白いリボン('09) ミヒャエル・ハネケ <洗脳的に形成された自我の非抑制的な暴力的情動のチェーン現象を繋いでいく、歪んだ「負のスパイラル」>

 1  「純真無垢」の記号が「抑圧」の記号に反転するとき



 物語の梗概を、時系列に沿って書いておこう。

 1913年の夏。

 北ドイツの長閑な小村に、次々と起こる事件。

 村で唯一のドクターの落馬事故が、何者かによって仕掛けられた、細くて強靭な針金網に引っ掛かった事件と化したとき、まるでそれが、それまで連綿と保持されていた秩序の亀裂を告知し、そこから開かれる「負の連鎖」のシグナルであるかのようだった。

 以下、それらの「事件」、「事故」や、看過し難い出来事を列記していく。

 まず、冒頭のドクターの事故を忘れさせるような悲劇が出来する(ナレーターでもある村の教師の言葉)。

 荘園領主でもある男爵の納屋の床が抜け、小作人の妻が転落死するが、男爵に恨みを持った小作人の息子は「事件」を確信して止まなかった。

 同日、牧師の息子であるマルティンが、橋の欄干を渡る危険行為を教師が目撃し、本人は死ぬつもりだったと告白。

  父に伝えられることを恐れるマルティンには、既に物語の序盤で、定時の帰宅時間に遅れた姉のクララと共に厳しく叱咤されていた。

 以下、その際の父の説教。

 「今夜は、私も母さんもよく眠れない。お前たちを打つ私の方が痛みが大きいのだ。お前たちが幼い頃、純真無垢であることを忘れないようにと、お前たちの髪や腕に白いリボンを巻いたものだ。しっかり行儀が身に付いたから、もう必要ないと思っていた。私が間違っていた。明日、罰を受けて清められたら、母さんに白いリボンを巻いてもらえ。正直になるまで取ってはならない」

 「白いリボン」とは、厳格な牧師の父にとっては「純真無垢」の記号であるが、それを巻かれる子供たちにとっては、「抑圧」の記号でしかないことが判然とする説教の内実だった。


(人生論的映画評論/白いリボン('09) ミヒャエル・ハネケ <洗脳的に形成された自我の非抑制的な暴力的情動のチェーン現象を繋いでいく、歪んだ「負のスパイラル」>)より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2011/08/09.html