東京オリンピック(‘65) 市川崑 <オリンピックを人間の営みの一つとして描いた傑作>)より抜粋

イメージ 11  東京の都市変革をリアルにイメージさせる「破壊」の風景から開かれる映画のインパク



1964年。

経済協力開発機構 OECD への加盟が具現される背景の中で、世銀の融資を受けて東海道新幹線を開通させた年の、異次元的な都市建設の怒涛のラッシュ。

首都高速道や地下鉄網の建設など、国内の交通網の整備が急ピッチで遂行されることで、戦後の復興期を経て高度成長を謳歌しつつ、今まさに、先進国への仲間入りを果たそうとしていた只中の日本を象徴するかのようだった。

平和のシンボルマークである太陽の印象的なカットから一転して、充分に埃に満ちた雑然とした裸形の相貌を見せつつ、クレーン車のモンケン(鉄球)によってビルが解体されるという、当時の東京の都市変革をリアルにイメージさせる「破壊」の風景から開かれる映画のインパクトは、和田夏十白坂依志夫谷川俊太郎の脚本をベースにした、そこだけを特化して作り上げる手法であり、本作が、単に記録するだけのドキュメンタリー映画ではなく、強いメッセージ性を内包するフィクションとの融合を意図した映像であることを示していた。

その典型例は、富士山を借景にした聖火ランナーのシーンは、思い通りの晴天に恵まれない状況下で青年団に河口湖を走らせたことや、同様に、晴天に恵まれなかったカヌー競技の撮影で練習中に先撮りしていたという事実に尽きるだろう。

しかし、このことが、ドキュメンタリー映画としての価値の自壊を露呈させるものに堕していないのは、フィクションとの融合を意図した映像が提示する強いメッセージ性の、その範疇で解釈が可能な文脈のうちに収斂されるからである。

これを、映画研究者の森遊机は、「映画的真実」と「現実的真実」という概念によって分け、「東京オリンピック」には、この二重性の結晶であると表現した。

大体、事実を記録するだけのドキュメンタリー映画など存在しようがないのだ。

ドキュメンタリー映画は、テレビのニュース画像の枠内で処理されるものではない。

ついでに書けば、「政治的に公平であること」、「報道は事実をまげないですること」という、「放送法第四条」の制約下にあるテレビのニュース画像にしても、「サウンドバイト」という、発言の恣意的切り取りによって構成されている現実を理解せねばならない。
 
2000ミリという長焦点の望遠レンズを含む103台のカメラ、232本のレンズ、40万フィートに及ぶフィルムの長さに加えて、6万5千メートルもの録音テープの長さを駆使して作り上げた、カラーワイド170分に及ぶ、ハイリスク覚悟の異色の映像は、1800万人という途轍もない観客動員数を記録して、未だに破られることのない「巨編」と化した。

そして何より、この「巨編」が、一貫して「市川崑の映像」であり続けたこと ―― これは特筆すべき事象である。

「人間の可能性みたいなものを美しく突き詰めた映画なんですけれども、一方で、それが息苦しいんですね」

あまりに有名なレニ・リーフェンシュタールの「民族の祭典」、「美の祭典」(共に1938年製作)に対する森遊机の評価である。

彼は、市川崑監督との対談の中で、「東京オリンピック」には、レニ・リーフェンシュタールの映画にはない「解放感」があると指摘する。

「民族の祭典」を観て感動したという市川崑監督は、彼女の映画の影響を受けたことを吐露しつつ、夫人の和田夏十と共にオリンピックの歴史を調べていく中で、第一次世界大戦第二次世界大戦という、大きな戦争があった年にオリンピックが中止になっている事実に注目し、「破壊が収まって平和になってからも、次の開催まで何年もかかっている。これがオリンピックの本質だろう」という結論に達したということ。

4年に1度、地球のどこか1か所に全部の民族が集まって、楽しく運動会をやろうじゃないか。どっかで小ぜりあいはあったとしても、世界に大きな戦争がないことの一つの証として、あるいは希望として、オリンピックは行なわれているんだと。それが、太陽の燦々たる恵みのもとで行なわれているんだから、シンボルマークは太陽にしようと

