悲しみのミルク('08)   凄惨なる「地獄の記憶」を引き剥がし、進軍する

 

1  「母さん、見てごらん。海に来たよ」

 

 

 

「♪きっと いつの日にか お前も分かるだろう ならず者たちに向かって 泣きながら言ったこと ひざまずいて 命乞いをしたことを あの夜 私は叫んだ 山はこだまを返し 男たちは笑った 痛みと闘いながら やつらに言い返した 狂犬病のメス犬から 生まれた男たちよ だからお前たちが吸ったのは メス犬の乳だ 今度は私を飲むがいい 今度は私を吸えばいい 母犬の胸でしていたように 今歌っているこの女は あの夜 捕らえられ 手込めにされた 男たちは気にも留めなかった おなかの中に娘がいることを あの恥知らずたちは 娘が見ている中 手と肉棒で犯した それだけは飽き足らず 殺された夫のものを口に押し込んだ 哀れないちもつは 火薬の味がした あまりの苦しみに私は叫んだ いっそのこと殺して欲しい そして夫と一緒に 埋めるがいいと この世には分からぬことばかり♪」

 

ベッドに横たわり、自らの体験を歌いながら語るファウスタの母。

 

ゲリラに夫を殺され、お腹の中にファウスタを宿した母は、凄惨な性暴力を受けたのである。

 

「♪思い出すたびに 涙を流す母さん 悲しみの涙と汗が ベッドに染み込む 何も食べてないわね 要らないならそう言って 食事は作らないから♪」

 

ファウスタも歌で語りかける。

 

「♪お前が歌うことで 乾いた記憶が よみがえるなら 何か食べよう 思い出せないのは死と同じだから♪」

 

そして、母は歌いながら死んだ。

 

結婚式の準備をしている従姉妹のマキシマと叔父たちの前に現れたファウスタは、鼻血を出して倒れ込む。

 

リマの産婦人科に連れて行かれたファウスタを診た医師が、叔父に説明する。

 

「膣内にジャガイモがありました。治療は拒まれました。動揺していたようです」

「子供の頃から恐怖で鼻血を出します。さっき、あの子の母親が亡くなりました。だから気絶した。村ではつらい時期を過ごし、テロの時代に生まれた。母乳から恐怖が伝わったんです。そういう子を“恐乳病”と呼んでます。恐怖と一緒に魂を土に埋めている。リマには無い病気でしょう?」

「つまりジャガイモのことを知っていたと?」

「それは知りませんでした」

 

ジャガイモが勝手に入ったという叔父に対して医師は呆れ、子宮が腫れ、化膿する危険性があり、ジャガイモが成長し細菌が繁殖していると指摘し、鼻血は毛細血管が薄いからだと言う。

 

「簡単な手術で焼けば、すぐ治ります」

 

しかし、叔父は鼻血は恐乳病のせいだと言い張り、医者は恐乳病という病気はなく、母親からの感染もないと言い、入院の書類を渡す。

 

結局、ファウスタと叔父は村へのバスに乗り込んだ。

 

「あの医者は分かっていない。避妊のためじゃないの…私の意志を認めて。テロの時代に近所の人もしてた。気味悪がられて、レイプされないように。賢い方法だと思った…」

「今は時代が違う。村とも違うんだ。そんなことは起きない」

 

村に帰ると、母の墓穴を掘りはじめた叔父に、ファウスタは「村で埋葬する」と止める。

 

「そんな金はどこに?」

「何とかする」

 

ファウスタは母の埋葬資金を稼ぐため、叔母から紹介された夜だけのお屋敷のメイドの仕事を始めることになった。

 

前金を受け取るつもりだったが、断られてしまい、母の埋葬がすぐにできなくなった。

 

制服に着替えたファウスタは、屋敷の主人で音楽家のアイダに呼ばれるが、軍服を着た男の写真を見て鼻血を出してしまう。

 

ファウスタは部屋で、恐怖心を紛らすために、歌いながら膣から出てくるジャガイモの芽をハサミで切り取っている。

 

「♪さあ 歌うのよ 楽しいことを歌わなきゃ 恐怖心をまぎらわし こんな傷なんて ありもしないふうに 悟られないように♪」

 

朝になり、ファウスタは日課の仕事として、予定の時刻にやって来る庭師のノエを玄関のドアを開けて中に入れた。

 

前金が月末までもらえないと叔父に話したファウスタは、「娘の結婚式までに村へ運んでくれ。さもなくばここで埋める」と言い渡される。

 

この二人は、制服を着て結婚式の会場で働いているのである。

 

屋敷に行くと、倒されて壊れたピアノと割れた窓ガラスが散乱していた。

 

作曲に行き詰っているアイダは、キッチンでテレビを観ているファウスタに、昨日の歌をまた歌ってくれと頼むのだ。

 

「できません」と答えるファウスタ。

 

洗面室でネックレスの真珠をバラまいてしまったアイダは、ファウスタに拾うのを手伝わせる。

 

「歌ったら1粒あげる。全部そろったら渡す」

 

ファウスタはそれに応えなかった。

 

いとこの結婚で集まった縁者たちの中で、ファウスタに目をつけた男が話しかけてくるが、それを無視して部屋に戻った。

 

仕事が終わって帰るファウスタを迎えに来る叔父の娘のマキシマに代わって、その男が屋敷に来たが、それも断る。

 

そこにやって来たノエが、仕事の途中で「俺が送ろうか?」と声をかけてきて、ファウスタは断ったものの、結局、家まで送ってもらうことになる。

 

相変わらず、ファウスタは母の亡骸と共にベッドで寝る。

 

屋敷に行ったファウスタは、意を決して、アイダの前で即興の歌を歌い、真珠の粒を一つ天秤のトレーに移す。

 

それがファウスタの日課となった。

 

お土産を持って来たというノエから、飴を受け取ろうとして手が少し触れただけで、飴を払い落し、走ってその場を去るファウスタ。

 

その後、ファウスタはノエに訊ねた。

 

「ここにはゼラニウム、スバキ、ヒナギク、全部あるのに、なぜジャガイモはないの?」

「君は、なぜ一人で道を歩くのが怖い?」

「決めたから」

「俺だって同じ。そうしたいだけ」

「怖くないわ。私の意志だもの」

「死だけは人間の義務だが、それ以外は自分の意志だ」

「レイプされ殺された。その死も意志だと言うの?」

 

それに黙し、その場を離れようとするファウスタに、ノエは最初の問いに答えた。

 

「イモは安い。花も少ないから」

 

パールが残り一個となり、アイダの演奏会へ同行したファウスタは、舞台でファウスタの即興の歌のメロディーが、アイダによってピアノ演奏されているのを耳にし、胸をときめかせる。

 

万雷の拍手を受けるアイダを、舞台の袖から見るファウスタ。

 

帰りの車の中で、「好評でしたね」とファウスタが声をかけると、アイダの顔色が変わり、夜の路上にファウスタを車から降ろしてしまう。

 

「真珠はどうするの?約束したのに!奥様、待ってください!」

 

走り出した車に叫ぶファウスタ。

 

マキシマの結婚式の日、ファウスタは母を村に連れて帰れなかったことを叔父に謝罪する。

 

朝まで盛り上がる結婚式に入っていけないファウスタは、母の遺体のある部屋に篭り、ドレスを着たまま眠っていると、叔父に頭と口を押さえられてしまう。

 

