「戦争にもルールがある」 ―― 国際社会の規範が根柢から破壊される世界の〈現在性〉

 

他国の領土を武力で奪って国境線を変えようとする。

 

これだけは許されないという国際社会の根本的なルールを破ったロシアによるウクライナ侵略。

 

確かに、ルールなしの侵略行為は過去には横行していた。

 

欧州では、仏独などで戦争の度に国境線が目紛(めまぐる)しく変わっていたという歴史的事実がある。

 

また欧州諸国はアフリカや中東地域などを侵略し、恣意的に国境線を引いて分割した。

 

こうした行動がもたらした犠牲と破壊の凄惨さは筆舌に尽くしがたいほどだった。

 

しかし、世界はこうした経験を経て第二次世界大戦後に国際連合を発足させ、「国連憲章」を定めた経緯がある。

 

憲章の2条4項では、全ての加盟国の「武力による威嚇または行使」を禁じ、「領土の保全」を掲げ、守ることを原則にしている。

 

所謂、「武力行使禁止原則」というルールである。

 

現在、これは世界的に確立されたルールとなっている。

 

共に国連に加盟しているロシアによるウクライナ侵略は、このルールへの看過し難い重大な挑戦である。

 

止まらない民間人への攻撃の横行。

 

元より、欧州では産業革命がもたらした製鉄や火薬製造の技術の発達によって武器の破壊力と残虐性が増していく。

 

これが象徴的に可視化されたのは「ソルフェリーノの戦い」(1859年/イタリア統一戦争)。

 

イタリアの統一を目指すサルデーニャ王国が、フランス(ナポレオン3世)の支援を受け、とオーストリア軍が衝突したこの激戦である。

 

辛うじてフランス・サルデーニャ同盟軍が勝利したが、フランスは8500人以上の戦死者を出し、オーストリア軍はそれを上回る1万2000人が犠牲になり、その残虐性が際立った戦争だった。

 

【因みに、この戦いでフランス軍が使用したライフル砲はその有効性が広く認められ、以降、各国の軍隊は滑腔砲(かっこうほう/砲の内側にライフルを刻んで砲弾に回転を与えるという、高速で発射可能な現代の戦車砲の主流を成す)からライフル砲へと装備を切り替えていった/ウィキ、コトバンク参照】

 

この戦争の惨状に強い衝撃を受けたスイスのアンリ・デュナンは「ソルフェリーノの思い出」と題した書籍を出版し、これが後の赤十字運動へ繋がっていく。

 

国際赤十字社が創建されるのである。

 

こうした時代状況において、戦争であっても最低限守るべきルール(「戦争にもルールがある」という理念)を決めようという気運が高まり、1949年には、600を超える条文が記述される「ジュネーブ諸条約」が誕生する。

 

無制限な武力の行使に制限を加え、武力紛争という極限状態においても人間の尊厳を守ろうとする国際人道法への希求の所産だった。

 

陸戦の傷病兵の保護救済、海戦の傷病兵、難船者の保護救済、捕虜の人道的待遇、そして文民の保護を規定したが、その根本的な原則の一つは「民間人と民間施設の保護」であり、これを犯した行為は戦争犯罪となることを定めたのである。

 

ジュネーブ条約150周年にあたって・日本赤十字看護学会」によれば、赤十字国際委員会は、国際人道法を7つのルールにまとめている。

 

その骨子は以下の通り。

 

 戦闘や敵対行為にも参加しない全ての人々を、いかなる場合にも差別せず、人道的に取り扱うこと。

 降伏し、敵対行為を止めた戦闘員は、殺傷してはならないこと。

 紛争当事者は、その支配下にある傷病者を収容し、看護しなければならない。また、そのための医療要員、施設、機材等を保護する赤十字などの標章を尊重、保護すること。

 捕虜や抑留者の生命、尊厳、人権の尊重と保護及び家族との通信、援助を受ける権利を保障すること。

 公正な裁判を受ける権利及び拷問、体罰、残虐で品位を汚す扱いを受けない権利を保障すること。

 戦闘方法や武器の使用は無制限ではなく、不必要で過度な損害や殺傷をもたらす武器は使用してはならないこと。

 紛争当事者は、常に戦闘員と文民を区別し、攻撃を軍事目標に限定し、文民とその財産を保護するべきことの7つのルールである。

 

ジュネーブ諸条約(ジュネーブ四条約/1949年)世界の全ての国(196カ国)が加盟し、批准されているのだ。

 

イスラエルも加盟しているので、ガザ地区全体に対する空爆は、ジュネーブ諸条約共通第3条の「集団懲罰」という戦争犯罪に該当する】

 

私たちは今、ジュネーブ諸条約が世界的なルールとして定着している事実の重みを確認せねばならない。

 

それ故、電力破壊というインフラ攻撃・民間施設破壊というロシアの行動は最低限守るべきルールに対する重大な挑戦になる。

 

ところが、たった一人の男(プーチン)の意思で部隊を引けば終焉する戦争であるにも拘らず、侵略を正当化するこの男の論理は、「欧米の武器支援からの自国の防衛戦争=祖国の防衛戦争」と一方的に決めつけることで、他国民を殺害するというアナクロニズム全開の戦争犯罪が止まらないという救い難い〈現在性〉。

 

世界的なルールが、この2年間にわたる蛮行によって完全に破綻するリアルを私たちは見せつけられているのだ。

 

また、一部のグローバルサウス(ブラジル・南アら)からは植民地支配を非難し、ロシアを批判できるのかという不信感を訴えているが、そこに正当性が確保されていたにせよ、ロシアの蛮行を擁護する論理にはならないのである。

