2012-08-12から1日間の記事一覧

「強制的道徳力」から解放された「家族内扶助」の「物語」 ―- 情緒的紐帯を失った「家族」の現在

貧しくても子供を多く産むことの利益は、「養育費」というコストを上回る何か、即ち、単に「愛情」の対象を持つことの喜びのみではなく、その対象が貴重な「労働力」となり、加えて、自らの「老後の世話」を頼むに足る存在性として、その家族関係の内に、世…

未だ覚悟の足りないヒューマニストもどきの、驚くべき腰の引け方

この国の子供たちのアンケートを採っても、「何も欲しくない」という解答が第一になるという社会を、私たちは作り上げてしまった。 この社会を、私たちは二度と手放さないだろう。 私たちの自我に刷り込まれた快感は、加速していく方向にしか動かない。 加速…

「自我拡大衝動」という観念装置の危うさ

鳥は生を名づけない ただ動いているだけだ 鳥は死を名づけない ただ動かなくなるだけだ これは、谷川俊太郎の有名な詩の一節だ。 鳥や他の動物がただ動いているだけでないことは、「キツネさんキツネさん理論」(餌を求めて雛が親を恫喝)や、ザハヴィの「ハ…

「過剰なる情緒性」という近代家族の求心力

1 「子供」と「青春時代」の誕生 フィリップ・アリエスの「子供の誕生」などの著作に詳しいが、18世紀のブルジョア家庭から子供を愛育する風習が生れ、余剰農産物を獲得した余裕から、親にとって子供は情緒的満足の対象となっていく。 因みに、「エミール…