「見ろ。こんなにはっきり息をしてる。なのに生きようとしない」

「叔父さん、放して!」

「だったら生きろ。しっかり息して。ファウスタ行くな。行かないでくれ」

 

ファウスタは走って逃げ出し、屋敷へ向かった。

 

アイダの部屋の床に落ちた真珠を拾って握り締め、玄関のドアを開けると、そのまま倒れ込んでしまった。

 

ノエがファウスタを起こすと泣きながら訴える。

 

「お願い取って。取ってちょうだい。私の中から」

 

ノエは気を失ったファウスタを背負って、病院へ連れて行く。

 

手術が終わり、目を覚ますと叔父が傍らに座っていた。

 

「ずっと手を閉じてたそうだ」

 

ファウスタは真珠を握り締めていた手を開いて見せる。

 

トラックに乗り込み、ファウスタと叔父の家族は母の亡骸を乗せ、村を目指す。

 

海が見えるとトラックを止めてもらい、ファウスタは母の亡骸を砂浜へ運ぶのである。

 

「母さん、見てごらん。海に来たよ」

 

ファウスタの最後の歌である。

 

日常に戻ったファウスタは、誰かが来たと呼ばれて戸を開けると、そこには花を咲かせたジャガイモの鉢植えが置かれていた。

 

その花に、そっと顔を寄せるファウスタだった。

 

人生論的映画評論・続: 悲しみのミルク('08)   凄惨なる「地獄の記憶」を引き剥がし、進軍する  クラウディア・リョサ

にごりえ('53)   女に我慢を強いる貧困のリアリズム

 

一葉文学の結晶点。

 

映画史上に残る今井正の最高傑作。

 

以下、代表作3篇が揃ったオムニバス映画の梗概。

 

 

1  第一話 十三夜

 

 

 

沈鬱な表情で、嫁ぎ先の原田の家からせきが実家を訪れた。

 

久しぶりの訪問を歓迎する父・主計と母・もよ。

 

二人とも、嫁ぎ先の原田家を気遣い、せきの弟の亥之助(いのすけ)の仕事も原田の後ろ盾と感謝を口にする。

 

しかし、突然せきは、もよを前に泣き出す。

 

「お母さま、私、もう我慢が出来なくなりました。あの家には、帰らぬ決心で参りました」

「そんなこと言って、お前、どうして?」

「考えた挙句なんです。2年も3年も耐え忍んで、考えて、考えて、考え抜いた挙句なんです。お母さま。どうかせきをお傍に置いて下さいまし。これから、人の針仕事、賃仕事(手内職のこと)、なんでもして働きますから、どうかお傍に置いて」

 

せきは頭を下げて頼み込む。

 

もよは主計にその話をし、せきを弁護する。

 

「元々こっちからもらってくれって頼んでやった子じゃあるまいし、生まれが悪いの、華族女学校を出ていないのって、今更そんな勝手な言い草がありますか…子供が出来て急に冷たくなるってのは、女狂いの身勝手からで、おせきに何の罪科(つみとが)があるって言うんです。奉公人たちの前で、顔さえ見れば口汚く、教育がないの、やれ着物の揃え方が気に入らぬのと、そんな仕打ちをされてまで、おせきをそんな人のとこにやっとく必要はありませんよ」

 

華族女学校とは、明治10年に創設された皇族・華族子女のための官立の教育機関

 

せきは、17歳の正月に羽根つきをしていたのを通りがかった原田が見初(みそ)めて、強引に嫁入りを申し込んだのだった。

 

「…いくら大人しいからって、お前もお前ですよ。言うだけのこときりっと言って、なぜもっと早くそう言って出てこなかったんだね。本当にバカバカしいったら…こんな貧しい傾いた家だって、お父さんもお母さんもちゃんと揃ってるんだから、そんな仕打ちをされてまで小さくなってること、あるもんかね」

 

もよは一気に捲し立て、目頭を押さえる。

 

「親子4人、亥之助も帰って来るから、お前もここでゆっくり足を伸ばして休むといいよ…お前はしっかり幸せにやってるもんだと思ってた…女中たちに取り巻かれて、声ひとつ、涙ひとつ堪えて通さなきゃならないような明け暮れの中で、よく7年間もお前辛抱を…」

 

もよはせきを思い、さめざめと泣き、せきも思いを吐露する。

 

「太郎は…あの子のことだけは諦められません。それを思って今日まで堪えてきましたけれど…『お前のような妻を持って、俺ほど不幸な人間はない』と。さっきも夕方、着替えに寄っまま言い捨てて、どこぞへ出かけて行きました」

 

そこで、終始無言で腕組みをして聞いていた主計が口を開く。

 

「そりゃな、外で女にもてはやされ、囲い者の一人や二人、あれだけ若くて働き手なら、ありがちなことだよ…世間の奥様という人たち、上辺はともかく、面白おかしく暮らしている者がどれだけいると思う。なあ、おせき。原田さんの口入で弟の亥之も月給にあり付いたばかりだ。お前の主人の七光りで家も恩に着ているんだ。まして太郎といいう子まであるのに、今日まで辛抱ができたものなら、これから後もこらえられぬ道理はないはずだろう?ま、聞きなさい。離縁をとって出たはいい、。太郎は原田のもんだぞ。おせきは斎藤の娘だ。一度縁が切れたら二度と顔を見に行くことはできないぞ」

 

「そんな無慈悲なこと言ったって…」ともよ。

 

もよとせきは嗚咽するばかり。

 

「子に別れ、同じ風に泣くなら原田の妻で泣くだけ泣け。なあ、おせき。そうじゃないか。お父さんはお前を追い返したくない。だが、今夜は帰れ…もう、お前が何も言わんでも、わしたちは今後察している。弟もお前の気持ちを汲んで陰ながら、親子して、てんでに涙を分けおうて皆で泣こう。なあ、おせき。分かったら早く帰れ。太郎が泣いているかもしれん」

 

おせきは突っ伏して泣き崩れる。

 

「私が、我がままでございました。太郎に会えないくらいなら、生きている甲斐もないことが分かっていながら、つい、目の前の苦しさに、離縁などと言い出し悪うございました…今日限り、せきはもう死んだ気になって、心を一つにあの子を思って育てます…」

 

「ご心配おかけしました」と頭を下げ、帰って来た亥之助が人力車を拾い、せきは実家に帰って行った。

 

夜道をゆっくりと行く人力車夫に、「車屋さん、少し急いでくれませんか」とせきが催促すると、突然車を止め、車夫がせきに降りるようにと言うのだ。

 

お代もいらぬという車夫に、せきは困ってしまった。

 

「まだ、乗ったばかりなのに…」

「引くのが嫌になっちまって…すいませんがどうか、お降りになすって」

 

せめて、車が拾える広小路までとお願いするとそれを受け入れ、「勝手を言ってあっしが悪うございました」と謝る車夫の顔をふと見ると、幼馴染の高坂録之助と気づいた。

 

「お前さん」と声をかけると、録之助もせきと分かり、「面目(めんぼく)ない、こんななりで」と言って顔を背(そむ)ける。

 

せきは学校に通っていた頃の思い出を語り、録之助の体を心配する。

 

録之助は浅草の安宿の2階に住み込み、妻は子供を連れて実家へ帰したが、その子供はチフスで死んだと話すのだ。

 

妻とは離縁し、近頃は酒を浴び、車を引いても途中で嫌になって度々、客を下ろしてしまうと話す録之助は、「全く、我ながら愛想が尽き果てます」と、せきを車に戻るよう促した。

