グエムル - 漢江の怪物('06) ポン・ジュノ <アンチの精神の激しい鼓動が生み出したもの>

イメージ 1 1  韓国人が持っている根源的な矛盾  



 「ストーリーには、統合失調症がより激しくなった韓国の状況が具体的に打ち出されています。どう受け止めるかは、観客にゆだねています」(「KOFIC 、Cine21出版:韓国映画監督シリーズ ポン・ジュノ監督インタビュー」)

 この言葉が映画の最も重要な部分を説明している、と私は思う。

 多くの韓国人が罹患している、と作り手が断じる「統合失調症」―― それはこの国の戦後史が抱えた痼疾(こしつ)であり、しばしば潜在化しながらも、「火病」(怒りを抑えたストレスによって生じる精神疾患)とも言われるこの国の「文化依存症候群」によって(?)、内側のストレスが沸点に達したときに誰の眼にも見えやすい形で噴き上がっていくのだろうか。

 具体的に言えば、アメリカによって作ってもらった国であるという否定し難い事実が、恐らく、遍く韓国国民の意識の、ほんの少しばかり見えにくい辺りに潜在化しただけでなく、戦後、実質的に「独立国家」としての体裁の下に、「反共の砦」としての軍事独裁政権が長く続いた負の歴史が二重の心理的リスクとなって、それが1987年の民主化宣言によって形式的には軍事独裁政権が崩壊したと言っても、相も変わらぬ「在韓米軍」の支配下に置かれているという感情が、例えば、「議政府米軍装甲車女子中学生轢死事件」(注1)や「米国産牛肉輸入問題」(注2)などの際に、出口を求める潜在感情が一気に噴出してしまうのであろう。

 この国の国民は、大韓民国という国民国家の名を持つ、典型的な分断国家であるが故にか、未だ「完全なる独立国家」の実感を持ち得ていないのかも知れない。アメリカによって支えられた「安全」と「安心」の保証は、時として、そのアメリカの「宗主国」紛いの振舞いに抵抗感を覚え、それでも結局、その国に縋って生きていかねばならない思いは、充分に屈辱的であったに違いない。

 関係を密にし過ぎれば、相互に棘が刺し合って傷も深まるが、関係を反故にされ、放擲(ほうてき)されししまうのも不安であるという意味で、それは「同盟のジレンマ」と言える何かであるだろう。

 それに関して、同様に「同盟のジレンマ」を抱えているように見える我が国との比較において、一つの興味深いレポートがある。

 「日本は米国との戦争に負け、米国に国を改造された。その意味では韓国同様に『米国に国を作ってもらった』。一方、韓国は日本の植民地支配から救われ、援助を貰い、北朝鮮の侵略から救われるなど、常に米国に助けられつつ『国を作ってもらってきた』。

 理屈で言えば日本こそがより反米になり、韓国こそがより親米になるべきだが(実際、90年代末まではそうだったのだが)、人の心というものは単純ではない。米国に助けられ続けたからこそ韓国の反米は根深い、という言い方もある。

 韓国のある知識人は米国への心情をこう説明する。『常に助けられてきたため常に絶対的な下位に置かれ、その結果、常に見下されているとの思いを抱かざるを得ない』。その論法から言えば『米国に負けはしたが同じ土俵で戦った日本人は米国との対等意識を持てるし、劣等感を抱く必要がない』のだ、という。

 その心情は日本人よりも強いかもしれない。米国との戦争に負けた結果、米国の核の傘で生きるようになったが、日本は戦前に安保を含め一歩立ちした経験を持つ。それゆえに現状にある程度納得できるのだろうが、『一本立ち』を体験したことのない韓国人は『一度は』と思うのかもしれない。

 (略)こうした韓国人の心情こそが『なぜ、韓国の外交はあんなに情緒的で、しかも、その度を増しているのか』との質問への、ある程度の答えになるかもしれない」(「NⅠKKEI NET プロの視点 鈴置高史編集委員『韓国の反米気分』」より 2007年5月9日付)

 更に、こんなレポートもある。

 「反米感情と反米主義を区分したりもする。 反米感情は米国の特定局面に反対することであり、反米主義は米国を総体的に拒否することだ。 反米感情が一時的な情緒状態なら、反米主義は恒久的イデオロギーだ。 政治学者キム・ジンウンは『韓国の反米主義は大部分が反米感情の形態を帯びている。多くの韓国人は米国自体を否定するより、特定政策(市場開放圧力)・特定行動(在韓米軍犯罪)に反対の意思と憤怒を表す』と話す。(『反米』、サルリム出版社)」(「中央日報 コラム」より 2006年8月11日付)

