志野の小宇宙

 志野茶碗は、何故、かくも日本人の心を打つのか。
 
 温かい白い釉(うわぐすり)に柔らかい土。その釉を汚すことを拒むように、遠慮げに加えられた簡素な絵柄。ナイーブで、自在なラインとその形。特別に奇を衒(てら)って、個性をセールスする愚を拒み、静かに完結していくことで、本来そこにあったもののように表現し、それ以外のものに束ねられないギリギリのところを生きていく。そんな生命様態を彷彿させるイメージが、志野茶碗にはある。志野の魅力は、抉(えぐ)られるほどの加工を受けないそのシンプルさにあるのだ。
 
 そのシンプルさを生きた作陶家が、美濃出身の荒川豊蔵(注1/写真は荒川豊蔵作の志野茶碗)である。

 昭和七年に牟田洞窯跡(むたぼらがまあと)を発見し、利休と織部(注2)の死によって消滅した古志野を現代に甦らせた功績は、近代陶芸史の画期となったが、それ以降の荒川の軌跡は、志野蘇生の歴史と重なっていく。

 加藤唐九郎(注3)が織部に志野の本質を見たのに対し、荒川は利休の表現世界に志野の真髄を見て、技巧に走らない、限りなく自然に近い志野の再現を試みた。

 志野独特の粘り気少ないモグサ土(注4)を採取し、それを殆ど加工せず、庭で乾燥させて丹念に叩き、そのまま手回し轆轤(ろくろ)を使って作陶に入る。志野の命である白色の長石釉(注5)を使うときでも、機械で砕いて均質化したものを避け、水車を使って石臼でついた長石を選択する。桃山の美学を忠実に再現しようとする志の高さがそこに溢れていて、利休に魅かれる者たちの心を揺さぶって止まないのである。

 モグサと長石の含有される鉄分が、1250度(釉の溶解温度)の、三日三晩にわたる厳しい焼成の中で結合し、あの何とも言えない火色(ひいろ・熱した物体が光っている色合いのこと)の温かさを仄(ほの)かに滲ませて、志野陶器は、様々な装飾による技巧に一切頼らない小宇宙を具現するに至るのだ。
 
 小さく自己完結していく志野陶器の小品、

 例えば、無地志野(注6)のぐい呑み(注7)の中にこそ、私はこの国の人々がかつて好んで止まなかった小宇宙の様態を見る。その僅か6センチほどの小宇宙に、余分なものを排する文人たちの思いが深々と込められていて、この国の「縮みの文化」(注8)の真骨頂を改めて確認してしまうのである。

 作為を捨てた荒川豊蔵は、恐らく、志野の中にこの国の文化の真髄を見て、そこに殉ずる覚悟を決めた。かくて、志野は新しい生命を得て、そこに多様な表現が加わることで、今なお静かな光彩を放っているのだ。
 
 そんな中で私を惹きつけるのは、やはり無地の小品群である。

 絵入れはいらない。意匠もいらない。何もいらない。

 その無地な小宇宙な中に、無地であることによって際立つ滋味な肌触りがあればそれで良い。それこそ雅であり、寂びであり、侘びである。他の何ものにも代え難き情趣があって、自己完結に向かう世界の固有の存在感がある。

 埋もれてもなお、透明な輝きを放つ力感に満ちていて、6センチの世界が、そのサイズに必要な熱気を表すに足る生命を漲(みなぎ)らせている。そこにしか存在し得ないような律動を四方に伝えて、今もそこにある。

 それ自身の日常性の中に、確かにある。

 自分の宇宙を持つものの、不足もなく、過剰もなく、そこにどのような補填の必要がないほどに小さく完結している秩序の凄みは、限りなく日本的であった。限りなく時代のものであった。


(注1)岐阜県多治見市出身の、20世紀の日本を代表する陶芸家。1930年に、可児市大萱牟田洞の古窯跡にて、桃山時代の志野茶碗の陶片を発掘し、桃山時代の志野が美濃で焼かれていたことを実証した。1971年に文化勲章を受章し、現在、豊蔵資料館が開館されている。「人間国宝」でもある。(「独歩堂HP」参照)

(注2)古田織部のこと。織部は信長、秀吉に仕えた武将でありながら、利休の弟子として茶人としても有名。また、桃山文化を代表する個性溢れる「織部焼」(形・文様の斬新さによって、多くの人を魅了)の創始者としても、その名を馳せている。

(注3)愛知県瀬戸市出身の陶芸家で、主に桃山陶芸の研究・再現に努め、「人間国宝」にも認定されたが、「永仁の壺事件」(古陶器を贋作したという、謎めいた事件)で、認定を解除された。

(注4)少し目の荒い土で、焼き上がりは白くなる。

(注5)長石は,ほぼ白色の複合的な造岩好物で、ガラス光沢がある。その組成は、カルシウム、ナトリウム、カリウムなどのケイ酸塩鉱物が中心であるとされる。最も存在量が多く、全ての岩石に含有されている。長石釉とは、この長石を主成分にした釉薬のことで、その特色は、柔らかな乳白色を出すところにある。志野焼きの釉薬が代表的。

(注6)白釉で、絵のない志野陶器。

(注7)お猪口(ちょこ)の大きめの器のこと。

(注8)「『縮み』志向の日本人」(李御寧・イーオリョン著 講談社刊)の中で、「盆栽」、「いけ花」、「トランジスタ」、「茶の湯」、「折詰め弁当」等の例を挙げて、「スモール・イズ・ビューティフル」を本質とする日本文化の特色が鋭利に分析されている。 
 
 
(心の風景 「志野の小宇宙」 より)http://www.freezilx2g.com/2008/11/blog-post_1088.html(2012年7月5日よりアドレスが変わりました)