 

せきはそれを断り、広小路まで一緒に歩いてくれと頼み、肩を並べて歩き始める二人。

 

広小路を目の前にして、せきは録之助が愛嬌のいい煙草屋の一人息子と評判だったと話すと、録之助は、急にグレ出したのは、せきが嫁に行き、子供を産んだ頃だったと告白する。

 

「さぞ、ご立派な奥様ぶりだろうと、一度お姿だけでもと、その頃夢に願ってました…他愛のない子供心でした。十七だっけ。突然、ぽいっとあなたは行ってしまった。7つ8つの時から、明け暮れ顔を合わしていたおせきさんが…いやあ、生きてきたおかげでお目にかかれた。良かった…」

 

広小路に着いて、せきは金を包んで録之助に渡す。

 

「随分と体を労(いと)うて、患(わずら)わぬように…どうか、以前の録之助さんにおなりなすって、ご立派に元のようにお店をお開きになりますように…」

 

「では、いただきやす。せっかくのおせきさんの志、ありがたく頂戴して思い出にしやす」

 

大きな十三夜の月が空に浮かぶ橋のところで、二人は互いに頭を下げて、別れて行った。

 

【十三夜とは旧暦で毎月13日の夜のことで、因みに、2024年は10月15日】

 

 

人生論的映画評論・続: にごりえ('53)   女に我慢を強いる貧困のリアリズム  今井正

 

 

「戦争にもルールがある」 ―― 国際社会の規範が根柢から破壊される世界の〈現在性〉

 

他国の領土を武力で奪って国境線を変えようとする。

 

これだけは許されないという国際社会の根本的なルールを破ったロシアによるウクライナ侵略。

 

確かに、ルールなしの侵略行為は過去には横行していた。

 

欧州では、仏独などで戦争の度に国境線が目紛(めまぐる)しく変わっていたという歴史的事実がある。

 

また欧州諸国はアフリカや中東地域などを侵略し、恣意的に国境線を引いて分割した。

 

こうした行動がもたらした犠牲と破壊の凄惨さは筆舌に尽くしがたいほどだった。

 

しかし、世界はこうした経験を経て第二次世界大戦後に国際連合を発足させ、「国連憲章」を定めた経緯がある。

 

憲章の2条4項では、全ての加盟国の「武力による威嚇または行使」を禁じ、「領土の保全」を掲げ、守ることを原則にしている。

 

所謂、「武力行使禁止原則」というルールである。

 

現在、これは世界的に確立されたルールとなっている。

 

共に国連に加盟しているロシアによるウクライナ侵略は、このルールへの看過し難い重大な挑戦である。

 

止まらない民間人への攻撃の横行。

 

元より、欧州では産業革命がもたらした製鉄や火薬製造の技術の発達によって武器の破壊力と残虐性が増していく。

 

これが象徴的に可視化されたのは「ソルフェリーノの戦い」(1859年/イタリア統一戦争)。

 

イタリアの統一を目指すサルデーニャ王国が、フランス(ナポレオン3世)の支援を受け、とオーストリア軍が衝突したこの激戦である。

 

辛うじてフランス・サルデーニャ同盟軍が勝利したが、フランスは8500人以上の戦死者を出し、オーストリア軍はそれを上回る1万2000人が犠牲になり、その残虐性が際立った戦争だった。

 

【因みに、この戦いでフランス軍が使用したライフル砲はその有効性が広く認められ、以降、各国の軍隊は滑腔砲(かっこうほう/砲の内側にライフルを刻んで砲弾に回転を与えるという、高速で発射可能な現代の戦車砲の主流を成す)からライフル砲へと装備を切り替えていった/ウィキ、コトバンク参照】

 

この戦争の惨状に強い衝撃を受けたスイスのアンリ・デュナンは「ソルフェリーノの思い出」と題した書籍を出版し、これが後の赤十字運動へ繋がっていく。

 

国際赤十字社が創建されるのである。

 

こうした時代状況において、戦争であっても最低限守るべきルール(「戦争にもルールがある」という理念)を決めようという気運が高まり、1949年には、600を超える条文が記述される「ジュネーブ諸条約」が誕生する。

 

無制限な武力の行使に制限を加え、武力紛争という極限状態においても人間の尊厳を守ろうとする国際人道法への希求の所産だった。

 

陸戦の傷病兵の保護救済、海戦の傷病兵、難船者の保護救済、捕虜の人道的待遇、そして文民の保護を規定したが、その根本的な原則の一つは「民間人と民間施設の保護」であり、これを犯した行為は戦争犯罪となることを定めたのである。

 

ジュネーブ条約150周年にあたって・日本赤十字看護学会」によれば、赤十字国際委員会は、国際人道法を7つのルールにまとめている。

 

その骨子は以下の通り。

 

 戦闘や敵対行為にも参加しない全ての人々を、いかなる場合にも差別せず、人道的に取り扱うこと。

 降伏し、敵対行為を止めた戦闘員は、殺傷してはならないこと。

 紛争当事者は、その支配下にある傷病者を収容し、看護しなければならない。また、そのための医療要員、施設、機材等を保護する赤十字などの標章を尊重、保護すること。

 捕虜や抑留者の生命、尊厳、人権の尊重と保護及び家族との通信、援助を受ける権利を保障すること。

 公正な裁判を受ける権利及び拷問、体罰、残虐で品位を汚す扱いを受けない権利を保障すること。

 戦闘方法や武器の使用は無制限ではなく、不必要で過度な損害や殺傷をもたらす武器は使用してはならないこと。

 紛争当事者は、常に戦闘員と文民を区別し、攻撃を軍事目標に限定し、文民とその財産を保護するべきことの7つのルールである。

 

ジュネーブ諸条約(ジュネーブ四条約/1949年)世界の全ての国(196カ国)が加盟し、批准されているのだ。

 

イスラエルも加盟しているので、ガザ地区全体に対する空爆は、ジュネーブ諸条約共通第3条の「集団懲罰」という戦争犯罪に該当する】

 

私たちは今、ジュネーブ諸条約が世界的なルールとして定着している事実の重みを確認せねばならない。

 

それ故、電力破壊というインフラ攻撃・民間施設破壊というロシアの行動は最低限守るべきルールに対する重大な挑戦になる。

 

ところが、たった一人の男(プーチン)の意思で部隊を引けば終焉する戦争であるにも拘らず、侵略を正当化するこの男の論理は、「欧米の武器支援からの自国の防衛戦争=祖国の防衛戦争」と一方的に決めつけることで、他国民を殺害するというアナクロニズム全開の戦争犯罪が止まらないという救い難い〈現在性〉。

 

世界的なルールが、この2年間にわたる蛮行によって完全に破綻するリアルを私たちは見せつけられているのだ。

 

また、一部のグローバルサウス(ブラジル・南アら)からは植民地支配を非難し、ロシアを批判できるのかという不信感を訴えているが、そこに正当性が確保されていたにせよ、ロシアの蛮行を擁護する論理にはならないのである。

 

加えてSNSでは様々なナラティブ(陰謀論)が飛び交っていて、それを鵜呑みにする人たちが増えている。

 

