細雪(‘83) 市川崑<壊れゆく、ほんの少し手前の風景が一番美しい>

イメージ 11  「世間智」と「世間無智」のコンフリクトの不毛性



昭和一桁の5年前、大阪市天王寺の上本町(船場から移転)で、古い暖簾を誇る蒔岡家に起こった忌まわしき事件。

それは、末娘で四女の妙子が、船場の貴金属商・奥畑の息子(啓ぼん)と引き起こした駆落ち事件だったが、問題は、単に未成年の少女が惹起した事件を、スキャンダル絡みで新聞記事になったばかりか、あろうことか、未だ19歳の三女・雪子と間違えて報道されてしまったことで、蒔岡本家を容易に収拾がつかない混乱にインボルブされるに至ったこと。

そのとき、奔走したのが、蒔岡本家の長女・鶴子の婿養子である銀行マンの辰雄。

徐々に暗雲立ち込めていく時代の趨勢で、傾いた本家の養子となった辰雄の孤軍奮闘空しく、新聞の訂正記事には、皮肉にも、駆落ち事件の当事者である妙子の名前まで掲載されるという、屋上屋を架すような事態となり、辰雄の奔走が裏目に出る始末だった。
 
爾来、三女・雪子と四女・妙子は、蒔岡本家に居づらくなり、兵庫県芦屋市に居を構える、分家である次女・幸子の家に厄介になるに至ったという顛末。

 以下、そのときの、蒔岡本家での混乱ぶりを示す重要なシーンを、些か長いが再現する。

 「この新聞記事は、取り消しじゃあらへん!今度はご丁寧に、こいさんの名前まで出てしもたやないの!よう、見て!」

 そう叫んで、辰雄を責める雪子は、手に持っていた新聞記事を辰雄の前に投げ捨てた。(因みに、「こいさん」とは船場商人の末娘のこと。また、単にお嬢さんなら「いとはん」と呼ばれる)

 血相を変えて、その場を去っていく雪子の激しい剣幕に驚く二人の姉。

 「まあ、落ち着きなさい」と宥める次女・幸子。
 「辰雄さんも怒ってはんのや。これからもう一遍、新聞社に抗議しに行くゆうて」

そう宥めたのは長女・鶴子。

「ああ、行って来ますよ」

辰雄はそう言って、売り言葉に買い言葉の状況体温の高い流れで、外出の準備をした。

「兄さん、確かに取り消しを頼まはったんですなぁ」
「あったり前や!

ここで雪子は、厳しい表情を辰雄に向けて、強い口調で責め立てた。

 「あたしのことやのに、何であたしに相談してから、取り消しに行ってくれはらへんかったん!」
 「あんたとこいさんの立場は、あっち立てれば、こっちが立たんていう、利害が相反する問題やから、二人の仲がこじれてはいかんやろと、自分一人の責任でやったんや!」
 
 興奮気味の自分の夫の熱を冷まそうとするかのように、鶴子が緩い口調で言葉を挿入する。

「大体、新聞社が記事にすることなんかあらしませんのや。若い二人が、ちょっと思い込み過ぎて家を出たんを、駆落ちや駆落ちやと大騒ぎして」

 一方、幸子の婿養子である貞之助は、すっかり落ち込んでいる妙子に諭すように話していた。

 「こいさんらしゅうもない。そない、いつまでも考え込んでばかりいんと、ゆっこちゃんもあんたも、このウチの人やないか。はよう、辰雄兄さんと仲直りせんといかんがな」

 貞之助の柔和な話を神妙に聞いている様子の妙子。

 「ほんまに大騒ぎして、おまけにやったんは妙子ちゃんなのに、間違えてゆっこちゃんの名前を出してしもうて、取り消し申し込んだら、名前を妙子と訂正して、また載せてしまうやさかいなぁ。ほんまやったら、こっちから行かんかて、新聞社がこっちに謝罪しに来て、取り消すべきなんや」

 外出の準備をする辰雄の前で、愚痴る鶴子。

 「どうせ新聞の取り消しいうたかて、人目につかん隅の方にちいそう載るだけで、何の効果もないことくらい分ってたけど、間違いだけは糺しておかないかんと思うてな。しかし逆になってしもうた」
 「黙殺しはったら良かったんや」と雪子。
「罪のないもんに、つまりあんたに、とばっちり受けさせて、放っておくわけにもいかんやろ」
 「私は名前を間違えられたんを、不運と諦めてます」
 「あんたが良かったから言うて」と幸子。
 「それに、あのくらいの記事で、私は傷つくと思うてまへん!それより、何でこいさんのことを考えてくれはられなんだ」
 「こいさんのしたことは、やっぱり悪いのに違いないやおまへんか」

