモルは、気を引こうとするが相手にされない。
その場の空気で、マモルの友達の別荘に皆で行くことになり、テルコも誘われた。
その帰り、マモルはテルコの家に行き、セックスしようとするが不発に終わった。
「煮詰まった関係が嫌なんだって」
「すみれさん?」
「分かる?そういうの」
「全然分かんない。マモちゃんがそういう人なんだと思ってたよ」
「俺ってさ。俺ってあんまり格好良くないじゃん。ずば抜けてオシャレとかでもないし、体型とかもなんか貧相だし。優しいかっつったらそうでもないしさ。金持ってるわけでもないし、仕事できるかって言われれば大したことないし。そりゃ自分でずばりダサいとは思いたくないけどさ。世の中の男を格好いいと格好悪いで2つに分けたらさ、俺、絶対格好悪いほうだと思うの…そういう男にさ、なんで山田さんは親切にするわけ?」
「親切?」
「今日とかだってそうじゃん。すみれさんとこに呼んでくれたりするし」
「それはさ、好きだからとか、そういう単純な理由なんじゃないの」
「ていうかさ、好きになるようなとこなんか、ないじゃんっていう話なんですけど」
「そうだよね。私もそう思う。好きになるようなとこなんてないはずなのにね。変だよね」
「はっきり言われると腹立つな」
二人は足をぶつけ合いじゃれる。
「好かれるような所なんてない人なんだからさ。きっと無理だよ、すみれさんなんて…だから、あたしでいいじゃん。すみれさんじゃなくて、あたしで」
「だな」
束の間のハネムーンだった。
人生論的映画評論・続: 愛がなんだ('18) 後引き仕草が負の記号になってしまう女子の、終わりが見えない純愛譚 今泉力哉 より