【植民地支配と奴隷制度は過去に遡って非難されなければならないとした「ダーバン宣言」を採択した「2001年ダーバン会議」(反人種主義・差別撤廃世界会議)で、アフリカ・カリブ諸国が植民地支配と奴隷貿易奴隷制に対する 謝罪と補償を求め、欧米諸国との間で議論が紛糾した歴史的事実があり、以降、20余年間、植民地支配を反省する動きは世界の流れとなっている。ロイター通信によると、2023年に、オランダのウィレムアレクサンダー国王は、オランダが過去に奴隷制度に関与したことや、その影響が現在も続いていることを謝罪した。オランダ王室は同月、植民地の歴史における王室の役割について独立調査を委託しており、2025年に結果がまとまる予定だという】

 

ここで、日本経済新聞の秋田浩之コメンテーターの記事「〈展望2024〉国際情勢 危機の連鎖、広がる懸念」を切り取って掲載する。

 

【西側諸国は1930年代当時の大失敗を改めて思い起こすときだ。38年、チェンバレン英首相らはナチスドイツに甘い態度をとり、チェコスロバキアの一部割譲を認めてしまう。足元を見透かしたドイツは翌年、ポーランドに侵攻し、第2次大戦が始まった。 

 

世界は今、似たような岐路にある。ウクライナの一部領土をロシアに譲ったら、悪影響は欧州だけではすまない。力ずくで領土を奪っても構わない風潮が、世界にまん延する。ロシアと結束するイラン、中国はそれぞれ中東、アジアでより強気の行動に走るだろう。

 

(略)アジアもきな臭さを増す。中国の習近平国家主席は11月、バイデン米大統領に台湾侵攻の具体的な計画はないと告げた。だが、必要なら武力行使を辞さない方針を、習氏はこれまで重ねて表明している。米軍機への接近など、中国軍が挑発の水準を上げ始めた形跡もある。

 

(略)米国は世界の警察官の座から降り、米軍も一つの大紛争を戦う能力しかない。ならば、日本を含めた同盟国が平和への貢献を増やし、米国と連携して戦争のドミノを防ぐのが最善の道だ】

 

ウクライナの戦線維持を支援することは、米国にとってはるかに有利でコストもかからない」。

 

米戦争研究所は2023年12月、ロシアが勝利した場合に平和を維持する費用は「天文学的になる」と指摘した。

 

ウクライナが敗北すれば新たに1千キロメートルを超える欧州連合(EU)各国の国境近くにロシア軍が迫ることになる。ロシア軍の西進に対応するために、米軍や北大西洋条約機構NATO)軍は東欧での部隊増強が迫られる。ステルス戦闘機を新たに多数、配備する必要も出てくる」(「ウクライナ支援疲れの代償 断念なら『天文学的負担』」より)

 

「安保コストとしては現時点でウクライナを強力に支援した方が長期的に安くすむのは明白だ」

 

欧州外交評議会のグレッセル上級政策フェローの合理的な指摘だが、今、この認識こそ共有されねばならないだろう。

 

最後に、「ミュンヘン安全保障会議」でのゼレンスキー大統領と、記者会見でのナワリヌイ氏の妻ユリアさんの言葉を引用したい。

 

ウクライナに戦争がいつ終わるのかと尋ねるのではなく、なぜ、プーチンが戦争を続けることができるのかと自問して下さい」(ゼレンスキー大統領)

「アレクセイを殺したプーチンは私の半分を殺し、私の心と魂の半分を殺しました。でも私には、まだ半分残ってます。その半分が、私に諦める権利がないと言っています。私はアレクセイ・ナワリヌイの仕事を続け、私たちの国のために闘い続けます」(ユリアさん)

 

【余稿】

20世紀に「権威主義体制」という言葉を広めた著名な政治学、ホアン・リンス(独生まれで米国イェール大学名誉教授)らの基準によると、現代の政治体制は基本的に3種類しかない。民主主義・権威主義全体主義である。

 

―― この政治形態で最も労を要するのは民主主義である。

 

民主主義は疲れるのだ。

 

しかし、合意形成に疲れるからこそ民主主義は守り、発展させていかねばならないのである。

 

その民主主義が危機に陥ったら、民主主義社会で呼吸を繋ぐ人は、自らができ得る範疇で行動していかねばならない。

 

行動していかねば、民主主義を突き抜くような厄介な孔(あな)が空いてしまうのだ。

 

その孔を修復するには、相当の労力を要するだろう。

 

私たちが何もしなければ、孔を空けた〈悪〉がとんでもない力を持ってしまうのである。

 

「善人がただ何もしないでいるだけで、悪が栄えることになる」

 

エドマンド・バークアイルランド生まれの英国の政治思想家)の有名な言葉である。

 

アレクセイ・ナワリヌイが獄中で書いた手紙の一節にも、この言葉が引用されていた。

 

そのナワリヌイを喪った今、この言葉が持つ含みがリアリティを増している。

 

民主主義は疲れるのだ。

 

徹底的に議論し、納得するまで時間を消耗する。

 

だからこそ、価値がある。

 

【本稿は、国際報道で私が最も信頼するNHKの別府正一郎国際記者の、「キャッチ!世界のトップニュース」での問題提起と解説を受け、加筆して投稿した一文です】

 

(2024年2月24日/ウクライナ侵攻2年)

 

時代の風景: 「戦争にもルールがある」 ―― 国際社会の規範が根柢から破壊される世界の〈現在性〉

神様のくれた赤ん坊('79)   二つの旅が溶融し、二人の旅が完結する

 

1  「もしかしたら、あたしたちの考えてることって、同じなんじゃないかしら」

 

 

 

駆け出し女優の森崎小夜子(以下、小夜子)は、同棲中の漫画家志望でエキストラの仕事をしている三浦晋作(以下、晋作)に妊娠を告げるが、晋作は出産に反対する。

 

晋作が自宅アパートで漫画を描いていると、初めて台詞の付いた役を貰った小夜子が帰って来て、台詞の言い回しを晋作に聞かせる。

 

「もしかしたら、あたしたちの考えてることって、同(おんな)じなんじゃないかしら」

 

この台詞を聞かされて出産を諦めさせようとする晋作の元に、突然、かつて晋作が通っていたバーのホステス・あけみの息子・新一を連れ、あけみのマンションの隣人の女が訪ねて来た。

 

「よかったね、坊や。お父ちゃんに会えて」と言って上がり込み、矢庭に新一を引き取って欲しいと言われ、度肝を抜かれる晋作。

 

あけみは新一を残して男と外国へ駆け落ちし、彼女が残した手紙には、父親の元に連れて行き、引き取ってもらうか養育費を受け取るようにと、父親の可能性がある5人の男の名前と住所が書かれていた。

 

そのうちの一人である晋作に新一を託し、言い捨てた女はそのまま帰って行く。

 

新一の血液型がB型で、AB型の晋作は父親の可能性があり、小夜子は事情がはっきりするまで一緒にいられないと言って、家を出て行った。

 

困った晋作は途方に暮れるが、新一の父親探しのために追い立てられることになり、先ずは尾道を訪ねることにした。

 

一方、小夜子は妊娠が早とちりと判明し、ずっと気になっていた自分のルーツを探すため、3年前に亡くなった母と一緒に子供の頃住んでいた尾道へ行くことを決め、晋作らに同行する。

 

尾道に着くと、新一を連れた晋作は、父親候補の市長選の選挙活動中の代議士・田島啓一郎の事務所を訪ね、小夜子は母が勤めていた美容院へ行く。

 

小夜子は、そこで尾道に来る前の幼い頃の記憶にある、古い家並みから白いお城が見える場所を求めて駆動する。

 

母を知る美容師の女性に聞くが、母からは何も聞いていなかった。

 

