ウェールズの山('95)  クリストファー・マンガー <「使命感」と「戦争」、そして「同化」についての物語>

 1  フュノン・ガルウの誇りにかけて



 イングランドから来た二人は、地図を作るためにフュノン・ガルウの測量のために、“好色”モーガンの宿に泊まることになった。
 
 「ウェールズに入って最初の山。村で自慢できるのは、大昔からこの山だけ。北部のような大きい山も、中部のような美しい山もない。でも我々には、ウェールズで最初の山があるのだ。山は侵略者から人々を守ってきた。ローマ人が侵攻したとき、人々は山に逃げた。サクソン人や、ノルマン人のときも・・・ブリテン島は多くの民族に侵略された。だが山があったからこそ、ブリテン島は制圧されなかった」(祖父の語り)

 アンソンとガラードの測量が始まった。

 村の人々は、この測量の話題で持ちきりになり、男たちは賭博の対象にもした。305メートルの標高がなければ山として認定されない。村の男たちは、愛するフュノン・ガルウに誇りを持っているから、賭博の予測は当然、この山の実際の標高がどれ程高いものであるかということに関心が集中したのだ。

 “好色”モーガンの店で行われていた賭博の最中に、その日の調査を終えた二人の測量士が帰って来た。モーガンに標高の予測を聞かれたガラードは、「280メートルくらいだろう」と答えたのである。

 これが全ての始まりとなった。

 郷土の誇りを傷付けられたモーガンたちは、当然の如くその数字に驚愕し、アンソンに文句をつけに来た。

 「誰が見たって、そんなの嘘っぱちだ」
 「まだきちんと測ったわけじゃないんだ。調査の第一段階に過ぎないんだ・・・」とアンソン。

 その後、アンソンは、器械を使っての三角測量の方法の説明をモーガンに示して、何とか彼らを納得させたのである。

 「皆、大騒ぎだった。丘なのか?山なのか?ウェールズでは、これは大変な問題だ。エジプトのピラミッド。ギリシャの神殿。我々には遺跡がない。だが山がある。山こそウェールズ人の魂だ。山がある。そこから先がウェールズだ。もし山じゃないなら、地図の上で、我々はイングランドの一部になってしまう。冗談じゃない」(祖父の語り)
 
 そして測量の日

 村人たちは二人の傍らで、その結果を固唾を呑んで待っていた。その挙句、アンソンによって発表された測量結果は「299メートル90センチ」。この発表に村人たちは激しく反応し、アンソンは必死にフォローする。

 「失望なさるのはよく分りますが、これはただの数字に過ぎません。美しい風景であることに変わりはない。皆さんの愛すべき・・・“丘”です」
 
 アンソンはそう言って、急ぎ早に二階に上がっていった。呆然とする村人たち。

 「丘だと?」

 彼らは皆ショックを受け、その報をモーガンの店の前で待っていたモーガン嫌いのジョーンズ牧師は、思わず頭を抱えてしまった。

 「戦争がなければ事情は違った。だが、1917年当時、人々は敗北感に喘いでいた。村に残った者は、船を動かすための石炭を掘った。1日24時間働かされ、脇目も振らずに掘り続けた。前線から生還しても、炭鉱で命を落とす者がいた。親友や息子や夫たちが次々と招集され、村の共同体は少しずつ崩れていった。“山”を失ったら、ドイツと戦った者に何て言う?“イングランド人に故郷の山を奪われた”と?村を引き裂き、山まで奪うつもりか。ウェールズ魂までも」(祖父の語り)
 
 このような事情があって、ウェールズのこの村の人々には、“山”を失うことはあってはならないことだった。あってはならないことを防ぐために、ジョーンズ牧師は教会に村の人々を集めて訴え始めた。
 
 「我々の山、フュノン・ガルウをウェールズで最初の山として認めたうえ、英国の地図に載せてもらうように・・・」
 
 話の途中で、牧師から嫌われているモーガンが口を挟んだ。彼はイングランドに懇願するような牧師の案を批判して、新しい提案をしたのである。
 
 「フュノン・ガルウを305メートルにしてやろう。あと、たった6メートルだ。6メートルで立派な山だ」
 
 この提案に対して、法や倫理に抵触するという牧師の反対意見が直ちに出されるが、集会に集まった村人たちの意見はモーガン案に賛同することになり、牧師もまた合意することになった。どうやら、それが牧師の本音らしかった。その牧師の次の一言に“戦争ショックのジョニー”が反応したことで、全てが決まったのである。
 
 
(人生論的映画評論/ウェールズの山('95)  クリストファー・マンガー <「使命感」と「戦争」、そして「同化」についての物語>)より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2008/12/95.html