1 「顔を強張らせて、怖い目」を身体表現する、父と子の歪んだ関係
ベルイマン映像の初期の到達点と言える「不良少女モニカ」(1953年製作)に比較すれば、映像の完成度は必ずしも高くない。
だから、そこから受ける感動もフラットなものでしかなかった。
それでも、ベルイマン映像で繰り返し描かれていく「人間の愛憎」というテーマを、いつものように、限定された登場人物の関係の縺れの中で露わになる、人間の孤独の裸形の様態を容赦なく抉り出していくような筆致は、長編3作目である本作において鮮明になっていた。
物語は簡単である。
身勝手で横暴なサルベージ船の船長である、父の愛人の踊り子と恋愛関係になった息子の激しい相克と、その板挟みとなって懊悩する母の4人の物語を、踊り子との7年後の再会を約束して、長い航海へ旅立った息子の帰還による回想を通して描かれるだけ。
そんな本作で拾いあげられたテーマは、殆ど救いようがない父と子の葛藤であり、その葛藤の中で露わになる人間の「人間の愛憎」と孤独の裸形の様態という、いかにもベルイマン映像らしい人間の実存的根源性を有するものであった。
背中に障害を持つ息子が生まれたことに悩み、充分に愛情を注げない父に対する反発から、既に思春期前期から反抗的な態度を繰り返していく息子。
その息子の名はヨハンネス。
父のアレクサンデル、母のアリスと同様に、沈没船の引き揚げ作業を仕事にする、サルベージ船の仕事で身過ぎ世過ぎを繋いでいた。
その辺りの事情を、アリスはサリーに吐露している。
因みに、サリーとは、夫の愛人であると同時に、息子の恋人になっていく件の踊り子の名である。
「あの子、よく病気したわ。死ねば良いと思った。扱いにくい子で、怒りっぽくなったわ。だから放っておいたら、すぐ家を出て、どこかに隠れて、何日も帰って来なかったわ。帰って来ると、夫はベルトであの子を殴ったの。ひどく傷ついても、あの子は泣いたりしなかったわ。ただ顔を強張らせて、怖い目をしていたの」
父に嫌われる原因になったヨハンネスの障害は、「僕の背中は曲がっている」とサリーに吐露することで、年来のコンプレックスを相対化しようと努めているようにも見えたが、母の言うように、「顔を強張らせて、怖い目」を身体表現する歪んだ関係を実父との間に形成してしまっていたのである。
青年期に入ったヨハンネスは、父母と共にサルベージの仕事に従事するが、権力的で横暴な父親との関係が円滑に推移する訳がない。
愛人を船に乗せ、息子自分の部屋を貸す父に反発する息子。
「すぐ甲板に戻って、仕事を続けろ。何も言うな。黙れ!」
「僕は、ここから出たいだ。チャンスを取り上げるな!何もかも取り上げてる!死にたいよ・・・」
息子の反発を意に介せず、非難する一方の父親。
「父さんは僕をいじめて楽しんでる」
「アリス、ひどい息子を産んだな。ヤクザだよ」
愛人との共存を強いられた妻に、アレクサンデルの悪意が止めを刺す。
「やめて!」
最も惨めな心境に捕捉されたアリスの叫びが、閉塞的で狭隘な空間を劈(つんざ)いた。
「自分の父親を殴りたいと思ってる。でも結局、殴らんだろうな。なぜだと思う?こいつには度胸がないんだ。腰抜けさ。父親からの仕返しが怖いんだ」
「この野郎、覚えてろ!女たらしのブタめ!」
ここまで愚弄されたヨハンネスは、精一杯の反撃を加えていく。
「自分の父親に向かって、何て口を聞きやがる!いい加減にしろ」
「くたばっちまえ!」
この一言に切れた父は、息子を殴りつけた。
ナイフを握ったまま、部屋を出て行く父を睨むだけのヨハンネスが、そこに置き去りにされたのである。
ベルイマン映像の初期の到達点と言える「不良少女モニカ」(1953年製作)に比較すれば、映像の完成度は必ずしも高くない。