晋作は旅館で田島と会い、あけみ宛の手紙を持ち出して証拠を示したが、田島は10年前にパイプカットしていると医者の証明書を出して反証し、逆に脅迫の現行犯として警察に逮捕されてしまう。

 

すぐに嫌疑は晴れ、小夜子が身元引受人となって釈放された晋作は、田島の秘書から実は自分が田島の名を語って明美と付き合い、妊娠が判明して手紙を書いたと告白される。

 

但し、秘書の血液型はA型で父親ではないと言い(実際はAOであれば可能性あり)、口止め料として金を差し出した。

 

【血液型にはAA、AO、BB、BO、AB、OOの6種類があり、 このうち、AA、AOが「A型」、BB、BOが「B型」、ABが「AB型」、OOが「O型」になる】

 

固辞する晋作に対し、小夜子は養育費として受け取り、晋作はそれに味を占めることになる。

 

小夜子は妊娠していなかったことも旅の目的も話さないまま、晋作らの旅に付き合うことを告げ、晋作を喜ばす。

 

九州に入り、小倉に到着し、ホームから見える城をじっと見つめる小夜子だが、街に出て橋の上から眺めて目的の場所と違うことが分かった。

 

晋作が父親候補の福田邦彦の実家を訪ね、今日が結婚式で別府にいると聞き、急遽、3人は別府に向かう。

 

結婚式の合間に、トイレで福田にあけみとの子供の話をすると、福田は学生時代に付き合っていたが、遊びに過ぎず、誰とでも寝るというあけみの子の父親である証拠を聞かれた晋作は、「そんなもんはありません」と開き直る。

 

福田が養育費として5万円だけ差し出してきたが、それに不満な小夜子は、結婚式の会場に入り込み、新一の手を引いて友人として東京でのエピソードをスピーチし始めると、慌てた福田から100万円出すとのメモを渡され、話を逸らして終わらせた。

 

駆け出し女優の本領発揮のシーンだった。

 

結婚式の全てのご祝儀袋を受け取った晋作は、レンタカーで今度は熊本へ向かった。

 

熊本城を見た小夜子は、これも違っており、長崎へ向かう前に、母の生まれた天草に寄ってくれと晋作に頼む。

 

小夜子は廃屋となった母の生家を訪れ、近くに住む老人から、母が若い頃、長崎の丸山にある大野楼に出て行ったことを聞き出した。

 

旅館の中居に、丸山の大野楼という旅館をを訊ねると、そこは遊郭があったことで有名だと聞き、ショックを受けた小夜子は、中居を相手に酒を飲み、歌って酔い潰れる。

 

その時、中居が『島原の子守唄』を歌い、その歌を母がよく歌ってくれたことを思い出した小夜子は、新一を寝かしつけようと、酔っぱらったまま子守唄を歌うのだ。

 

小夜子は歌の途中で窓際へ行って嘔吐し、それを見た新一が布団から起きて、小夜子の背中をさすり、水を持ってくる。

 

「あんた、酔っぱらいの扱い慣れているのね…あんたのお母さんもそうだったか」

 

その晩、小夜子は布団の中で母との思いを巡らし、涙するのだった。

 

長崎に着き、晋作と新一は父親探しに、小夜子は丸山の大野楼を探しに行く。

 

お好み屋の店主に大野楼がどこかを訊ねると、今は菓子屋になっている古い建物を指し示めされた。

 

母の名を言っても、源氏名(げんじな)しか分からぬと古い写真を見せられ、その中の一枚に写る母を見つけた。

 

菊千代と名乗っていた母が唐津へ行き、小夜子がそこで産まれた子である事実を教えられるに至る。

 

【長崎の丸山は、江戸の吉原、京の島原と共に、日本三大遊郭として知られている】

 

自暴自棄になった小夜子は夜の女に変身し、雨の降る街頭で立って声をかけられるのを待ち、若い男からの誘いを受けた。

 

一方、新一の次の父親候補でバーテンダーの桑野弘を探し当て、元プロ野球選手だった桑野が勤めるライオンズファンが集うバーを訪ねた。

 

当然、桑野は父親であることを否定し、晋作は養育費を要求しても応じないので、ライオンズファンに悪態をつくと、客を怒らせ取り囲まれ、結局、何も得ないで新一と共に逃げ帰って行く。

 

小夜子もまた、若い男とホテルに入るが、こちらもいざとなると怖くなって逃げ出す始末。

 

戻って来た晋作に泣きながら縋る小夜子はこれまでの事情を話し、晋作に赤ん坊を産んでいいと言われたが、小夜子はそれが勘違いだったことを謝罪する。

 

次に3人が向かったのは唐津

 

「どうやら、お城巡りもゴールに辿り着いたみたいだな」

「やっぱり、このお城みたい。お母さん、長崎から唐津に移って、私、ここで生まれて、3つか4つまで育ったんだ。お父さん交通事故で死んだなんて聞かされてたけど…」

「この街で誰か好きになって、それで、お前産んだんだよ」

 

古い街並みを見て、子供の頃の遊んだ記憶が蘇る小夜子。

 

路地裏から通りへ出ると、そこから家並みの向こうに見える白い城が目に留まった。

 

それは、小夜子の脳裏に刻まれ、ずっと探していた城のある街の景色だった。

 

小夜子が道路に座ると、新一と晋作も横に座り、一緒にその城を眺めるのだ。

 

そして、最後の父親候補を探すため、列車で移動する3人だったが、新一が見当たらなくなって車内を探すと、一人で座って窓の外を見続けていた。

 

「あの子、大きくなってから、この旅行のこと思い出したらさ、その時、どんな風に思い出すんだろうね」と小夜子。

 

目的地の若松に着き、海運会社の高田組を訪ねるが、父親候補の高田ごろうは既に亡くなり、その父親が応対して、三代目を継いだ妻・まさに引き合わせる。

 

まさは仏壇の放蕩三昧だった忘夫に不満をぶつけた後、新一を引き取るときっぱりと言い切り、驚く二人。

 

「…無理に引き取ってもらっても、色々…あの子のこと考えて…」と小夜子。

「あの子、ここの子って決まったわけじゃない…」と晋作。

 

「うちの子でなくてもいいんです!」と言い切るまさ。

 

他にも、そういう疑いのある子を3人引き取っていると言うのだ。

 

あまりに呆気なく事が進んだ二人は戸惑うが、他の子供たちと楽しそうに遊んでいる新一を見て、幸せになれそうだと納得して家路に就くことになった。

 

「なんか、忘れ物してきたみたいだ」と呟く晋作。

 

「もしかしたら、私たちの考えてることって、同じなんじゃないかしら」

 

小夜子は役が付いて初めてもらった時の台詞である。

 

カットされてしまった台詞が、ここで回収されるのだ。

 

再び小夜子が同じ言葉を発して晋作に訴えると、二人は踵(きびす)を返し、今歩いてきた道を戻って行くのだった。

 

 

人生論的映画評論・続: 神様のくれた赤ん坊('79)   二つの旅が溶融し、二人の旅が完結する  前田陽一

樋口一葉の世界 ―― 赤貧地獄の只中を駆け走った「奇跡の14ヶ月」

 

1  「わがかばね(屍)は野外にすてられて、やせ犬のゑじき(餌食)に成らんを期す」

 

 

 

幼少期から才媛の誉 (ほま) れが高く、猛烈な読書家でもあった。

 

その知的欲求の高さが探求心に繋がり、物事に対する集中力を鍛え上げていく。

 

