「みどりの日」である。
私が神代植物公園に訪園した最後の日である。
ブルーに染め抜かれた空が眩いほどだった。
その日、私は生まれて初めて、最も美しい風景を見たという幻想に酔ったのは事実である。
元々、ワシントン市に寄贈したサクラの苗木の返礼として贈られたアメリカハナミズキが、一重の4弁花の、「清楚の中の華やかさ」というイメージが日本人に受容されたのか、今では、多くの公園で植樹されているハナミズキだが、その例に洩れず、その日もまた、「神代植物公園のハナミズキ園」が最高の密生度の高さを誇示するかのように、ピンクや白の花を目一杯つけて、この世のものとは思えない風景美を演出していた。
ところが、神代植物公園のホームページで紹介された「見どころ」の中に、「ハナミズキ園」が含まれていないのである。
そこには、バラ園、ツツジの大群植、梅園、サクラ、更に、熱帯スイレン室、ベゴニア室などがある大温室の紹介はあっても、ハナミズキ園という言葉は全く出てこないのである。
辛うじて、「年間カレンダー」の中に、私の好きなモモとハナミズキが、他の多くの花木に交じって紹介されているだけだった。
それ故、「神代植物公園のハナミズキ園」という固有の概念が、一般的に人工に膾炙(かいしゃ)されることはないのだろう。
無料オープンの「みどりの日」を迎えて、ハナミズキ園が表現する圧倒的な風景美を目の当たりにして、驚く人も出て来るかも知れない。
とりわけ、2000年4月29日の「みどりの日」は、ブルースカイをバックに新緑が映える、紅色のハナミズキの風景美が一頭地を抜きん出ていて、出色であったという印象を拭えないのである。
だから私は、いつものように、何時間もそこに粘って、持っているフィルムを全て使い果たした。
それほど感動的な風景美との、一期一会の邂逅だった。
今思えば、その12日後に、ガードレールクラッシュに遭う私への、「神代植物公園のハナミズキ園」からの最高の贈り物だったような気がする。
こんな自己基準の物語を仮構するほどに、その日の「神代植物公園のハナミズキ園」は圧巻だった。(トップ画像は、「神代植物公園のハナミズキ園」)
私が神代植物公園に訪園した最後の日である。
ブルーに染め抜かれた空が眩いほどだった。
その日、私は生まれて初めて、最も美しい風景を見たという幻想に酔ったのは事実である。
元々、ワシントン市に寄贈したサクラの苗木の返礼として贈られたアメリカハナミズキが、一重の4弁花の、「清楚の中の華やかさ」というイメージが日本人に受容されたのか、今では、多くの公園で植樹されているハナミズキだが、その例に洩れず、その日もまた、「神代植物公園のハナミズキ園」が最高の密生度の高さを誇示するかのように、ピンクや白の花を目一杯つけて、この世のものとは思えない風景美を演出していた。
ところが、神代植物公園のホームページで紹介された「見どころ」の中に、「ハナミズキ園」が含まれていないのである。
そこには、バラ園、ツツジの大群植、梅園、サクラ、更に、熱帯スイレン室、ベゴニア室などがある大温室の紹介はあっても、ハナミズキ園という言葉は全く出てこないのである。
辛うじて、「年間カレンダー」の中に、私の好きなモモとハナミズキが、他の多くの花木に交じって紹介されているだけだった。
それ故、「神代植物公園のハナミズキ園」という固有の概念が、一般的に人工に膾炙(かいしゃ)されることはないのだろう。
無料オープンの「みどりの日」を迎えて、ハナミズキ園が表現する圧倒的な風景美を目の当たりにして、驚く人も出て来るかも知れない。
とりわけ、2000年4月29日の「みどりの日」は、ブルースカイをバックに新緑が映える、紅色のハナミズキの風景美が一頭地を抜きん出ていて、出色であったという印象を拭えないのである。
だから私は、いつものように、何時間もそこに粘って、持っているフィルムを全て使い果たした。
それほど感動的な風景美との、一期一会の邂逅だった。
今思えば、その12日後に、ガードレールクラッシュに遭う私への、「神代植物公園のハナミズキ園」からの最高の贈り物だったような気がする。
こんな自己基準の物語を仮構するほどに、その日の「神代植物公園のハナミズキ園」は圧巻だった。(トップ画像は、「神代植物公園のハナミズキ園」)
[ 思い出の風景 陽春を歩く(その1) ]より抜粋http://zilgf.blogspot.com/2011/09/blog-post.html