この市川崑監督の言葉こそ、映像が提示する強いメッセージ性であった。

一切は、この理念をベースにシナリオが書かれ、このシナリオを超える、様々な競技における想像だにしない肉感的な経験を通して、準拠枠となっているはずのフィクションとの融合を狙った映像 ―― それが、東京オリンピック」という画期的な作品だった。

映像が提示する強いメッセージ性を象徴する有名なシーンがある。

聖火リレーが、「鉄の暴風」と呼ばれる沖縄戦の大規模戦闘の犠牲と化した、返還前の沖縄を経由し、広島に踏み込んだときのシーンである。

原爆ドームを空撮し、およそ122100平方メートルの面積を有する広島平和記念公園を、聖火ランナーが走行するシーンが捉えたのは、老若男女を問わず、この都市に住む市民たちが一堂に会したかのような歓迎の風景であった。

一緒に子供が走り、老婆が眼を凝らしていた。

黛敏郎のBGMに乗って、聖火ランナーを一目見んと集合する、広島市民たちの歓声が収録されたのである。

余談だが、このシーンを観て深い感銘を受けた私が、何より驚いたのは、聖火ランナーの走路に一本のロープも張られていない風景だった。
 
僅かな数の警官たちが、そこに集合する市民たちを制しながら、聖火ランナーは、悠然と広島平和記念公園を走行するのである。

どれほど興奮しても、この国の人々のマナーの良さは、常に一線を越えることがないのだ。

正直、この風景を観て、涙が出そうになった。

ともあれ、この一連のシーンは、広島市民たちの「解放感」を具現するかのようだった。

東京オリンピック」という作品が、森遊机指摘する「解放感」を表現する映像に仕上がっているのは事実である。

私自身、オリンピックが「平和の祭典」=「戦争の代用品」(注)と把握しているので、大衆的熱狂の躁状態の人工的な仕立てとしてのビッグイベントであるのは否定し難いと考えている。

無論、クーベルタン男爵の意図が、大衆的熱狂を仕立てれば、国際平和の実現が容易に具現できると安直に把握したわけではないだろうが、この知恵深い、際立って人間学的な方略がスポーツの近代化と国際化、それに、大衆的気分の躁的な集合化に道を開いたことは否めないだろう。

 まるで未知のゾーンを覗き込むように、聖火ランナーを見守る人々の熱気に満ちた表情や、選び抜かれたアスリートの一挙手一投足に視線が釘付けになる観客の情動の集合こそ、「東京オリンピック」が、特大の解放系のイベントである事象を検証するものなのだ。


(注)「オリンピズムの目標は、あらゆる場でスポーツを人間の調和のとれた発育に役立てることにある。またその目的は、人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励することにある。

 オリンピック・ムーブメントの目的は、いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神に基づ いて行なわれるスポーツを通して青少年を教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢献することにある」(日本オリンピック委員会の公式HP より)

 これは、有名な「オリンピック憲章根本原則」の一部である。「平和な社会の確立」、「平和でよりよい世界をつくる」などという文言を見ても分るように、近代スポーツが「戦争の代用品」であった事実を否定しようがないだろう。



2  大衆の情動を束ねて、底力を発現する近代スポーツの圧倒的な求心力



とりわけ、私の中で印象深いのは、国立競技場で、9時間にも及ぶ死闘を演じた棒高跳びの決勝である。
 
既に夜の帳(とばり)が下り、ナイターの風景への変容があって、心身の極限にまで自らを追い込む状態の中で、ハンセン(アメリカ)対ラインハルト(ドイツ)の一騎打ちと化した、棒高跳びの決勝を見守り続ける観客サイドの息を呑むような思いの集合には、「敗者」を決めねば終わらない近代スポーツの基本命題を受容しつつも、緊張と陶酔が入り混じった、一種異様な「特別な時間」を「共有」 した者の満足感が胚胎されていて、そこには、もうここまで戦い切れば、「勝者」の歓びと「敗者」の悔しさという二項対立の、表層的な感情の不毛な尖りが希釈され、浄化される風景の心地良さが漂流しているようだった。