主体性も育てていくのである。

 

闊達(かったつ)で開放的なキャラに昇華するのだ。

 

然るに、上流の子女が多く集う中島歌子(歌人)の歌塾「萩の舎」(はぎのや)に通わせていたことで判然とするように、士族であったが故に、娘への教育に熱心だった父・則義と異なり、女子には学問が不要と考え、裁縫などの手仕事を重視する母・多喜の影響で高等教育を受けることがなかった。

 

泣く泣く学業を断念したとも言われる。

 

にも拘らず、一葉の生活は困窮を極めていた。

 

かつて多くの文豪が住んでいた本郷菊坂に旧伊勢屋質店と呼ばれる質屋があった。

 

今は質屋を廃業しているが、うら若き一葉が繰り返し通い続けた質屋として知られている。

 

貧しさ故の質屋通いをした一葉が、借金返済に追われる日々の只中で、着物を質草にする質屋通いのリピーターだった所以である。

 

樋口家唯一の働き手であった長男の兄を肺結核で喪い、維新政府の下級官吏の職を辞して起業に頓挫し負債を残した父を喪い、樋口家の戸主として僅か17歳で家族を支えることになったのだ。

 

母・多喜との折り合いが悪い次男に頼れずに、「萩の舎」に住み込んで下女のように働いた後、家賃の安い本郷菊坂(現在の東京都文京区)に引っ越し、母・妹と共に洗濯と針仕事の内職で身過ぎ世過ぎを繋ぐ一葉。

 

そんな彼女が「東京朝日新聞」の専属作家の半井桃水(なからいとうすい)と出会ったのは19歳の時だった。

 

その桃水を訪ね、師事することになるが、その動機はただ一つ。

 

桃水のように、小説で身を立てること。

 

職業として、自らが得意なフィールドで生計を成り立たせ、自立していくのだ。

 

この時代、女には職業の選択肢など存在しなかったのである。

 

その意を汲み取った桃水も一葉を「東京朝日新聞」に紹介するが、採用されなかった。

 

小説家として身を立てんとする彼女の熱き思いは砕かれるのだ。

 

それでも、一葉は桃水との心理的距離を縮めていく。

 

師匠の桃水に恋慕したのである。

 

日々に、桃水への想いが募るばかり。

 

異性に対してシャイな一葉が熱烈な恋に落ちる。

 

彼女の「青春」が花開いたのである。

 

しかし、相手は女性の噂が絶えない色男だが、心優しき包容力がある男だった。

 

自分に対する一葉の想いの強さを理解したであろう通俗作家が、一葉にどのような感情を持っていたか誰にも分からない。

 

ただ、12歳年上の桃水との関係がプラトニック・ラブであったか否か、今でも論争になっているが、邪推しても何の意味もない。

 

いずれにせよ、叶わぬ恋に終わってしまった。

 

「萩の舎」で、二人の仲を噂する醜聞が広まったためである。

 

「萩の舎」の主宰者の中島歌子が彼女の身を案じてアドバイスし、金銭的援助をも受けていた桃水との関係を断つことになるのだ。

 

いとどしくつらかりぬべき別れ路を あはぬ今よりしのばるるかな

 

「今日からあの人と会えなくなる。辛い人生になる」

 

【中島歌子は江戸の豪商の娘で、嫁入り先は水戸藩士。しかし、夫が幕末動乱下で起こった「水戸天狗党の乱」(1864年)に加担した罪で自害し、歌子自身も連座して投獄されるに至った。維新後、「萩の舎」を主宰し、一葉の師匠として名を残している。また伊藤氏貴は「樋口一葉赤貧日記」の中で、「萩の舎」が、「嫉妬と憎悪の渦巻く世界で、噂話によって他人を失脚させることに暗い喜びを感じる者たちの寄り集まりだった。一葉自身がその罠にはまり、桃水の許を去ることを余儀なくされた」と書いている】

 

その後、「萩の舎」の先輩で、歌塾の二才媛と呼ばれた田辺花圃(かほ/三宅花圃)の紹介で、作品発表の機会には恵まれつつも注目されることがなく、経済的な苦境が一葉の肩に重くのしかかっていく。

 

一家は生活苦を打開するために家族会議を開き、吉原遊郭近くの下谷龍泉寺町に引っ越して、慣れない商売を始めることになった。

 

家庭と戸外を遮るものがない家に住み、荒物雑貨を営むのである。

 

一葉はこの地で、これまで交わったことがないタイプの人々と出会い、関係を持つこととなる。

 

僅か10ヶ月に満たないが、子供向けの駄菓子の仕入れが中心だったこの「竜泉寺時代」は、店に来る子供たちの観察を通して、「たけくらべ」のような後の作品に影響を与えることを考えれば貴重な時間だった。

 

酌婦らと懇意になり、身の上話を聞いたりすることもあった。

 

「塵の中」(ちりのなか)。

 

この頃の暮らしを、一葉はそう呼んでいる。

 

この「塵の中」で共生する人々に対する観察眼が研ぎ澄まされていく。

 

これが一葉文学の骨格を形成するが、何より重要なのは、桃水との関係を断ったこの引っ越しを機に、彼女の文学観が定着していったこと。

 

「人 常(つね)の産なければ常のこゝろなし。手をふところにして月花(つきはな/風雅な物事)に憧(あくが)れぬとも、塩噌(えんそ/日常の食べ物)なくして天寿を終らるべきものならず。 かつや文学は糊口(ここう/生計)の為になすべき物ならず。おもひ(思い)の馳するまゝ、こゝろの趣くまゝにこそ筆は取らめ。 いでや(さて)是れより糊口的文学の道をかへて、 うきよ(浮世)を十露盤(算盤=そろばん)の玉の汗に商ひといふ事始めばや。もとより桜かざして遊びたる大宮人(おおみやびと/宮廷人)のまどゐ(まどい/団欒)などは、昨日のはる(春)の夢と忘れて、志賀の都のふりにし事を言はず、 さざなみならぬ波銭小銭、厘が毛(厘毛/僅かな金)なる利をもとめんとす」(「塵の中」日記)

 

【常(つね)の産とは、安定した職や財産のこと。また、志賀の都とは、平忠度が詠(よ)んだ「さざなみや志賀の都は荒れにし」という歌に由来し、滋賀県にあった天智天皇大津京のことを指す】

 

「塵の中」日記のこの一文は、一葉の力強いマニフェストである。

 

文学は単なる娯楽ではないと考え、売るために読者に迎合することを否定したのである。

 

「藝術として1000年のちにも残るようなもの」(「樋口一葉赤貧日記」)を標榜するのだ。

 

生きるために書くことを求める母の反発があっても、書くために生きるという内的宇宙が彼女を駆動させていく。

 

当然、母との軋轢が生まれる。

 

それでも書かない。

 

生きるためだけの小説を書かない。

 

だから、筆も進まなくなる。

 

実際、この時期、小説は殆ど書いていない。

 

商売相手が出現したことで商売も軌道に乗らず、借金人生に拍車がかかるのだ。

 

本郷区丸山福山町に引っ越ししても、同様。樋口家の借金地獄は壮絶だった。

 

「貧乏は一葉という作家とその作品の中核を成すものなのだ」(前掲書)

 

【「一葉」というペンネームは、インドの達磨(だるま)大師が一枚の葉に乗って中国に渡ったという伝説を引き合いにして、「私にもお足(銭)がない」とジョーク交じりで友人に語ったことに由来する。ペンネームそれ自身、彼女の赤貧洗うが如く窮している生活様態を物語っている。因みに、「一葉」というペンネームは桃水の勧めだった】

