京都晩秋

 「晩秋の京都」 ―― これが、私が知っている京都のイメージの全てである。

 中学の修学旅行で行った京都のイメージは、遥か彼方に捨てられていて、そこにはもう、「美しき古都」を感受させる、いかなる情報をも拾い上げることができない。

 だから私にとって、「晩秋の京都」だけが、京都のイメージの全てなのである。

 そんな私の、古都への狭隘なイメージを膨らませることが叶わず、ただただ、「錦秋の古都」というイメージばかりを追い駆けて、そこに三度(みたび)訪れている。

 最初の京都旅行から受けた、錦織りなす黄紅葉という「初頭効果」(第一印象効果)の影響が強烈過ぎて、私はその後、悠久の歴史を持つ古都の、由緒ある古寺の風景の燃え立つ世界のうちに入っていった。

 「素晴らしい」の一言だった。

 しかし、それでも私は、自分のイメージの絵柄を全く写し切れていない。

 「京都に住まない限り無理だろうな」と思わせるような諦念が、私には常に張り付いていて、結局、落ちついた佇まいを見せるはずの、「晩秋の京都」の日常性の表層にすら入り込めず、どこまでも、「一見さん」という括りで処理される関係を保持したまま現在に及んでいる。

 私はまだ、「晩秋の京都」の彩色の世界と遊んでいるだけなのだ。

 何より、この時期の京都には数多の観光客が溢れ返っていて、古寺の情趣を味わう雰囲気など全く拾えなかったのである。

 それは、私が「観光客」という枠組みに甘んじている限り、決して解決されない何かだろうと思うのだ。

 なお、以下の画像は、デジタル一眼レフカメラの高画質の高解像度の優れ物には到底及ばない、重厚長大の一眼レフによるものだが、昔の記憶のスクラップの中からスキャナーにより画像入力して、印象深いスポットをチョイスしたものである。


(使用カメラは、主に、35mmレンズ交換式銀塩一眼レフカメラオリンパスOM4。200mm望遠ズーム。使用フィルムは、富士フイルムリアラACE、リバーサルフィルム、PLフィルター他。また、キヤノンのスキャナーにより、写真から画像を入力/以下の写真は、全て私自身が交通事故を起こす以前の12年以上前のものです )

 
 
[ 思い出の風景 京都晩秋]より抜粋http://zilgf.blogspot.com/2011/06/blog-post_10.html