「手に入れたものの小ささ」と「失ったものの大きさ」との損益分岐点の攻防戦

 1  「競馬の醍醐味」への「スノッブ効果」的侵入


 「ギャンブル依存症」と言ったら大袈裟になるが、私はかつて競馬三昧の生活を送っていたことがあった。

 遥か成人に届く前の青臭い頃だ。

 アルバイトで知り合った年長の先輩たちから、「競馬の醍醐味」を教えられたのが背景にあるが、元々、賭けトランプやパチンコ、スマートボールなど、ギャンブルに目がない性格も無視できなかったと思われる。

 そんな私が、初めの頃こそ、面白半分に買い続ける日々を送っていたものの、一向に的中馬券を手に入れられず、少々、興醒めした気分が支配しつつあったときのこと。

 既に、ビギナーズラックと呼ぶには縁遠い、たまたま買った非オープン馬による小さなレースで、万を超える馬券を当てたことが、再び、その後の私の競馬三昧の日々を固めてしまったという訳である。

 かくて、競馬の予想に明け暮れる日々が続くことになったが、しかし、又しても暗礁に乗り上げる。

 全く当たらないのだ。

 それもそのはず、私の馬券の買い方は、「この馬と決めたら、それ以外に買わない」という賭博要素を多分に含んだ買い方だったので、当然の如く、的中率は低くなる。

 「蛭子買い」(手広く買うことだが、私の場合、舟券にあらず)を嫌う私は、常に一点集中型の買い方しかできないのである。

 このようなギャンブル性の高い買い方が好きなのだ。

 オッズ(予想配当)が2倍に満たない堅実な買い方を好まないのは、多分に、持ち金不足に関係していると思うが、それ以上に、「人が買わない馬券で当てる」というような「スノッブ効果」の心理に振れやすい私の性格傾向が、常に後押ししているのだろう。

 だから、相変わらず負け続ける。

 それもまた、いつものように、「もう止めようか」と思いつつ、気分が萎えてきたとき、その気分を掻き消すような事態が起こったのである。

 
(心の風景  /「手に入れたものの小ささ」と「失ったものの大きさ」との損益分岐点の攻防戦  )より抜粋http://www.freezilx2g.com/2012/05/blog-post_14.html(7月5日よりアドレスが変わりました)