 

「道徳すたれて人情かみの如くうすく、朝野(ちょうや/天下)の人士、私利をこれ事として国是の道を講ずるものなく、世はいかさまにならんとすらん、かひなき女子をなご(おなご)の、何事を思ひ立たりとも及ぶまじきをしれど、われは一日の安きをむさぼりて、百世(ひゃくせい/長い年月)の憂を念(憂える心)とせざるものならず、かすか成(なり)といへども人の一心を備へたるものが、我身一代の諸欲を残りなくこれになげ入れて、死生いとはず、天地の法にしたがひて働かんとする時、大丈夫(賢人)も愚人も、男も女も、何のけじめか有るべき、笑ふものは笑へ、そしるものはそしれ、わが心はすでに天地とひとつに成なりぬ、わがこゝろざしは国家の大本にあり、わがかばね(屍)は野外にすてられて、やせ犬のゑじき(餌食)に成らんを期す(望むところである)、われつとむるといへども賞をまたず、労するといへどもむくひを望まねば、前後せばまらず、左右ひろかるべし、いでさらば(だから)分厘(僅か)のあらそひにこの一身をつながるゝべからず、去就(進退)は風の前の塵にひとし、心をいたむる事かはと、此あきなひ(商い)のみせ(店)をとぢんとす」

 

凄い表現である。

 

「笑ふものは笑へ、そしるものはそしれ、わが心はすでに天地とひとつに成なりぬ」

「わがかばね(屍)は野外にすてられて、やせ犬のゑじき(餌食)に成らんを期す」

 

その気概、青春の眩(まばゆ)さ、ひしと伝わってくる。

 

努力しても報酬を求めていないので、私の道は前後左右に広々としている。

 

だから僅かの利益を求めて争う商いの道に身を束縛しておくべきではない。

 

進退は風の前の塵のように変わるので、心配することはないと考えて、この商売の店を閉じようと決めたのだ。

 

これが後半の文意である。

 

家族会議をリードして立ち上げた荒物雑貨(実質的に駄菓子屋)を閉じることになった時の一葉の決意の表現だが、作家の久保田万太郎が「大見得」と揶揄したのも分かる。

 

ただ、先の見えない自らの〈生〉を奮い立たせるには、このような言辞を表現せずにはいられない苛酷な心境下にあって、自己を激しく鼓舞する必要があった。

 

そういうことだろう。

 

ここから、彼女の文学世界が開かれていく。

 

かくて引っ越し先の本郷区丸山福山町の家で、一葉は背水の陣で執筆を続けていくことになる。

 

タイトロープの日々だったが、彼女の文学世界が一気に炸裂するようだった。

 

『大つごもり』で世に出た一葉が、その短い〈生〉を閉じていくまで、怒涛のように作品を発表した1年と2ヶ月。

 

「大つごもり」から「うらむらさき」(裏紫)を発表するまでに、「奇跡の14ヶ月」と呼ばれる時間を駆け抜けていくのである。

 

【「奇跡の14ヶ月」という言葉は、樋口一葉研究で知られる小説家・和田芳恵命名

 

 

樋口一葉の世界 ―― 赤貧地獄の只中を駆け走った「奇跡の14ヶ月」

 

 

ドラマ特例 ながらえば('85)   不器用なる〈心の旅〉が開かれていく  

 

1  「おめえにゃあ、ひと月は何でもにゃあかも知れんが、年寄りは明日をも知れん!」

 

 

 

1970年代。

 

隆吉は息子の理一の転勤に伴い、名古屋から富山に引っ越すことになった。

 

隆吉の妻・もと(以下、便宜的に「モト」にする)は入院中のため名古屋に残り、その身の回りの世話を娘の悦子がしている。

 

理一と、その妻・美代子、息子・淳一郎と共に、名古屋から富山へ出発する列車の中で、浮かない表情の隆吉。

 

見送りに来た悦子が、窓の外から「お父さん、お母さんは大丈夫だから!」と大声をかけると、手を挙げて見せる隆吉。

 

「お母さん、お願いしますねえ」と美代子が悦子に向かって挨拶する。

 

高校2年で転校となって憂鬱そうにしている淳一郎に、美代子が気分が悪そうだと薬を飲ませようとすると、精神的なものだから必要ないと理一に言われ、淳一郎が大声で反発する。

 

そんな家族の遣り取りも上の空の隆吉。

 

悦子はその足でモトが入院する病院を訪れ、理一らの見送りの様子を話す。

 

「おじいちゃん…来なんだなぁ」

「いやぁだ。来たって言ったでしょ」

 

昨日、モトが検査中で40分待ったが、理一がジリジリしているので、隆吉は病室を出て帰ろうとどんどん歩いて行くのを理一が追いかけて止めようとした。

 

理一は、富山に行ったら簡単に面会に来られないので、もう少し待ってお別れを言った方がいいと訴えたが、頑固な隆吉は、「まあええ、まあええ」と意地になって帰って行ったのだった。

 

悦子から説明を聞いたモトは、笑みをこぼす。

 

「お母さん、病気良くなれば、富山に行ってすぐに一緒に暮らせるんだから、お別れ言うことはないって言えば、そりゃそうだけど。ほんでもねえ…」

「富山には行けれんよ…治らん」

「治る。治るって先生も言っとるでしょ」

「まあ、この世では、おじいちゃんに会えんなあ」

「とろくさい(バカバカしい)こと、言わんといて」

「40分、待っとったか、おじいちゃん…そりゃあ、よう待っとってくれた方だわ」

 

富山に到着した理一らは、市内とは言え、不便な立地の古い一戸建ての借家で弁当を食べる。

 

悦子は家の不満を言い、淳一郎は気持ちが悪いと弁当を残すと、理一は営業で新規開拓する大変さをぶちまけ、「不満そうな顔ばっかりするな」と怒り出す。

 

翌日、隆吉は家のゴミを片付け、夕方になると、夕陽に染まった美しい田園で、稲を植えてる夫婦を眺め、笑みを浮かべる。

 

隆吉は家に戻り、理一の説得を振り払い、モトに会わずに病室から帰って行ったことを思い起こしていた。

 

隆吉は理一と美代子がいる居間に入っていく。

 

「用事を思い出してな。明日、名古屋へ行ってきたい…金をくれんか」

「昨日名古屋からここへ来たんですよ…何ですか?用事って」

「おみゃあに、全部金を渡してまったで」

「…金はあるよ。金あるけど、何も明日名古屋行くことはないんでないですか?」

「いや、ええ」

 

隆吉はそのまま部屋を出る。

 

家の片付け作業をしながら、モトの苦痛な表情を思い浮かべる隆吉。

 

買い物へ行きかけた美代子に「やっぱし、名古屋へ行ってきたい」と訴えるが、「せめてひと月我慢してください」と一蹴されててしまう。

 

思い詰めた隆吉は、引き出しの金を探して手に掴んだところで、帰って来た美代子に見つかってしまう。

 

「おめえにゃあ、ひと月は何でもにゃあかも知れんが、年寄りは明日をも知れん!」

「大げさなこと言って。何の用がだって言うですか…」

 

名古屋へ行けば悦子のところに泊まることになるが、悦子の家の中は上手くいっておらず、それどころではないと、隆吉を説得して引き留めようとする。

 

