悲しみのミルク('08)   凄惨なる「地獄の記憶」を引き剥がし、進軍する

 

1  「母さん、見てごらん。海に来たよ」

 

 

 

「♪きっと いつの日にか お前も分かるだろう ならず者たちに向かって 泣きながら言ったこと ひざまずいて 命乞いをしたことを あの夜 私は叫んだ 山はこだまを返し 男たちは笑った 痛みと闘いながら やつらに言い返した 狂犬病のメス犬から 生まれた男たちよ だからお前たちが吸ったのは メス犬の乳だ 今度は私を飲むがいい 今度は私を吸えばいい 母犬の胸でしていたように 今歌っているこの女は あの夜 捕らえられ 手込めにされた 男たちは気にも留めなかった おなかの中に娘がいることを あの恥知らずたちは 娘が見ている中 手と肉棒で犯した それだけは飽き足らず 殺された夫のものを口に押し込んだ 哀れないちもつは 火薬の味がした あまりの苦しみに私は叫んだ いっそのこと殺して欲しい そして夫と一緒に 埋めるがいいと この世には分からぬことばかり♪」

 

ベッドに横たわり、自らの体験を歌いながら語るファウスタの母。

 

ゲリラに夫を殺され、お腹の中にファウスタを宿した母は、凄惨な性暴力を受けたのである。

 

「♪思い出すたびに 涙を流す母さん 悲しみの涙と汗が ベッドに染み込む 何も食べてないわね 要らないならそう言って 食事は作らないから♪」

 

ファウスタも歌で語りかける。

 

「♪お前が歌うことで 乾いた記憶が よみがえるなら 何か食べよう 思い出せないのは死と同じだから♪」

 

そして、母は歌いながら死んだ。

 

結婚式の準備をしている従姉妹のマキシマと叔父たちの前に現れたファウスタは、鼻血を出して倒れ込む。

 

リマの産婦人科に連れて行かれたファウスタを診た医師が、叔父に説明する。

 

「膣内にジャガイモがありました。治療は拒まれました。動揺していたようです」

「子供の頃から恐怖で鼻血を出します。さっき、あの子の母親が亡くなりました。だから気絶した。村ではつらい時期を過ごし、テロの時代に生まれた。母乳から恐怖が伝わったんです。そういう子を“恐乳病”と呼んでます。恐怖と一緒に魂を土に埋めている。リマには無い病気でしょう?」

「つまりジャガイモのことを知っていたと?」

「それは知りませんでした」

 

ジャガイモが勝手に入ったという叔父に対して医師は呆れ、子宮が腫れ、化膿する危険性があり、ジャガイモが成長し細菌が繁殖していると指摘し、鼻血は毛細血管が薄いからだと言う。

 

「簡単な手術で焼けば、すぐ治ります」

 

しかし、叔父は鼻血は恐乳病のせいだと言い張り、医者は恐乳病という病気はなく、母親からの感染もないと言い、入院の書類を渡す。

 

結局、ファウスタと叔父は村へのバスに乗り込んだ。

 

「あの医者は分かっていない。避妊のためじゃないの…私の意志を認めて。テロの時代に近所の人もしてた。気味悪がられて、レイプされないように。賢い方法だと思った…」

「今は時代が違う。村とも違うんだ。そんなことは起きない」

 

村に帰ると、母の墓穴を掘りはじめた叔父に、ファウスタは「村で埋葬する」と止める。

 

「そんな金はどこに?」

「何とかする」

 

ファウスタは母の埋葬資金を稼ぐため、叔母から紹介された夜だけのお屋敷のメイドの仕事を始めることになった。

 

前金を受け取るつもりだったが、断られてしまい、母の埋葬がすぐにできなくなった。

 

制服に着替えたファウスタは、屋敷の主人で音楽家のアイダに呼ばれるが、軍服を着た男の写真を見て鼻血を出してしまう。

 

ファウスタは部屋で、恐怖心を紛らすために、歌いながら膣から出てくるジャガイモの芽をハサミで切り取っている。

 

「♪さあ 歌うのよ 楽しいことを歌わなきゃ 恐怖心をまぎらわし こんな傷なんて ありもしないふうに 悟られないように♪」

 

朝になり、ファウスタは日課の仕事として、予定の時刻にやって来る庭師のノエを玄関のドアを開けて中に入れた。

 

前金が月末までもらえないと叔父に話したファウスタは、「娘の結婚式までに村へ運んでくれ。さもなくばここで埋める」と言い渡される。

 