 

加えてSNSでは様々なナラティブ(陰謀論)が飛び交っていて、それを鵜呑みにする人たちが増えている。

 

【植民地支配と奴隷制度は過去に遡って非難されなければならないとした「ダーバン宣言」を採択した「2001年ダーバン会議」(反人種主義・差別撤廃世界会議)で、アフリカ・カリブ諸国が植民地支配と奴隷貿易奴隷制に対する 謝罪と補償を求め、欧米諸国との間で議論が紛糾した歴史的事実があり、以降、20余年間、植民地支配を反省する動きは世界の流れとなっている。ロイター通信によると、2023年に、オランダのウィレムアレクサンダー国王は、オランダが過去に奴隷制度に関与したことや、その影響が現在も続いていることを謝罪した。オランダ王室は同月、植民地の歴史における王室の役割について独立調査を委託しており、2025年に結果がまとまる予定だという】

 

ここで、日本経済新聞の秋田浩之コメンテーターの記事「〈展望2024〉国際情勢 危機の連鎖、広がる懸念」を切り取って掲載する。

 

【西側諸国は1930年代当時の大失敗を改めて思い起こすときだ。38年、チェンバレン英首相らはナチスドイツに甘い態度をとり、チェコスロバキアの一部割譲を認めてしまう。足元を見透かしたドイツは翌年、ポーランドに侵攻し、第2次大戦が始まった。 

 

世界は今、似たような岐路にある。ウクライナの一部領土をロシアに譲ったら、悪影響は欧州だけではすまない。力ずくで領土を奪っても構わない風潮が、世界にまん延する。ロシアと結束するイラン、中国はそれぞれ中東、アジアでより強気の行動に走るだろう。

 

(略)アジアもきな臭さを増す。中国の習近平国家主席は11月、バイデン米大統領に台湾侵攻の具体的な計画はないと告げた。だが、必要なら武力行使を辞さない方針を、習氏はこれまで重ねて表明している。米軍機への接近など、中国軍が挑発の水準を上げ始めた形跡もある。

 

(略)米国は世界の警察官の座から降り、米軍も一つの大紛争を戦う能力しかない。ならば、日本を含めた同盟国が平和への貢献を増やし、米国と連携して戦争のドミノを防ぐのが最善の道だ】

 

ウクライナの戦線維持を支援することは、米国にとってはるかに有利でコストもかからない」。

 

米戦争研究所は2023年12月、ロシアが勝利した場合に平和を維持する費用は「天文学的になる」と指摘した。

 

ウクライナが敗北すれば新たに1千キロメートルを超える欧州連合(EU)各国の国境近くにロシア軍が迫ることになる。ロシア軍の西進に対応するために、米軍や北大西洋条約機構NATO)軍は東欧での部隊増強が迫られる。ステルス戦闘機を新たに多数、配備する必要も出てくる」(「ウクライナ支援疲れの代償 断念なら『天文学的負担』」より)

 

「安保コストとしては現時点でウクライナを強力に支援した方が長期的に安くすむのは明白だ」

 

欧州外交評議会のグレッセル上級政策フェローの合理的な指摘だが、今、この認識こそ共有されねばならないだろう。

 

最後に、「ミュンヘン安全保障会議」でのゼレンスキー大統領と、記者会見でのナワリヌイ氏の妻ユリアさんの言葉を引用したい。

 

ウクライナに戦争がいつ終わるのかと尋ねるのではなく、なぜ、プーチンが戦争を続けることができるのかと自問して下さい」(ゼレンスキー大統領)

「アレクセイを殺したプーチンは私の半分を殺し、私の心と魂の半分を殺しました。でも私には、まだ半分残ってます。その半分が、私に諦める権利がないと言っています。私はアレクセイ・ナワリヌイの仕事を続け、私たちの国のために闘い続けます」(ユリアさん)

 

【余稿】

20世紀に「権威主義体制」という言葉を広めた著名な政治学、ホアン・リンス(独生まれで米国イェール大学名誉教授)らの基準によると、現代の政治体制は基本的に3種類しかない。民主主義・権威主義全体主義である。

 

―― この政治形態で最も労を要するのは民主主義である。

 

民主主義は疲れるのだ。

 

しかし、合意形成に疲れるからこそ民主主義は守り、発展させていかねばならないのである。

 

その民主主義が危機に陥ったら、民主主義社会で呼吸を繋ぐ人は、自らができ得る範疇で行動していかねばならない。

 

行動していかねば、民主主義を突き抜くような厄介な孔(あな)が空いてしまうのだ。

 

その孔を修復するには、相当の労力を要するだろう。

 

私たちが何もしなければ、孔を空けた〈悪〉がとんでもない力を持ってしまうのである。

 

「善人がただ何もしないでいるだけで、悪が栄えることになる」

 

エドマンド・バークアイルランド生まれの英国の政治思想家)の有名な言葉である。

 

アレクセイ・ナワリヌイが獄中で書いた手紙の一節にも、この言葉が引用されていた。

 

そのナワリヌイを喪った今、この言葉が持つ含みがリアリティを増している。

 

民主主義は疲れるのだ。

 

徹底的に議論し、納得するまで時間を消耗する。

 

だからこそ、価値がある。

 

【本稿は、国際報道で私が最も信頼するNHKの別府正一郎国際記者の、「キャッチ!世界のトップニュース」での問題提起と解説を受け、加筆して投稿した一文です】

 

(2024年2月24日/ウクライナ侵攻2年)

 

時代の風景: 「戦争にもルールがある」 ―― 国際社会の規範が根柢から破壊される世界の〈現在性〉