にごりえ('53)   女に我慢を強いる貧困のリアリズム

 

一葉文学の結晶点。

 

映画史上に残る今井正の最高傑作。

 

以下、代表作3篇が揃ったオムニバス映画の梗概。

 

 

1  第一話 十三夜

 

 

 

沈鬱な表情で、嫁ぎ先の原田の家からせきが実家を訪れた。

 

久しぶりの訪問を歓迎する父・主計と母・もよ。

 

二人とも、嫁ぎ先の原田家を気遣い、せきの弟の亥之助(いのすけ)の仕事も原田の後ろ盾と感謝を口にする。

 

しかし、突然せきは、もよを前に泣き出す。

 

「お母さま、私、もう我慢が出来なくなりました。あの家には、帰らぬ決心で参りました」

「そんなこと言って、お前、どうして?」

「考えた挙句なんです。2年も3年も耐え忍んで、考えて、考えて、考え抜いた挙句なんです。お母さま。どうかせきをお傍に置いて下さいまし。これから、人の針仕事、賃仕事(手内職のこと)、なんでもして働きますから、どうかお傍に置いて」

 

せきは頭を下げて頼み込む。

 

もよは主計にその話をし、せきを弁護する。

 

「元々こっちからもらってくれって頼んでやった子じゃあるまいし、生まれが悪いの、華族女学校を出ていないのって、今更そんな勝手な言い草がありますか…子供が出来て急に冷たくなるってのは、女狂いの身勝手からで、おせきに何の罪科(つみとが)があるって言うんです。奉公人たちの前で、顔さえ見れば口汚く、教育がないの、やれ着物の揃え方が気に入らぬのと、そんな仕打ちをされてまで、おせきをそんな人のとこにやっとく必要はありませんよ」

 

華族女学校とは、明治10年に創設された皇族・華族子女のための官立の教育機関

 

せきは、17歳の正月に羽根つきをしていたのを通りがかった原田が見初(みそ)めて、強引に嫁入りを申し込んだのだった。

 

「…いくら大人しいからって、お前もお前ですよ。言うだけのこときりっと言って、なぜもっと早くそう言って出てこなかったんだね。本当にバカバカしいったら…こんな貧しい傾いた家だって、お父さんもお母さんもちゃんと揃ってるんだから、そんな仕打ちをされてまで小さくなってること、あるもんかね」

 

もよは一気に捲し立て、目頭を押さえる。

 

「親子4人、亥之助も帰って来るから、お前もここでゆっくり足を伸ばして休むといいよ…お前はしっかり幸せにやってるもんだと思ってた…女中たちに取り巻かれて、声ひとつ、涙ひとつ堪えて通さなきゃならないような明け暮れの中で、よく7年間もお前辛抱を…」

 

もよはせきを思い、さめざめと泣き、せきも思いを吐露する。

 

「太郎は…あの子のことだけは諦められません。それを思って今日まで堪えてきましたけれど…『お前のような妻を持って、俺ほど不幸な人間はない』と。さっきも夕方、着替えに寄っまま言い捨てて、どこぞへ出かけて行きました」

 

そこで、終始無言で腕組みをして聞いていた主計が口を開く。

 

「そりゃな、外で女にもてはやされ、囲い者の一人や二人、あれだけ若くて働き手なら、ありがちなことだよ…世間の奥様という人たち、上辺はともかく、面白おかしく暮らしている者がどれだけいると思う。なあ、おせき。原田さんの口入で弟の亥之も月給にあり付いたばかりだ。お前の主人の七光りで家も恩に着ているんだ。まして太郎といいう子まであるのに、今日まで辛抱ができたものなら、これから後もこらえられぬ道理はないはずだろう?ま、聞きなさい。離縁をとって出たはいい、。太郎は原田のもんだぞ。おせきは斎藤の娘だ。一度縁が切れたら二度と顔を見に行くことはできないぞ」

 

「そんな無慈悲なこと言ったって…」ともよ。

 

もよとせきは嗚咽するばかり。

 

「子に別れ、同じ風に泣くなら原田の妻で泣くだけ泣け。なあ、おせき。そうじゃないか。お父さんはお前を追い返したくない。だが、今夜は帰れ…もう、お前が何も言わんでも、わしたちは今後察している。弟もお前の気持ちを汲んで陰ながら、親子して、てんでに涙を分けおうて皆で泣こう。なあ、おせき。分かったら早く帰れ。太郎が泣いているかもしれん」

 

おせきは突っ伏して泣き崩れる。

 

「私が、我がままでございました。太郎に会えないくらいなら、生きている甲斐もないことが分かっていながら、つい、目の前の苦しさに、離縁などと言い出し悪うございました…今日限り、せきはもう死んだ気になって、心を一つにあの子を思って育てます…」

 

「ご心配おかけしました」と頭を下げ、帰って来た亥之助が人力車を拾い、せきは実家に帰って行った。

 

夜道をゆっくりと行く人力車夫に、「車屋さん、少し急いでくれませんか」とせきが催促すると、突然車を止め、車夫がせきに降りるようにと言うのだ。

 

お代もいらぬという車夫に、せきは困ってしまった。

 

「まだ、乗ったばかりなのに…」

「引くのが嫌になっちまって…すいませんがどうか、お降りになすって」

 

せめて、車が拾える広小路までとお願いするとそれを受け入れ、「勝手を言ってあっしが悪うございました」と謝る車夫の顔をふと見ると、幼馴染の高坂録之助と気づいた。

 

「お前さん」と声をかけると、録之助もせきと分かり、「面目(めんぼく)ない、こんななりで」と言って顔を背(そむ)ける。

 

せきは学校に通っていた頃の思い出を語り、録之助の体を心配する。

 

録之助は浅草の安宿の2階に住み込み、妻は子供を連れて実家へ帰したが、その子供はチフスで死んだと話すのだ。

 

妻とは離縁し、近頃は酒を浴び、車を引いても途中で嫌になって度々、客を下ろしてしまうと話す録之助は、「全く、我ながら愛想が尽き果てます」と、せきを車に戻るよう促した。

 

せきはそれを断り、広小路まで一緒に歩いてくれと頼み、肩を並べて歩き始める二人。

 

広小路を目の前にして、せきは録之助が愛嬌のいい煙草屋の一人息子と評判だったと話すと、録之助は、急にグレ出したのは、せきが嫁に行き、子供を産んだ頃だったと告白する。

 

「さぞ、ご立派な奥様ぶりだろうと、一度お姿だけでもと、その頃夢に願ってました…他愛のない子供心でした。十七だっけ。突然、ぽいっとあなたは行ってしまった。7つ8つの時から、明け暮れ顔を合わしていたおせきさんが…いやあ、生きてきたおかげでお目にかかれた。良かった…」

 

広小路に着いて、せきは金を包んで録之助に渡す。

 

「随分と体を労(いと)うて、患(わずら)わぬように…どうか、以前の録之助さんにおなりなすって、ご立派に元のようにお店をお開きになりますように…」

 

「では、いただきやす。せっかくのおせきさんの志、ありがたく頂戴して思い出にしやす」

 

大きな十三夜の月が空に浮かぶ橋のところで、二人は互いに頭を下げて、別れて行った。

 

【十三夜とは旧暦で毎月13日の夜のことで、因みに、2024年は10月15日】

 

 

人生論的映画評論・続: にごりえ('53)   女に我慢を強いる貧困のリアリズム  今井正