緑のある風景


 あれは、いつ頃だっただろうか。

 私がまだ、カメラより低山徘徊の方に関心が強かった頃のことだ。

 県指定天然記念物の大銀杏と、110段の石段を有する、堂々とした山寺として名高い、何度目かの高山不動飯能市真言宗智山派の寺院)へのハイキングをしたときのこと。

 その頃私は、東京近郊の低山徘徊を毎週のように愉しんでいて、日帰りで帰って来られる山の過半は登っていたと思う。

 常にコンパクトカメラを携えてはいたが、山の風景を撮影する喜びは、未だ二次的な関心領域でしかなかった。

 ところが、その日は、どこか違っていた。

 5月初旬、「温帯低気圧の急速な発達により大風が吹く気象現象」(Wikipedia)である、前夜の「メイストーム」が関東南部を舐め尽していて、翌朝に予定していた高山不動行きを、ほぼ諦めかけていた。

 明け方になり、突然、メイストームが収まって、見る見るうちに、黒い雲が東の空に抜けていくのを目視して、俄然、朝一番で高山不動に行くことを決めるや、殆ど睡眠を取らない状態で、西武線の始発の下り列車に飛び乗ったのである。

 最寄り駅の西吾野に着く頃には、すっかり空が白んでいて、それこそ、昨夜のメイストームがクリアにしてくれたブルースカイの五月晴れが果てしなく広がっていた。

 些か興奮の面持ちで、駆け足登山に近い、ルール違反のような律動感に乗って、我が身を委ねていったのである。

 目的は一つ。

 高山不動奥の院である、標高770mの関八州見晴台に一分でも早く着いて、そこで俯瞰できるであろう、大パノラマの世界に浸りたかった。

 だから、高山不動にあっという間に辿り着き、そこから一気に駆け登っていった。

 関八州見晴台へのアプローチに、私は更にエンジンを加速した。

 すると、殆ど前方を見ないで身体を駆動させてきた私の脚が、突然止まった。

 私の前方に広がっている赤い花の氾濫が、私の視界に収められたからだ。

 それは、驚嘆に値する光景だった。

 ヤマツツジの群落だった。

 細い山道をラインを成して咲き誇る、ヤマツツジの眩さに陶然とした。

 携えていたコンパクトカメラで、それを写し取ることに熱中してしまったのは言うまでもなかった。

 「高山不動ヤマツツジ」の群落が有名であるという事実を知ったのは、下山して、書籍で確認した後のこと。

 まさに、その群落の最盛期に、私は高山不動に登った訳である。

 この国の暖温帯域全域に普通に見られる、落葉半低木のヤマツツジは、5月の強い光線に映え、狂おしいまでの真紅に燃えて、爛漫の春に、これ以上ない彩りを添えているのだ。
 
 その脚で関八州見晴台に着いても、頂上付近に咲き乱れるヤマツツジの赤が、奥の院の一角を占有しているのだ。(画像)

 「メイストーム」が作り出してくれた、眼下に広大なパノラマが展開する風景は圧巻だった。

 遥か遠くに、雪化粧をした小さな富士が見えたとき、全く優柔することがなかった低山徘徊の選択が報われた思いだった。

 それから何度もここに登っているが、富士を見る機会は一度も訪れなかった。

 それほど、ラッキーだったのだ。

 以来、私は決まって、この季節になると、この地を訪れることを習慣化していった。

 ヤマツツジとの出会いのみが目的の低山徘徊は、私の記憶の中では、このエリア以外になかった。

 その後、季節への花々への関心も拡大的に定着していった。

 全ては、「高山不動ヤマツツジ」との出会いのビギナーズラックによって開かれたものである。


 そして、三宝寺池公園。

 「緑のある風景」の中で、私にとって最も印象深いのは、距離の近さから、私が足繁く通った三宝寺池公園である。

 新緑の頃の瑞々しいまでの美しさは、「光の春」への季節の変容を感受させるに充分過ぎるものだった。

 三宝寺池公園の特化されたスポットの懐ろに抱かれる、言いようのない心地良き時間は、風景に憑かれる者の至福でもあった。

 視界に収める新たな機会を失っても、三宝寺池公園を自己流に切り取った多くの写真の束が、当時の鮮度を保持して、今なお私の中で眩く輝いている。

 それだけで良しとして、自足する時間に何とか馴致している日常に感謝しようと思っている。(トップ画像は三宝寺池公園の深緑)

 
 
[ 思い出の風景 緑のある風景  ]より抜粋http://zilgf.blogspot.com/2011/10/blog-post.html