 要するに、韓国国民の大部分が反米感情の形態を帯びていながらも、「恒久的イデオロギー」としての「反米主義」に流れ込まないか、或いは、しばしば「文世光事件」(注3)のように、「赤化統一」の旗の下に全国民が心の中で「統合」を望んでいたとしても、「北朝鮮化」への選択を「決断」しにくいということなのだろう。これは、北朝鮮の二回目の核実験によって、よりリアルな感情に傾斜していったように思える。

 そして2009年6月現在、遂にこの国の大統領は、オバマ政権下のアメリカとの関係強化を目的に、その「核の傘」の下に入るという決定的な選択を明文化したのである。
なぜ、今までそれを選択しなかったのか。

 韓国が北朝鮮を刺激したくなかったからである。アメリカ主体の当時の国連軍が、その背後には海しか見えない釜山橋頭堡まで追い込まれるという、絶体絶命の危機を経験した朝鮮戦争のトラウマが、今なおこの国には根強く残っているのである。あのとき、38度線を一気に越えてきた北朝鮮軍によって、ソウルが壊滅的被害を受けた忌まわしい記憶を、韓国民は決して忘れていないということだ。

 朝鮮戦争による被害の現実は、あまりに凄惨だった。

 北朝鮮の死者は250万人、韓国は133万人で大多数が一般市民だった。因みに、中国軍の死者100万人、米軍は6万3千人。(ウィキペディア参照)

 僅か3年間でこれだけの犠牲者を出した、同民族による戦争の凄惨は想像を絶するであろう。その間、敗走する韓国軍が共産主義者たちを虐殺した「保導連盟事件」があり、そして何より、米軍による民間人虐殺として韓国国民の反米感情を決定づけた、「老斤里(ノグンリ)事件」が出来したのである。
更に時代が進んで、韓国民の民主化の運動を弾圧した光州事件(注4)へと至る。

 このとき、闘争主体だった学生たちは386世代と呼ばれ、後の盧泰愚(ノ・テウ)の民主化宣言や、盧武鉉ノ・ムヒョン)政権成立の原動力になった「ノサモ」(ネット組織)に繋がっていく。

 「光州事件朝鮮戦争アメリカの問題をどう見てるか。それは韓国人が持っている根源的な矛盾なんですね・。この根源的な矛盾に答え続けることが韓国の監督の使命なんですね」(「ETB特集・『韓流シネマ抵抗の系譜』」における、映画プロデューサー、イ・ボンウの発言)
 
そしてポン・ジュノ監督。

 彼もまた同番組の中で、前作「殺人の追憶」について、「アメリカから送られてきた紙切れ一枚のために、挫折するしかなかった悲哀」と語っていた。「殺人の追憶」では、時の軍事政権への批判が存分に込められていたものの、彼の「反米感情」は抑制的だったと言える。

 その感情が炸裂したのが、本作の「グエムル―漢江の怪物」であると言っていい。まさに「韓国人が持っている根源的な矛盾」を、娯楽作品としての商業ベースに乗って、挑発的に世に放ったのが本作であった。

 以上、縷々(るる)、この国の激越なる戦後史の一端に言及したのは、その辺の理解なしに本作の「あまりの過剰さ」を読解するのは難しいと考えたからであり、それ以上でもそれ以下でもない。

 「グエムル―漢江の怪物」とはアメリカそれ自身であるか、それとも、そんなアメリカに政治的に操作され、しばしば自家中毒の如き爛(ただ)れ方を露わにする「大韓民国」という名の国民国家であるかも知れない。そんなイメージで把握するかのような作り手は、まさにそのアメリカとの関係において、「統合失調症がより激しくなった韓国の状況」を抉(えぐ)り出したかったのではないか。

 ところが、この作り手は、「ロード・オブ・ザ・リング」のVFX(現実にはない視覚効果的な技術)を作った「WETAデジタル」等にグエムルの制作を依頼し、後に盗作騒ぎとなった怪物を作り上げるのだ。更に、この監督が強(したた)かなのは、映像の展開が完全にハリウッド的な「驚かしの手法」を存分に含んだカット繋ぎをしながらも、最後は予定調和のハリウッド文法を自壊させてしまうという、その腹の括り方である。
 
 「グエムル―漢江の怪物」は、この種の映画に張り付く、観る者の軟着点のイメージラインをあっさりと破砕して、どこまでも過剰であり、挑発的であった。
 
 
 
(人生論的映画評論/グエムル - 漢江の怪物('06) ポン・ジュノ <アンチの精神の激しい鼓動が生み出したもの>)より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2009/07/06.html