四季の花々

 私の大好きな奥武蔵の集落・低山徘徊の中で、最も頻繁に通ったエリアは高麗郷(埼玉県日高市)である。

 池袋駅から西武秩父駅まで運航する、特急列車のレッドアローの開通(1969年の「ちちぶ」)によって、日高、高萩、こま川、こま武蔵台の各団地が完成し、住宅地の開発が進み、今では東京のベッドタウン化しつつも、区画整理されたその一角を避けて、自在にコースを踏み分けて散策する時間の至福感。

 年間、2,30回は通っただろうか。

 季節は全く問わない。

 同じ場所を繰り返し訪ねても、そこで出会う風景は、今まで見てきた風景とどこか違う趣きが感じられれば、それで充分だった。

 中でも、私が最も通ったビュースポットは、早春から陽春にかけて咲き揃っていく、季節の花々を借景とする古社・古刹への散策だった。

 とりわけ印象深いのは、3月中旬に満開になる高麗家住宅の紅梅。

 国指定重要文化財の高麗家住宅を囲繞し、柵を守るように植林されている10数本の紅梅が咲き揃ったときの美しさ。

 これは特筆すべきものである。

 毎年、高麗家住宅を管理する高麗神社の社務所に電話を入れて、紅梅の咲き具合を予め聞いておく。

 そして、「今が一番、奇麗ですよ」という言葉をもらったら、もう、次の日にはカメラを持って出向くという具合だった。

 「高麗家は、代々高麗神社の神職を勤めてきた旧家である。この住宅は、江戸時代初期の重要民家として昭和46年6月22日、重要文化財に指定された。建築年代については慶長年間(1596~1614)との伝承があるのみで明確な資料は欠くが構造手法から17世紀中頃まで遡り得ると思われる。建物は山を背にして、東面して建てられ、その規模は間口14.292m(約7間半)奥行き9.529m(約5間)総面積136.188m(約37.5坪)で屋根は入母屋造り茅葺きである。間取りは5つの部屋と比較的狭い土間とから成っている。5室の内表側下手の部屋(21畳)はもっとも広く当住宅は表座敷を中心とした間取りである」

 因みに、これが、日高市教育委員会の公式ホームページに掲載されている「案内板」の一節。

 そして、この高麗家住宅を管理する高麗神社に枝垂れ桜が咲く頃には、高麗神社から少し離れた、高麗山聖天院(高麗郡初代郡長の高麗王を弔い草創したと伝える寺)の彼岸桜と染井吉野が満開になっていて、それはもう、信じ難いほどの風景美を演出してくれるのだ。

 桜で埋め尽くされたような古刹の情趣は、そこを訪れる人が少ない午前中の時間帯に出向けば、爛漫の春が炸裂する風景美を占有したという気分になってくる。

 その頃には、境内のミツバツツジも咲き始めていて、まさに、花のリレーを集中的に彩るピークアウトの風景美が、そこに表現されていた。

 陽春から初夏にかけて彩るオオムラサキツツジヤマツツジの艶やかさも、そこに加わって、新緑の眩い色彩と見事に溶融し、特化されたビュースポットに惹き込まれ、陶然とした気分になる。

 そして、この高麗郷には、私好みのとっておきのビュースポットがあった。

 堂々とした構えの古い民家の、道行く人々に広く開けた庭に咲く季節の花々が、高麗郷のエリアの一角で、美の競演をしているのである。

 ミツマタシバザクラ、ミスバツツジ、ヤマツツジなど、多種多様な季節の花々が咲き揃う季節に徘徊したときの感動は、ビギナーズラックの快楽がずっと延長された気分に酔うようなのだ。

 高麗郷に行くときには必ず、この民家の前を通る道を選択し、「今は、何の花が咲いているかな」などと夢想しながら徘徊する愉悦感は、言葉に言い表せないほどだった。

 もう、二度と訪ねることのない高麗郷での思い出を、このようなブログで繰り返し思い起こすだけでも、相応にストレス解消にはなっていて、それでいいという思いでいる今日この頃である。

 感射の思いで一杯である。

 閑話休題

 ここには他にも、早春のウメばかりでなく、陽春を告げるコブシの花、初夏に咲くテッセン、シラン、フジ、ボタン、カルミアエニシダ、ヤマブキ、シャクナゲヤマツツジ

 また、梅雨に咲くタチアオイハナショウブ

 そして、夏の花であるスカシユリモミジアオイ、キキョウ。

 初秋に、淡い紅色の小さな花が下垂して咲くシュウカイドウなど、私の最も好きな花の写真が収められている。(日高市ホームページ参照・なおトップ画像は、高麗家住宅の紅梅)
 
 
[ 思い出の風景 四季の花々 ]より抜粋http://zilgf.blogspot.com/2011/07/blog-post_15.html