1 「離れてよし」・
勝負は一瞬で決まった。
2016年5月16日、夏場所(五月場所)でのことだ。
場所は、大相撲の聖地・両国国技館。
左からの立ち合いの張り手一発の直後、白鵬の右肘のカチ上げが新関脇の勢(いきおい)の顔面に直撃し、秒殺で決まった相撲である。
ここで言う「カチ上げ」は、プロレスのエルボーと似ているが、腕を使って相手の上体を起こす技であり、肘の尖った部分をぶつけない限り、プロレスでも反則ではないし、当然、相撲の「禁じ手」(注1)ではない。
決まり手は押し倒し。
相手の胸や喉を押し、土俵外に倒す技である。
「どうなったのか分からなかった」
勢の言葉である。
「一発で倒れるとは思わなかった。厳しい反応のいい立ち合いが出てきました」
白鵬の言葉である。
かなり高い確率で、最近の白鵬の立ち合いで見られる土俵風景であるが、この勢との相撲は、その典型例であると言えるだろう。
「弱いんでしょ。カチ上げは(白鵬の)体が起きる。両方からおっつければ持っていける。大したカチ上げでもない」
それだけのことだが、やはり気になる。
「色んな技を持つ白鵬を、若い力士が凌駕できないのがだらしない」
ところが、「横綱の品格」(後述)に拘泥する人物の批判は極めて辛辣である。
「横綱が張り手・カチ上げ・変化・ダメ押し(注2)・猫だまし(相手の目の前で両手を叩く戦法)をすることが納得できない」
この辺りが、白鵬批判の集約点だろう。
しかし、「白鵬嫌い」の非難は度を越している
「相撲を冒涜する横綱」
もっとひどいのになると、「モンゴルに帰れ!」という本音が出てしまう。
ここまでくると、もう、人種差別である。
ついでに書けば、立ち合いのカチ上げや叩(はた)き込みを得意にし、批判されていた力士がいる。(叩き込みとは、「変化」によって相手の肩・背中を叩いて倒す技)
イスラム教徒(エジプト)初の大相撲力士・大砂嵐である。
前頭筆頭が大砂嵐の最高位だが、ボディビルで筋骨隆々な体に任せたのか、力任せな相撲が多く、体の硬さと腰の高さの欠点を補うかのように、カチ上げや叩き込みを積極的に多用し、その荒々しい相撲によって物議を醸したこともある。
無論、人種差別とは言えないが、荒削りで強引な相撲への批判もあった、エストニア共和国出身の「怪力力士」・把瑠都(ばると)の一定の成功例(最高位は大関)と比較すると、返す返すも、腕力だけでは勝てない日本の大相撲への適応の難しさを教えてくれる。
ここで、軽度な脳震盪を起こしたと考えられる、勢戦での「カチ上げ」での秒殺について、きちんと言及したい。
言うまでもなく、脳震盪とは直接的な頭部への打撃により脳が大きく揺さぶられることで、一時的に起こる脳の機能障害のこと。
「余裕がなくなっている」
「余裕がある証拠」
そのことは、白鵬自身も自覚している。
「立ち合いの変化などは『横綱としてふさわしくない』と言われることも。それでも勝つことが大事?」
「野球で言えば、ピッチャーがずっとストレートを投げないといけない。変化球を投げてはいけないというと、ピッチャーは肩が壊れてしまう。それで結果が残せるかと言ったら、分らない。“型を持って型にこだわらない”。今は本当に『離れてよし』・『組んでよし』。その域にきたのかな」
要するに、「ストレート」=「横綱相撲」、即ち、白鵬が尊敬する双葉山が目指した理想の立ち合い・「後の先」(ごのせん・相手の動きに対応して反撃に出ること)の奥義を極めることの難しさを吐露しつつ、些か強がりのように聞こえるが、白鵬は今、「離れてよし」・「組んでよし」という相撲のうちに、「安定的立脚点」を見出したように思える。
しかし私は、この「安定的立脚点」は、彼の「相撲道」の一過的な着地点であると考えている。
更に、白鵬は語る。
「“後の先”というのは精神的に大変なものがあって、“後の先”を15日間やるのであれば、富士山の上に、もうひとつ富士山、そのてっぺんに“後の先”がある。(1場所)15日間戦って“後の先”をいちばん多くやった取組で3番くらい。プロスポーツというのは結果を残さないといけない。その結果、負ければ横綱というのは引退」
ここで白鵬は、本音を明瞭に吐露している。
「負ければ横綱というのは引退」
重い言葉である。
そこだけは、灼然(しゃくぜん)たる言辞で結んでいるのだ。
降格がないという栄誉と引き換えに、負けることが許されない最高位の称号を得る者にとって、「横綱」という大看板(おおかんばん)を背負い続けることは、あまりに重過ぎるのか。
これだけは、大看板を背負った者でなければ分らないのだろう。
だから、人一倍、責任感・使命感が強い白鵬は、大看板を背負い続けることの難しさを認識するが故に、「離れてよし」・「組んでよし」という相撲に、一過的な着地点を確保したと思われる。
この言葉には、日本古来の神事であり、結びの一番の勝者の舞を演じる「弓取り式」が象徴するように、歴(れっき)とした武道でもある「相撲」を、「ルールによって成立するスポーツの一つ」であるという含みがあり、この認識の制約下で、相撲の取組の自在性を保証するという、白鵬流のリアリズムの精神が窺(うかが)える。
思うに、十両以上の関取が結う大銀杏(おおいちょう・力士の髪形)、関取が土俵入りの際に締める「化粧回し」、そして、「雲龍型」と「不知火型」(白鵬のように、せり上がるときに両手を伸ばす土俵入り)の2種類あり、先導役の「露払い」と警護役の「太刀持ち」を従えていく「横綱土俵入り」、更に、行司の装束などは「歌舞伎」の世界に相通じるものがあり、相撲が伝統芸能といわれる所以である。
それにも拘らず、神事をルーツにする大相撲が、伝統文化の要素を保持しつつ発展してきた、日本独特の「プロスポーツ」である事実は否定できないのだ。
そう思えるのだ。