しかし、隆吉は腕を抑える美代子を突き飛ばし、3千円を持って家を出て行ってしまった。

 

慌てた美代子は理一に電話をしてから、富山駅に駆け付けたが、名古屋行きの切符を買った形跡はなかった。

 

理一は、木彫りの欄間職人だった隆吉が、取り壊された家の自分が彫った傑作の欄間を心配して名古屋へ行ったのではないかと、悦子に電話で事情を話す。

 

【欄間職人とは、天井と鴨居の間の開口部(欄間)を美しく完成させる職人のこと】

 

隆吉は急行券なしで列車に乗っていたが、車掌に提示を求められ見つかり、「猪谷」で途中下車させられてしまう。

 

次の普通列車は2時間待ちだったので、一旦駅の改札を出て町を歩いていたが、時間に遅れて乗り損ねてしまった。

 

再び、隆吉は町に戻って彷徨う。

 

一方、病状が悪化して個室に移されたモトを、夜になって見舞いに来た悦子は顔に痣(あざ)を作り、出がけに夫に殴られたと言って嗚咽を漏らすのだ。

 

「つまらんなあ。夫婦なんて。ほんとにつまらん…おばあちゃんも、つまらなんだったでしょう。ろくに口もきかんじいちゃんと50年の余も暮らして。病気したってここへ来て10分もおらんもんねえ。気まぐれに、ひょうっと来て、何にも言わんうちに、またひょうっといなくなって」

「照れくさいんだわ」

「一心同体なんて、よう言ったもんだね…」

「おじいちゃんがな、なんだ知らん、来るような気してしょうねえ…行ったばっかしだもんな、来るわけねえな」

「じいちゃん、来るとか言っとったの?」

「うんやあ」

「ただ感じるのかね。ただ、そんな気するのかね」

「来るわけねえなあ」

 

悦子は理一に電話をし、モトの死期が迫り、隆吉は虫の知らせがして出て行ったのではないかと話し合う。

 

陽が落ちて、隆吉は駅の傍の旅館に泊まり、翌朝一番で名古屋へ行くことにした。

 

隆吉は事情を話そうとしたが言いそびれ、食事を運ばれても正座をしている。

 

不器用な隆吉の旅が、ここから繋がっていくのだ。

 

人生論的映画評論・続: ドラマ特例 ながらえば('85)   不器用なる〈心の旅〉が開かれていく  作・山田太一

せかいのおきく('23)   投げ入れる女と受け止める男

 

序章 江戸のうんこはいずこへ

 

 

安政五年・江戸・晩夏

 

寺の厠(かわや・便所)から糞尿を肥桶(こえたご)に汲み取る汚穢屋(おわいや)の矢亮(やすけ)は、相方(あいかた)が腹を下して来れなくなり、「半分しか持っていけない」と言って、寺の坊主に半分の代金を払う。

 

突然、雨が降ってきたので、寺の捨て紙を籠に入れた紙屑拾いの中次(ちゅうじ)が厠の軒下に走って来て、矢亮と一緒に雨宿りする。

 

「それ、紙屑問屋に売って、幾らになるんだい?」

「紙によりけりだよ」

「幾らにもなんないなあ」

「いちいち、うるせえ」

 

そこに、寺から木挽町(こびきちょう/現在、銀座の歌舞伎座付近)のおきくも、厠の軒下に入って来た。

 

「確か、おきくさんだ。次郎衛門長屋の」と矢亮が思い出した名を言うと、「こんなところで、名を呼ばないでください」と叱られる。

 

中次が「おきくさんて、おっしゃるんですか?」と聞くと、振り向いたおきくは、紙問屋で見かける中次には、笑顔で応答する。

 

「なんだ、知り合いか…そうか。この寺の手習い所で読み書きを教えてらっしゃるんだよ、おきくさん」と口を挟んだ矢亮は、「こんなとこで、名を呼ばないで!」とまた叱られる。

 

おきくにどいてくれと言われた矢亮は、肥桶を天秤棒で担ぎ、別の雨宿り先に中次と共に移動する。

 

二人が帰った後、おきくは厠に入り込むのだった。

 

「それ、どこまで持っていくんだい?」と中次。

「舟で葛西までだよ」と矢亮。

「田畑に撒いて、幾らになるんだい?」

「なんだ…割が合わねえんだな。紙屑なんかじゃよ」

「ほっとけ」

 

相方を失った矢亮は、盛んに中次を仕事に誘う。

 

武蔵国・葛西領・亀有村(現在、葛飾区亀有)

 

結局、矢亮の相方となった中次は、肥桶(こえたご)を積んだ荷車を押し、亀有村までやって来た。

 

農家に糞尿を運ぶと、矢亮は代金と畑で採れた野菜を受け取り、中次は肥溜(こえだ)めに肥桶から糞尿を移す。

 

中次が零した糞尿を手で搔き集めた矢亮は、再度、汚穢舟(おわいぶね)に空になった肥桶と野菜を積み、江戸に向かていく。

 

【肥溜めとは、肥料にするために糞尿をためておく所。現在、化学肥料の普及で使用されなくなっている】

 

木挽町・次郎衛門長屋

 

おきくの父・源兵衛が長屋から顔を出し、空に向かって手を叩く。

 

井戸水を汲みに出て来たおきくに、「お父(と)っ様ってのは、まだ慣れねえんだがな」と言う。

 

「もう武家でも何でもない。母親もいなくなり、お父っ様は惚(ほう)けてばかり」

 

そう言って、おきくは父を諫(いさ)めるのである。

 

 

第一章 むてきのおきく

 

 

安政五年(1858年)・秋

 

大雨が降り続き、厠から糞尿が溢れ出て、おきくの住む長屋の足元は糞尿まみれとなってしまった。

 

雨が止み、長屋の住人はみんな鼻をつまみ、大家(おおや)に厠にも入れないと文句を言う。

 

「何で、汚穢屋は来ないのよ!矢亮さんて言ったっけね」

「こっちが聞きてえよ!」と大家。

「どうでもいいから、早いとこ、手え打ちなよ!」

 

皆が不満を言い並べ、そのうちに孫七が自分の身の上や体の不調を訴え始めると、「そのことは、後にして!」とおきくがぴしゃりと言い放ち、孫七は黙ってしまう。

 

今度は源兵衛も自分の体の不調を訴えると、それに対しても、おきくは「その話は後にして!」と注意する。

 

「おい、おきく。後ならいいのか。今言いてえことみんな後回しにするから、いつまでたっても暮らしはちっとも良くならねえ。不義がはびこる」

「そういうお父っ様が嫌いです。いつも、ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う。よせばいいのに人の難事(なんごと)ばかり立ち入って、上役の不義を訴え出たり、尽くしたはずがお役御免って。どれだけ私も辛抱したことか」

「わしはな。この国を思って訴え出ただけ。勘定方として当たり前のことをしただけだ。それを誇りに思わぬお前がおかしい!」

 

二人の言い争いを黙って聞いていた長屋の住人たちの一人が、「その話も、後でいいんじゃないかな」と一言。

 

そこに、長雨で川止めされていた矢亮と中次がやって来て、待ってましたと歓迎され、早速、汲み取り作業に入る。

 

一方、源兵衛は編笠を被った、かつての部下の侍に呼び出されて訴状を渡された。

 

【勘定方(かんじょうかた)とは、幕府・各藩で財務関係の仕事に携わる役人のこと】

 

人生論的映画評論・続: せかいのおきく('23)   投げ入れる女と受け止める男  阪本順治