「敗者」となった21歳のドイツ青年の表情には、疲弊し切った者の喪失感よりも、全身全霊を尽くして戦い 切った者の爽快さが滲み出ていたのである。

「戦争の代用品」としての近代オリンピックの本質が内包する、平和への一過的幻想を「共有」するような情動の集合が、その特化されたスポットで胚胎され、一種異様な「特別な時間」を「共有」 し得た人々の裸形の様態を、まるで意志を持つ有機物の如き高性能カメラが捕捉し、そこに漂流する肉感的な空気を丸ごと包摂するもののように映し出したのである。

それは、どこまでも理念系の軽量感を超えられないメッセージの束を担いで、この「大仕事」に踏み込んでいった中枢のスタッフの集合的意志が、小さくも、しかし決定的に成就した瞬間だった。

このような風景が随所に生まれてしまうところにこそ、決して、シナリオ通りにトレースする訳がないスポーツの競争性・偶発性の醍醐味と化して、それを表現する者の当事者熱量のうちに、観る者たちの熱量が溶融することで累加した肉感的な空気の重みは、今や、「戦争の代用品」としての近代オリンピックの情感的文脈をも呑み込むほどの、特化されたスポットを揺さぶる熱量さえも自給してしまうようだった。

大衆の情動を束ねて、底力を発現する近代スポーツの圧倒的な求心力が、そこに息づいているのだ。

「最高身体条件」と「最大集中力」をフル稼働させた後の爽快な解放感は、時には、「勝者」と「敗者」への感情の落差をも超えて、そこにアクセスした者たちが均しく被浴する快感のシャワーだったのか。
 
最強のビッグイベントであるオリンピックという、途方もない包括力を持つ「ハレ」の大行事の只中に、物理的に最近接する身体が触感する解放感は、まもなく、競技にアクセスしていく熱気のうちに溶け込んでいく。

しばしば、競技に過剰にアクセスする者は感受性を亢進させ、「再燃性」を準備する。

これを「逆耐性現象」と呼ぶ。

しかし、覚醒剤常習者に多く見られるこの現象は、ドラッグ耐性を奪われた者たちの大いなる危うさを説明する特殊な概念なので、ここでは誇張気味に記したに過ぎない。

然るに、多くの人々は、当然の如く、この「逆耐性現象」にまで持っていかれることがなく、一生に一度あるかないかの「ハレ」の大行事を、自らの日常性と上手に折り合いをつけながら、半月間という限定された期間に特化されたビックイベントにアクセスしていくだろうから、そこに厄介な問題など起こりようがないだろう。

それでも、「ハレ」の大行事に心身を預けていく人たちの渦の中に、先の棒高跳び決勝のような天晴れな風景を射程に収めつつ、なお繋がれていく時間が最終的に自己完結するに至るのだ。

閉会式という、ある意味で、最も世俗的な臭気の漂う最終行事に解放感を被浴すること。

一切の競技が終焉したときに待機する、この最終行事における解放感の被浴こそ、オリンピックという最強のビッグイベントの本質的な括りを、裸形の自我が相互に交叉させていくことで自己完結させる、スポーツ文化のとっておきの風景であると言っていい。

この閉会式については、興味深いエピソードがある。

開会式のように、選手団が整然と並んで行進する感動を期待していた市川昆監督が、その風景のあまりの違いに驚嘆して、慌ててカメラの指示をしたというエピソードだが、さすが市川昆監督は、この閉会式の異様な盛り上がり方を見て、「人間主体の東京オリンピック」(森遊机の言葉)を撮り続けてきた最終ステージのうちに、ドキュメンタリー映画製作の基本理念がオーバーラップする風景を瞬時に読み取ったのである。

「僕は、オリンピック映画を作っていて、スポーツから多くのことを教えられたような気がします。スポーツは、人間の純度の象徴だと言えますね」(市川昆監督)
 
まさに東京オリンピックは、このような人々の解放感の滾(たぎ)りを、様々なアングルから切り取った特別なスポーツイベントだったのだ。
 
 
 
(人生論的映画評論・続/ 東京オリンピック(‘65) 市川崑 <オリンピックを人間の営みの一つとして描いた傑作>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2013/11/65.html