だから、そこから受ける感動もフラットなものでしかなかった。
それでも、ベルイマン映像で繰り返し描かれていく「人間の愛憎」というテーマを、いつものように、限定された登場人物の関係の縺れの中で露わになる、人間の孤独の裸形の様態を容赦なく抉り出していくような筆致は、長編3作目である本作において鮮明になっていた。
物語は簡単である。
身勝手で横暴なサルベージ船の船長である、父の愛人の踊り子と恋愛関係になった息子の激しい相克と、その板挟みとなって懊悩する母の4人の物語を、踊り子との7年後の再会を約束して、長い航海へ旅立った息子の帰還による回想を通して描かれるだけ。
そんな本作で拾いあげられたテーマは、殆ど救いようがない父と子の葛藤であり、その葛藤の中で露わになる人間の「人間の愛憎」と孤独の裸形の様態という、いかにもベルイマン映像らしい人間の実存的根源性を有するものであった。
背中に障害を持つ息子が生まれたことに悩み、充分に愛情を注げない父に対する反発から、既に思春期前期から反抗的な態度を繰り返していく息子。
その息子の名はヨハンネス。
父のアレクサンデル、母のアリスと同様に、沈没船の引き揚げ作業を仕事にする、サルベージ船の仕事で身過ぎ世過ぎを繋いでいた。
その辺りの事情を、アリスはサリーに吐露している。
因みに、サリーとは、夫の愛人であると同時に、息子の恋人になっていく件の踊り子の名である。
「あの子、よく病気したわ。死ねば良いと思った。扱いにくい子で、怒りっぽくなったわ。だから放っておいたら、すぐ家を出て、どこかに隠れて、何日も帰って来なかったわ。帰って来ると、夫はベルトであの子を殴ったの。ひどく傷ついても、あの子は泣いたりしなかったわ。ただ顔を強張らせて、怖い目をしていたの」
父に嫌われる原因になったヨハンネスの障害は、「僕の背中は曲がっている」とサリーに吐露することで、年来のコンプレックスを相対化しようと努めているようにも見えたが、母の言うように、「顔を強張らせて、怖い目」を身体表現する歪んだ関係を実父との間に形成してしまっていたのである。
青年期に入ったヨハンネスは、父母と共にサルベージの仕事に従事するが、権力的で横暴な父親との関係が円滑に推移する訳がない。
愛人を船に乗せ、息子自分の部屋を貸す父に反発する息子。
「すぐ甲板に戻って、仕事を続けろ。何も言うな。黙れ!」
「僕は、ここから出たいだ。チャンスを取り上げるな!何もかも取り上げてる!死にたいよ・・・」
息子の反発を意に介せず、非難する一方の父親。
「父さんは僕をいじめて楽しんでる」
「アリス、ひどい息子を産んだな。ヤクザだよ」
愛人との共存を強いられた妻に、アレクサンデルの悪意が止めを刺す。
「やめて!」
最も惨めな心境に捕捉されたアリスの叫びが、閉塞的で狭隘な空間を劈(つんざ)いた。
「自分の父親を殴りたいと思ってる。でも結局、殴らんだろうな。なぜだと思う?こいつには度胸がないんだ。腰抜けさ。父親からの仕返しが怖いんだ」
「この野郎、覚えてろ!女たらしのブタめ!」
ここまで愚弄されたヨハンネスは、精一杯の反撃を加えていく。
「自分の父親に向かって、何て口を聞きやがる!いい加減にしろ」
「くたばっちまえ!」
この一言に切れた父は、息子を殴りつけた。
ナイフを握ったまま、部屋を出て行く父を睨むだけのヨハンネスが、そこに置き去りにされたのである。
(人生論的映画評論/インド行きの船('47) イングマール・ベルイマン <大いなる旅立ちに向かう身体疾駆の内的必然性>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2011/12/47.html