1 「非日常の日常」である現存在性
私は脊髄損傷患者である。
「ブラウン‐セカール症候群」(脊髄の片側半分が損傷されて、出来する症病)という名で説明される疾病と付き合って6年。
私の場合、不全麻痺による「中枢性疼痛」に日常的に苦しめられていて、具体的には激しい腕や腰、首の痛みと、24時間、間断なく続く痺れの状態に、正直、「安楽死」を願わない日はないと言っていい。
しかしこの国で、私が望む死が自らの存命中に実現できる見通しは殆どないだろう。
なぜなら、私が終末期患者ではないからだ。
私が安楽死を切望するのは、激しい肉体的苦痛の継続と、それによる精神的苦痛の日常性からの解放を願うからである。
然るに、それだけの理由で安楽死を許容し、それを介助してくれるシステムが形成されるとは到底思えない。
それにも拘らず、私の肉体の異変がいつ起こるとも知れないので、そのための準備だけは怠りたくなかった。
それ故、私は「日本尊厳死協会」に入会し、「リビング・ウィル」を鮮明にした次第である。
尊厳死協会のパンフレットから、その「リビング・ウィル」の要旨を参考のために記しておく。
1)私の傷病が、今の医学では治せない状態になり、死期が迫ってきたとき、いたずらに死期をひき延ばす措置は、いっさいおことわりします。
2)ただし、私の苦痛を和らげるための医療は、最大限におねがいします。
3)数ヶ月以上、私の意識が回復せず植物状態に陥って、回復の望みがないとき、いっさいの生命維持措置をやめてください。
以上、私の宣言に従って下さったとき、全ての責任はこの私自身にあります。
(日本尊厳死協会リビング・ウィルより)
しかしリビング・ウィルは、私にとって何ら「保険」ではない。
安楽死という「保険」こそ、私の精神的人生の手強い味方になってくれるものだと確信している。この「保険」があれば、私の中の日常的な「耐え難き苦痛」と、もう少し粘り強く付き合っていこうという気持ちが起こるような気がするからだ。
その「耐え難き苦痛」をどれほど人に説明しても絶対に分らないだろうから、安直なヒューマニズムで「安楽死否定論」を語ってくれる数多の厄介なる原理主義者たちに、これ以上語るべき言葉を私は持たない。
こんな私でも、恐らく、この類の疾病に苦しむ患者の倍位のリハビリを日常的に続けている。
私は脊髄損傷患者である。
「ブラウン‐セカール症候群」(脊髄の片側半分が損傷されて、出来する症病)という名で説明される疾病と付き合って6年。
私の場合、不全麻痺による「中枢性疼痛」に日常的に苦しめられていて、具体的には激しい腕や腰、首の痛みと、24時間、間断なく続く痺れの状態に、正直、「安楽死」を願わない日はないと言っていい。
しかしこの国で、私が望む死が自らの存命中に実現できる見通しは殆どないだろう。
なぜなら、私が終末期患者ではないからだ。
私が安楽死を切望するのは、激しい肉体的苦痛の継続と、それによる精神的苦痛の日常性からの解放を願うからである。
然るに、それだけの理由で安楽死を許容し、それを介助してくれるシステムが形成されるとは到底思えない。
それにも拘らず、私の肉体の異変がいつ起こるとも知れないので、そのための準備だけは怠りたくなかった。
それ故、私は「日本尊厳死協会」に入会し、「リビング・ウィル」を鮮明にした次第である。
尊厳死協会のパンフレットから、その「リビング・ウィル」の要旨を参考のために記しておく。
1)私の傷病が、今の医学では治せない状態になり、死期が迫ってきたとき、いたずらに死期をひき延ばす措置は、いっさいおことわりします。
2)ただし、私の苦痛を和らげるための医療は、最大限におねがいします。
3)数ヶ月以上、私の意識が回復せず植物状態に陥って、回復の望みがないとき、いっさいの生命維持措置をやめてください。
以上、私の宣言に従って下さったとき、全ての責任はこの私自身にあります。
(日本尊厳死協会リビング・ウィルより)
しかしリビング・ウィルは、私にとって何ら「保険」ではない。
安楽死という「保険」こそ、私の精神的人生の手強い味方になってくれるものだと確信している。この「保険」があれば、私の中の日常的な「耐え難き苦痛」と、もう少し粘り強く付き合っていこうという気持ちが起こるような気がするからだ。
その「耐え難き苦痛」をどれほど人に説明しても絶対に分らないだろうから、安直なヒューマニズムで「安楽死否定論」を語ってくれる数多の厄介なる原理主義者たちに、これ以上語るべき言葉を私は持たない。
