四季を旅して

 <「青春の一人旅」から、トレッキングの醍醐味への「旅」>


 「ママ、私が書いた詩、覚えてる?“ある日、私は自分の骸骨と向かい合った。骸骨は終始黙ったまま、洞穴のような暗い眼の奥から、絶えず私に微笑みかけた。白い骨の関節が軋(きし)んで、私の手を撫でた”私は、自分自身を悩ますこの幻影から逃れるためにも、旅に出たかったの。清々しい空気。見知らぬ土 地。旅にさえ出てしまえば、一切が解決するような気がして」

 これは、斎藤耕一監督の「旅の重さ」(1972年製作)の中で、ヒロインが母に宛てた手紙の一節である。

 私はこの映画が好きで、今に至って繰り返し見ているが、映画の中で描かれた、ヒロインの「旅の重さ」に共感する思いが強いのは、殆どノスタルジー気分と言っていい。
  10代後半から20代初めにかけて、私は、このヒロインのような「旅」を何回か経験している。(画像は、「旅の重さ」より)

 「日本一周無銭旅行」などという、かなり無謀な「旅」を試みたのは、「知らない土地に行って、知らない人と会い、様々なことを経験する」という、青春特有の情動が心理的推進力になっていたからである。

 一度も身銭を切って旅館に宿泊することなく、主に、寺院の本堂や、寂れた集落の小さな神社、学校の保健室、公民館、一般民家での宿泊、それが叶わなければ野宿をする「旅」を繋いで、僅か4万円足らずで、50日間余の旅を経験したことがある。

 そこで知った日本人の心の優しさや、この国の風景の美しさに感嘆し、心の底から悔いのない「旅」をしたと思っている。

 思うに、「青春の一人旅」には、様々な「形」があるが、少なくとも、「自己を内視する知的情感的過程」に関わる「旅」の本質を、「移動を繋ぐ非日常」による「定着からの戦略的離脱」であると、私は把握している。

 そして、「青春の一人旅」の目的は、「異文化との交叉」によって自己を相対化し切って、「自己の存在確認と再構築」を果たすことである

 結局、「青春の一人旅」には賞味期限があることを、今更のように実感している次第である。

 この賞味期限のある、幾つかの「旅」を遂行したお陰で、その後の私の生活風景は、「日常」の中で作り出したほんの小さな「非日常」を利用して、日本各地を旅する熱情を分娩し、機会があるごとに、それを身体化していくことで、そこに目立たないが、しかし、「それがあったから、現在の自分がある」という「物語」を内化し得る変容を実感する何かになった、と勝手に思っている。

 ところが、20代も後半になると、もうこのような「旅」を立ち上げることはできなくなった。

 「仕事」があり、「生活」があるからだ。

 このブログで紹介する「旅」は、30代前半から40代にかけて、日本各地への「旅」をしたときの記録の断片である。

 低山徘徊を含む、そんな「旅」の私の思い出の中で、最も印象深い一つは、妻とその両親を交えて行った、西沢渓谷への「家族旅行」である。

 「秩父多摩甲斐国立公園内に位置し国内屈指の渓谷美を誇る景勝地」(山梨市役所 観光課 HP)として名高い西沢渓谷へは、単身のアプローチを含めると、5,6回は行っていると思うが、その多くは、紅葉の写真を撮るための撮影行脚であって、殆どブルースカイの天候条件下でアプローチしたものだった。

 ところが、このときの「家族旅行」に関しては、今にも、驟雨(しゅうう)に襲われそうな暗い曇天の日だった。

 そんな中で、定番的なトレッキングコースをなぞって渓谷の散策を愉悦したが、そこで見た風景の素晴らしさは、今まで見たことがないような鮮やかな季節の色彩美を表現していて、息を呑むほどだった。

 暗い曇天の中で表現された山岳風景も素晴らしく、私の記憶の中では、紅葉美の頂点に近い景観を作り出していた。

 最初で最後の「家族旅行」の中で手に入れたトレッキングの醍醐味は、今でも、私の記憶の襞(ひだ)の奥に鮮明に焼き付いている。

 「旅の重さ」に象徴される、「青春の一人旅」が終焉してからの私の「旅」の内実は大きく変容したが、それでも、この国の風景を最も愛する私の中で、「日常」から「非日常」へほんの少し突き抜けた時間に身を委ねる心地良さは、一貫して変わらない。

 まず、「旅」があった。

 そして、そこで初めて感じる「旅の重さ」の行程では、物語のヒロインのように、高熱を出して発病することもあったが、それでも、近くの民家から貰い受けた氷で額(ひたい)を冷やし、一人用のテントを張って野宿したエピソードがあるからこそ、「旅」の醍醐味が身に沁みているのだろうと思っている。

 やはり、「青春の一人旅」には賞味期限があったのだ。(トップ画像は、西沢渓谷)
 
 
 
[ 思い出の風景 四季を旅して  ]より抜粋http://zilgf.blogspot.com/2011/09/blog-post_11.html