「絶対孤独」の闇に呑まれた叫び  文学的な、あまりにも文学的な

 「君の現実が悪夢以上のものなら、誰かが君を救える振りをする方が残酷だ」


 この言葉は、「ジョニーは戦場へ行った」(ドルトン・トランボ監督)の中で、一切の自由を奪われた主人公が、その残酷極まる悪夢で語られた、イエス・キリストの決定的な一言。

 映像のジョニーがそうだったように、尊厳死以外の選択肢が存在しないとき、その意志を持つ者に関わる全ての者は、そこでの関係的存在の根拠が一気に崩れ去る。

 人間は残酷なのだ。

 時には、その残酷を受け入れねばならない存在性を晒してしまう。

 それもまた人間なのだ。

 人間は、他者の死をそのような形でしか受容できない存在体でもあるということだ。

  「心の中で僕は喚き、叫び声を上げ、罠にかかった獣のように吠える。だが誰も関心を持たない。腕があれば自殺できる。脚があれば逃げられる。声があれば話をして慰められる。助けを叫んでも、誰も助けてくれない。神さえも・・・ここに神はいない。こんな所にいるはずがない。そして・・・それでも、僕は何かしなければならない。なぜなら、このままの状態ではいられないからだ」

 「絶対孤独」の闇に封印されたジョニーの叫びが、映像を括る最後の言葉となった。(画像)

 
(心の風景  /「絶対孤独」の闇に呑まれた叫び  文学的な、あまりにも文学的な  )より抜粋http://www.freezilx2g.com/2012/05/blog-post_1853.html(7月5日よりアドレスが変わりました)