こんな私でも、恐らく、この類の疾病に苦しむ患者の倍位のリハビリを日常的に続けている。
老化による、これ以上の筋劣化を防ぎたいからだ。
そして疼痛の隙間を縫って、自分なりの自己実現を果たしていくことに、しばしば信じ難きエネルギーを蕩尽する。こんな文章を書き続けていくことは、その一つである。
私の中では、「いつ、死んでもいい」という気持ちと、寧ろ、それ故に、「残り少ない時間を有効に使いたい」という気持ちが適度な均衡を保っていて、それが緊張感溢れる「非日常の日常」である現存在性を支えていると言っていい。
2 不必要な贅肉を貼り付けた、鑑賞者好みのエピソード・ストーリー
そんな私の「非日常の日常」の只中に、一本の無視し難い映像が海の向うから飛び込んできた。それは、あまりに私の内側をネガティブにヒットする映像になっていて、それ故にかなり不満な内容を含んだ一篇だったが、それでも私はそれを、「自分の映画」という感覚で鑑賞したことは間違いないのである。
そして疼痛の隙間を縫って、自分なりの自己実現を果たしていくことに、しばしば信じ難きエネルギーを蕩尽する。こんな文章を書き続けていくことは、その一つである。
私の中では、「いつ、死んでもいい」という気持ちと、寧ろ、それ故に、「残り少ない時間を有効に使いたい」という気持ちが適度な均衡を保っていて、それが緊張感溢れる「非日常の日常」である現存在性を支えていると言っていい。
2 不必要な贅肉を貼り付けた、鑑賞者好みのエピソード・ストーリー
そんな私の「非日常の日常」の只中に、一本の無視し難い映像が海の向うから飛び込んできた。それは、あまりに私の内側をネガティブにヒットする映像になっていて、それ故にかなり不満な内容を含んだ一篇だったが、それでも私はそれを、「自分の映画」という感覚で鑑賞したことは間違いないのである。
その映画のタイトルは、「海を飛ぶ夢」。
そして、その映画のモデルになった四肢麻痺患者が自ら著わした本のタイトルの原題は、「地獄からの手紙」。
しかし、当著の邦訳名は、映像のタイトルと同じものだった。
既にそこに、私の違和感がある。
彼の本を読む限り、まさに「地獄からの手紙」以外の何ものでもない精神世界が、そこに表現されていたからだ。
あまりに叙情的なイメージは、彼の心の叫びから却って距離を置いてしまうのである。
そして、その映画のモデルになった四肢麻痺患者が自ら著わした本のタイトルの原題は、「地獄からの手紙」。
しかし、当著の邦訳名は、映像のタイトルと同じものだった。
既にそこに、私の違和感がある。
彼の本を読む限り、まさに「地獄からの手紙」以外の何ものでもない精神世界が、そこに表現されていたからだ。
あまりに叙情的なイメージは、彼の心の叫びから却って距離を置いてしまうのである。
ラモン・サンペドロ。
これが映像の主人公であり、同時にスペインに実在した人物の名である。
これが映像の主人公であり、同時にスペインに実在した人物の名である。
彼は20代半ばに、自宅近くの岩場から引き潮の海に飛び込み、浅瀬の海底に強打し、脊髄損傷による四肢麻痺患者となった。
この絶対的自由を奪われた生活が30年に及んだとき、彼は匿名のサポーターたちの幇助によって、遂に致死量の薬剤を服用し、念願の「安楽死」を実現したのである。
彼の死が本当に「安楽死」であったかどうか疑わしいが、少なくとも、彼の死が「尊厳死」を目指し、その目指したものに一応の自己完結を果たしたものであることは間違いないだろう。
映像は、そんな彼の究極なる思いを、彼を取り巻く人々との触れ合いを通して、叙情的な旋律で描いた一篇だった。
この絶対的自由を奪われた生活が30年に及んだとき、彼は匿名のサポーターたちの幇助によって、遂に致死量の薬剤を服用し、念願の「安楽死」を実現したのである。
彼の死が本当に「安楽死」であったかどうか疑わしいが、少なくとも、彼の死が「尊厳死」を目指し、その目指したものに一応の自己完結を果たしたものであることは間違いないだろう。
映像は、そんな彼の究極なる思いを、彼を取り巻く人々との触れ合いを通して、叙情的な旋律で描いた一篇だった。
(人生論的映画評論/ 海を飛ぶ夢('04) アレハンドロ・アメナーバル <「生と死への旅」という欺瞞性>)より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2008/12/04_23.html