序章 江戸のうんこはいずこへ
安政五年・江戸・晩夏
寺の厠(かわや・便所)から糞尿を肥桶(こえたご)に汲み取る汚穢屋(おわいや)の矢亮(やすけ)は、相方(あいかた)が腹を下して来れなくなり、「半分しか持っていけない」と言って、寺の坊主に半分の代金を払う。
突然、雨が降ってきたので、寺の捨て紙を籠に入れた紙屑拾いの中次(ちゅうじ)が厠の軒下に走って来て、矢亮と一緒に雨宿りする。
「それ、紙屑問屋に売って、幾らになるんだい?」
「紙によりけりだよ」
「幾らにもなんないなあ」
「いちいち、うるせえ」
そこに、寺から木挽町(こびきちょう/現在、銀座の歌舞伎座付近)のおきくも、厠の軒下に入って来た。
「確か、おきくさんだ。次郎衛門長屋の」と矢亮が思い出した名を言うと、「こんなところで、名を呼ばないでください」と叱られる。
中次が「おきくさんて、おっしゃるんですか?」と聞くと、振り向いたおきくは、紙問屋で見かける中次には、笑顔で応答する。
「なんだ、知り合いか…そうか。この寺の手習い所で読み書きを教えてらっしゃるんだよ、おきくさん」と口を挟んだ矢亮は、「こんなとこで、名を呼ばないで!」とまた叱られる。
おきくにどいてくれと言われた矢亮は、肥桶を天秤棒で担ぎ、別の雨宿り先に中次と共に移動する。
二人が帰った後、おきくは厠に入り込むのだった。
「それ、どこまで持っていくんだい?」と中次。
「舟で葛西までだよ」と矢亮。
「田畑に撒いて、幾らになるんだい?」
「なんだ…割が合わねえんだな。紙屑なんかじゃよ」
「ほっとけ」
相方を失った矢亮は、盛んに中次を仕事に誘う。
結局、矢亮の相方となった中次は、肥桶(こえたご)を積んだ荷車を押し、亀有村までやって来た。
農家に糞尿を運ぶと、矢亮は代金と畑で採れた野菜を受け取り、中次は肥溜(こえだ)めに肥桶から糞尿を移す。
中次が零した糞尿を手で搔き集めた矢亮は、再度、汚穢舟(おわいぶね)に空になった肥桶と野菜を積み、江戸に向かていく。
【肥溜めとは、肥料にするために糞尿をためておく所。現在、化学肥料の普及で使用されなくなっている】
木挽町・次郎衛門長屋
おきくの父・源兵衛が長屋から顔を出し、空に向かって手を叩く。
井戸水を汲みに出て来たおきくに、「お父(と)っ様ってのは、まだ慣れねえんだがな」と言う。
「もう武家でも何でもない。母親もいなくなり、お父っ様は惚(ほう)けてばかり」
そう言って、おきくは父を諫(いさ)めるのである。
第一章 むてきのおきく
安政五年(1858年)・秋
大雨が降り続き、厠から糞尿が溢れ出て、おきくの住む長屋の足元は糞尿まみれとなってしまった。
雨が止み、長屋の住人はみんな鼻をつまみ、大家(おおや)に厠にも入れないと文句を言う。
「何で、汚穢屋は来ないのよ!矢亮さんて言ったっけね」
「こっちが聞きてえよ!」と大家。
「どうでもいいから、早いとこ、手え打ちなよ!」
皆が不満を言い並べ、そのうちに孫七が自分の身の上や体の不調を訴え始めると、「そのことは、後にして!」とおきくがぴしゃりと言い放ち、孫七は黙ってしまう。
今度は源兵衛も自分の体の不調を訴えると、それに対しても、おきくは「その話は後にして!」と注意する。
「おい、おきく。後ならいいのか。今言いてえことみんな後回しにするから、いつまでたっても暮らしはちっとも良くならねえ。不義がはびこる」
「そういうお父っ様が嫌いです。いつも、ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う。よせばいいのに人の難事(なんごと)ばかり立ち入って、上役の不義を訴え出たり、尽くしたはずがお役御免って。どれだけ私も辛抱したことか」
「わしはな。この国を思って訴え出ただけ。勘定方として当たり前のことをしただけだ。それを誇りに思わぬお前がおかしい!」
二人の言い争いを黙って聞いていた長屋の住人たちの一人が、「その話も、後でいいんじゃないかな」と一言。
そこに、長雨で川止めされていた矢亮と中次がやって来て、待ってましたと歓迎され、早速、汲み取り作業に入る。
一方、源兵衛は編笠を被った、かつての部下の侍に呼び出されて訴状を渡された。
【勘定方(かんじょうかた)とは、幕府・各藩で財務関係の仕事に携わる役人のこと】
人生論的映画評論・続: せかいのおきく('23) 投げ入れる女と受け止める男 阪本順治