奥武蔵・秩父の四季(その3)

 2000年4月16日、私が奥武蔵に行った最後の日である。

 その日、私は半日中、武蔵横手(埼玉県日高市)の駅で降りて、気の向くまま集落内を散策した。

 この時期、春の花が殆ど出揃っていて、できれば、私の好きなハナモモやミツバツツジの花の写真を撮れたらいいなという気持ちで、そこだけはいつもと違って、ゆったりとした律動感を保持しつつ、全く時間に追われることなく、集落の春の芳香漂う只中に身を投げ入れていった。

 そこで出会った素晴らしい風景に絶句した。

 恐らく、私が見た奥武蔵の集落の春の風景の中で、1、2番を争うような、抜きん出て美しい色彩美が表現されていたのである。

 「極上美の饗宴」と言ったら大袈裟か。

 民家の庭先に咲くミツバツツジのピンクと競合するように、随所に植えてあるハナモモの樹が満開になっていて、イメージ以上の構図を切り取ることができた喜び。

 これほど満足した散策があっただろうか。

 思えば、その心地良きイメージの予兆は、西武秩父行きの電車の中で食べた、自前の弁当の満足感の中で感じ取っていた。

 4人席の座席が向かい合う快速列車の車両の中には、乗車客が見るからに疎(まば)らだったので、思い切り脚を伸ばして食べる弁当の味は格別だった。

 窓を開けて外を見る風景には、確かに季節の変化の彩りが感じられて、薄雲の張った春霞みの空には陰翳感がなく、まさに、「気温の春」と「光の春」の、眩いばかりの新緑の自然の相貌が、一期一会の堂々とした季節の瞬間を炸裂させていた。

 ずっとこのまま乗って、終点まで行こうと思う気持ちを抑えて、高麗の駅を過ぎ、そして武蔵横手駅に着くや、窓外の風景に魅了されていた私は、躊躇なく、池袋線区間内では最も乗降人員が少ないと言われる、自動改札機が設置されていないこの小さな駅で下車し、目的地を持たない徘徊に、その身を委ねていったのである。

 その結果、手に入れた名状し難い心地良さは、奥武蔵の集落の春の風景を占有できる贅沢感に酔っていた。

 そんな折り、とある民家の庭の風景を見て、ゆったりとした律動感を保持していた徘徊の脚が止まった。
 
 多様な色彩が融合して織り成す幻想的な風景との邂逅の、初発のインパクトの鮮烈な印象に、言葉を失う程だった。(画像)

 サクラとモモ、そして各種ツツジの樹木の花々が、地面を染め抜いていて、これは写真の対象というより、絵画の対象にこそ相応しい風景美であると感じたほどである。

 後にも先にも、これ程美しい民家の庭を私は見たことがなかった。

 許可を取るために挨拶に行っても反応がなく、留守宅の庭に入ることができず、入口の辺りから望遠レンズを駆使して、カメラのシャッターを切り捲り、忽ちのうちにフィルムを一本使い果たした。

 それ程、美しい風景だった。

 感射の気持ちで一杯だった。

 これが、私が奥武蔵で見た最後の風景になるとは思わなかったが、しかし、あの鮮烈な感動は、今でも記憶の襞(ひだ)に焼き付いていて離れない。(トップ画像は冬の武甲山
 
 
[ 思い出の風景  奥武蔵・秩父の四季(その3)  ]より抜粋http://zilgf.blogspot.com/2011/08/blog-post_26.html