 ここで妙子は、それまで封印していた感情を炸裂させる。
 
  「うちがどうしたんやて!」
  「何にも言うてはらへんがな。そら、辰雄さんが記事の取り消しをしに行ったんは、ゆっこちゃんの機嫌を取りたかったのかも知れん。何と言うても、ゆっこちゃんもあんたも、あの人には小姑さかいな。しかしやで」

 ここでも、穏健な貞之助がフォローした。

 「ウチを犠牲にしてな!」
 「そんなつもりは、ないと思うわ」
 「皆、辰雄兄さんの金惜しみからできたことや」

 この一言に、辰雄は強く反応する。

 「それ、どういうことや!」
 「相手は小さな新聞やないの。何とか手を回したら記事にならんで済んだんや」

 貞之助のフォローに感情が入り込む。

 「こいさん、世間はそんな甘いもんやないで!」
 
ここで、妙子を気にかける幸子と、本家の長女である鶴子が対立し、本家と分家、更に、養子である辰雄と蒔岡家の姉妹との複雑に絡み合った人間関係の矛盾が一気に露呈していく。

いよいよ、感情を剥き出しにする妙子は、直接、本家の婿養子に向かって本音を噴き上げていくのだ。

 「辰雄兄さんはいつも、自分に都合のいい安全な道しか選ばらへん!昔からそうや」
 「どういことや!はーん、こいさんは僕が船場の店を手放して、この上本町に来るようにしたことに、まだ拘っているのんか」
 「それもある」
 「それもある?何という言い草や!ああするより他に方法がありましたか!ええ、僕は反対を押し切りました!」

 ここで、貞之助が辰雄の宥めに入るが、それを無視して、自分の感情を炸裂させる辰雄。
 
 「いや、この際、言わせてもらうわ。僕が蒔岡の稼業を受け継いだ時には、破産の一歩手前だったことは、あんたらも知ってるやろ。何で、そんな沢山の借金ができたんかは、時代ということもあるやろけれども、お義父さんのやり方が派手やったこともあったと思う。お義父さんの亡くなりはる少し前に、縮小始めたけど手遅れやった。僕のことを、やれ、踏ん張りが足りんとか、臆病やとか言うけども、あのままの状態続けてたら、今頃、借金に追い回されていたやろ!」

それにしても、結局、ここまで言わなければならない感情があって、このような感情を形成させた蒔岡家の台所事情の現実が、厳と存在したということである。
 
その結果、蒔岡家の老舗の看板を傷つけられて憤怒する鶴子との夫婦喧嘩を惹起し、それを目の当たりにした雪子と妙子が決定的に居づらくなって、幸子と貞之助の家に世話になるという事情を生むエピソードの発信源が、この不毛な顛末だったという訳だ。

当初、銀行マンを退職して、蒔岡の稼業を受け継いでいた辰雄の合理的な決断によって船場の店を畳んで、上本町への移転に関わる一連の行為には、ビジネスマンの才覚なしには遂行し得なかったと印象づけられるが、豪勢な生活に馴致し切ったブルジョアの姉妹連中には、とうてい理解できようがなかったのだろう。

この辰雄の怒りの独演が、銀行マン出身の彼の言う通り、相当のリアリティを持っているのに、どこまでも「他人事」の「説教」としか受容し切れない雪子と妙子は、こんなときでも、含み笑いをしてしまう甘さをダダ漏れさせてしまうのである。

この姉妹の怖いもの知らずの態度が、我がまま娘の印象と切れていても、相当の世間知らずであった事実は否定しようがないであろう。

それでも、夫の辰雄への愛情に特段の破綻がなかった長女・鶴子のみは、ビジネス的な判断抜きに、情感的に夫の援護に回る振れ方をするのは必至だった。

一方、辰雄の立場の難しさを最も理解できていたのが、同じ婿養子であり、且つ、百貨店勤めのサラリーマンである貞之助であったことは言うまでもなかった。
 
「何かあると、うちらは商家育ちだから、月給取りとは性は合わんって、こうなんや」

 これは、見合いの世話人で、昔馴染みの女に零した貞之助の愚痴。

 以上、本作の主要登場人物が揃い踏みした、この「世間智」と「世間無智」が存分にコンフリクトの不毛性を露呈したエピソードの中で、それぞれの人物の特徴的な性格傾向が垣間見えて非常に興味深いシーンだった。
 
 
 
 
(人生論的映画評論・続/ 細雪(‘83) 市川崑<壊れゆく、ほんの少し手前の風景が一番美しい>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2013/11/83.html