永遠と一日('98) テオ・アンゲロプロス <「人生最後の日」―― 軟着点の喪失と千切れかかった魂の呻吟、或いは「自分という人間を見つめる、そのまなざし」>


 1  「そのとき、全てが、時が止まる」―― 海辺の家の記憶  



 -― その映像の粗筋を、原本となったシナリオを参照にして詳細に追っていこう。

 
 イタリア様式の外観を見せる海辺の家。
 
 「アレクサンドレ、島へ行こう」
 「どこへ?」とアレクサンドレ少年。
 「島だよ。海の底で古代都市を見て、島で崖に登って、沖を船が通ったら叫ぶんだ」
 「古代都市?」とアレクサンドレ少年。
 「お祖父さんの話さ。昔、幸福な町が地震で沈んだ。何世紀も海底で眠っている。明け方の星が地球と別れを惜しむ朝、一瞬、古代都市が海の上に出てくる。そのとき、全てが、時が止まる」
 「時って?」
 「砂浜でお手玉遊びをする子供、それが、時だってさ。来るだろ?」 

 ここで映像のタイトルが映し出されて、詩情豊かなピアノの旋律が流れていく。

 アレクサンドレ少年がベッドからそっと起き、白いサンダルを両手に持って、こっそり寝室を出て行った。

 少年は海辺で待つ二人の友人と落ち合って、ズボンを脱ぎ捨てるや、海に飛び込んだ。三人は物語の島に向かって、競り合うように泳ぎ始めたのである。
 
 
(人生論的映画評論/永遠と一日('98)  テオ・アンゲロプロス <「人生最後の日」―― 軟着点の喪失と千切れかかった魂の呻吟、或いは「自分という人間を見つめる、そのまなざし」>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/11/blog-post_02.html