「過剰なる情緒性」という近代家族の求心力

イメージ 11  「子供」と「青春時代」の誕生



フィリップ・アリエスの「子供の誕生」などの著作に詳しいが、18世紀のブルジョア家庭から子供を愛育する風習が生れ、余剰農産物を獲得した余裕から、親にとって子供は情緒的満足の対象となっていく。

因みに、「エミール」の著作で名高いルソーは、自分の5人の子供を全て施設に捨てたという事実があり、「告白」に詳しい。

これが、フランス革命前のヨーロッパ社会の一般的風景だった

歴史上はじめて、「子供」が普遍的に「発見」されたのである。

「子供」の発見は、同時に、「青年」や「女性」の発見でもあり、「少年期」や「青春時代」の誕生でもあった。

木村尚三郎(「家族の時代」)によると、「女性」が発見されたのも、この近代社会の過程を通過してからである。

それまで女性は、少々、力の弱い大人であり、中世では、夫の代わりに相手貴族と法廷決闘する権利を持っていたのである。

一切は、近代社会の濾過を通して変容していく。

近代になって、女性と子供は男により保護されねばならない存在とされ、むしろ、社会から除外されていった。(ナポレオン法典では、女は無能力とされ、夫の家長権が確立する。女性の無能力制度の確立である)

「青年」や「女性」の発見は、同時に「恋愛」の誕生を告げたとも言える。

青春期に愛を育み、遂に結婚に至るという西欧型の「恋愛物語」というものが近代の産物ということなのだ。
 
 
 
(心の風景 /「過剰なる情緒性」という近代家族の求心力 )より抜粋http://www.freezilx2g.com/2012/08/blog-post.html