草生す廃道に蹲る意志  文学的な、あまりにも文学的な

 絶対的弱者は絶対的に孤独である。


 自らが他者に全面依存しているという確信的辛さが、ますます弱者を孤独に追いやり、弱者の自覚を絶対化する。

 弱者は、もうこの蜘蛛の糸から脱出不能になる。

 弱者はかなりの確率で抑鬱化するだろう。

 壊れゆく明日のリアリティに引き摺られながら、千切れかかっても、なおそこに留まっている自我の生命力に、ひたすらぶら下がるのみである。

 何ものにも埋められない荒涼とした風景が何処までも伸びていき、震えを止められない自我が定点を失って、その体力の臨界点を越えたとき、それが支えた身体の中枢から、加速的な自壊現象が開かれてしまうだろう。

 絶対的弱者は壊れゆく明日の暴力の只中に、千切れかかった自我を必死にぶら下げて、あと一日だけ時間を延す知恵を作り出すことができるかどうか。

 そこに賭ける外にない。

 絶対的弱者にとって、人生とは賭博のようなものである。

 それは崩れゆく者の最後の供給源だった。

 草生(くさむ)す廃道に蹲(うずくま)る意志が、褐色の空に縋りつく。

 天の糸にぶら下がるのだ。

 自我の異臭が何もかも退けていた。

 先が見えなかった。

 軌跡も消えていた。

 そんなことはもうどうでも良かった。

 天の糸にぶら下がる以外になかったのである。

 最後に供給してくるものを信じたかったのだ。

 冥闇(めいあん)と弧絶の闇を抜けようなどとは思わなかった。

 一切は、この日を抜けるだけだった。

 一切は、この日に有りっ丈の養分を満たすことだった。

 この日だけが全てだったのである。

 この覚悟こそ、脆弱なる者の最後の到達点だった。


(心の風景  /草生す廃道に蹲る意志  文学的な、あまりにも文学的な  )より抜粋http://www.freezilx2g.com/2012/05/blog-post_17.html(7月5日よりアドレスが変わりました)