この二人は、制服を着て結婚式の会場で働いているのである。

 

屋敷に行くと、倒されて壊れたピアノと割れた窓ガラスが散乱していた。

 

作曲に行き詰っているアイダは、キッチンでテレビを観ているファウスタに、昨日の歌をまた歌ってくれと頼むのだ。

 

「できません」と答えるファウスタ。

 

洗面室でネックレスの真珠をバラまいてしまったアイダは、ファウスタに拾うのを手伝わせる。

 

「歌ったら1粒あげる。全部そろったら渡す」

 

ファウスタはそれに応えなかった。

 

いとこの結婚で集まった縁者たちの中で、ファウスタに目をつけた男が話しかけてくるが、それを無視して部屋に戻った。

 

仕事が終わって帰るファウスタを迎えに来る叔父の娘のマキシマに代わって、その男が屋敷に来たが、それも断る。

 

そこにやって来たノエが、仕事の途中で「俺が送ろうか?」と声をかけてきて、ファウスタは断ったものの、結局、家まで送ってもらうことになる。

 

相変わらず、ファウスタは母の亡骸と共にベッドで寝る。

 

屋敷に行ったファウスタは、意を決して、アイダの前で即興の歌を歌い、真珠の粒を一つ天秤のトレーに移す。

 

それがファウスタの日課となった。

 

お土産を持って来たというノエから、飴を受け取ろうとして手が少し触れただけで、飴を払い落し、走ってその場を去るファウスタ。

 

その後、ファウスタはノエに訊ねた。

 

「ここにはゼラニウム、スバキ、ヒナギク、全部あるのに、なぜジャガイモはないの?」

「君は、なぜ一人で道を歩くのが怖い?」

「決めたから」

「俺だって同じ。そうしたいだけ」

「怖くないわ。私の意志だもの」

「死だけは人間の義務だが、それ以外は自分の意志だ」

「レイプされ殺された。その死も意志だと言うの?」

 

それに黙し、その場を離れようとするファウスタに、ノエは最初の問いに答えた。

 

「イモは安い。花も少ないから」

 

パールが残り一個となり、アイダの演奏会へ同行したファウスタは、舞台でファウスタの即興の歌のメロディーが、アイダによってピアノ演奏されているのを耳にし、胸をときめかせる。

 

万雷の拍手を受けるアイダを、舞台の袖から見るファウスタ。

 

帰りの車の中で、「好評でしたね」とファウスタが声をかけると、アイダの顔色が変わり、夜の路上にファウスタを車から降ろしてしまう。

 

「真珠はどうするの?約束したのに!奥様、待ってください!」

 

走り出した車に叫ぶファウスタ。

 

マキシマの結婚式の日、ファウスタは母を村に連れて帰れなかったことを叔父に謝罪する。

 

朝まで盛り上がる結婚式に入っていけないファウスタは、母の遺体のある部屋に篭り、ドレスを着たまま眠っていると、叔父に頭と口を押さえられてしまう。

 

「見ろ。こんなにはっきり息をしてる。なのに生きようとしない」

「叔父さん、放して!」

「だったら生きろ。しっかり息して。ファウスタ行くな。行かないでくれ」

 

ファウスタは走って逃げ出し、屋敷へ向かった。

 

アイダの部屋の床に落ちた真珠を拾って握り締め、玄関のドアを開けると、そのまま倒れ込んでしまった。

 

ノエがファウスタを起こすと泣きながら訴える。

 

「お願い取って。取ってちょうだい。私の中から」

 

ノエは気を失ったファウスタを背負って、病院へ連れて行く。

 

手術が終わり、目を覚ますと叔父が傍らに座っていた。

 

「ずっと手を閉じてたそうだ」

 

ファウスタは真珠を握り締めていた手を開いて見せる。

 

トラックに乗り込み、ファウスタと叔父の家族は母の亡骸を乗せ、村を目指す。

 

海が見えるとトラックを止めてもらい、ファウスタは母の亡骸を砂浜へ運ぶのである。

 

「母さん、見てごらん。海に来たよ」

 

ファウスタの最後の歌である。

 

日常に戻ったファウスタは、誰かが来たと呼ばれて戸を開けると、そこには花を咲かせたジャガイモの鉢植えが置かれていた。

 

その花に、そっと顔を寄せるファウスタだった。

 

人生論的映画評論・続: 悲しみのミルク('08)   凄惨なる「地獄の記憶」を引き剥がし、進軍する  クラウディア・リョサ